第14話 陣馬山

山の中の急坂を、ストックと自分の両足を頼りに少しずつ登っていく。

 小石混じりの舗装されていない細い道は、土の柔らかさと地面の凸凹を靴越しに足の裏に伝えてくる。高山に登る訓練のために二リットルのペットボトルを二つ入れたザックが、肩とウエストベルトを巻いた腰に食い込む。

 今日僕が登っているのは、陣馬山という山だ。高尾山駅から中央線で二、三駅行った藤野駅か相模湖駅が最寄りの駅になる。

 高尾山と比べてマイナーな山だが、それでも土日には多くの登山客が訪れる。八五七メートルと高尾山よりも三百メートル近くも標高が高く登山道も長いためか、小さな子を連れた家族連れよりも登山に慣れた中高年のグループが多い。車を使えば徒歩三十分で登れるけれど、高校生の僕が使えるはずもない。

 アナログ式の腕時計をちらりと見ると、もう十一時を回ったところだ。八時から登り始めたからもう二時間半経過している。普段の僕なら二時間あれば登れるけれど。

「谷風~、少し待って~」

 後ろからあごを出したもみじがストックを頼りにぜえぜえと息を荒げていた。

 腰を深く曲げ、両膝に手をつくその姿は女子高生というより腰の曲がったおばあちゃんを連想させる。

 もみじはソフトジーンズにゆったりとしたTシャツ、スニーカーというシンプルなファッションだ。シンプルながらも色合いに調和がとれていると感じた。

 服装にあまり関心がなく、玄関を出るたびにしばしば私服を母親に注意される僕とは月とスッポンだ。一時期気を使ってファッションや髪形を色々と変えてみたことはあったけど、イタいか、どこか間違っているか、不釣り合いのどれかにしかならないから悲しくなってやめた。

 なぜ僕ともみじがこんなところにいるのかというと。



土曜の放課後、僕が教科書やペンケースをカバンに入れて帰る支度をしていると、もみじが話しかけてきた。

「谷風…… 今帰り?」

初めて出会った時のような、遠慮がちで、おどおどとした口調。

葛城さんとのことがある前は、気安く肩を叩いたり、ネタを混ぜた台詞でバカやったりしていたのに。

屋上への踊り場で話して、少しは変わったと思ったけど。以前遠ざかってしまった距離は、まだ完全には戻っていない。

あれから話す機会が少なかったこともあって、最近ずっとこんな調子だ。

 僕ももみじも、葛城さんや薬師寺さんと違って話が上手いほうじゃないから、どう切り出していいかわからない。

 これが葛城さんなら、不自然じゃない笑顔で話しかけて、何気ない会話でリラックスしているうちに徐々に元の雰囲気に戻るのだろうか。

 薬師寺さんなら、強引に元に戻すのだろうか。

 でも僕にはどちらもできない。

 明るい性格になりたくて、明るい人や積極的な人の真似をしてみたことはある。

 だけどギャグをするたびにすべって、笑いを取ろうとするたびにはずして、空気が凍って。文化祭とか、体育祭とかでは率先して何かしようとするたびに迷惑がられて。

 黒歴史が一つ増えるという結果に終わった。

 僕はもみじの言葉にうなずいて、鞄を肩から掛けつつ席を立った。

 お互いに帰宅部なので、授業が終わった後は特に用事がない限り帰るだけだ。

 会話はないけど、進む方向が同じなので自然と一緒になる。

 彼女を追い越すのもなんだか不自然なので、並んで歩いた。

 歩きながらなんとか話そうと努力していると、話題は高尾山の話へと移った。

 ついこの間のことだから、記憶も明瞭で話しやすい。

「高尾山か…… 山のアニメにも出てきたから、一度行ってみたけど。そういえば隣の陣馬山とか景信山も原作に出てきたかな」

 もみじがやっと、話に乗ってくれた。

それから久しぶりにお互い推しのラノベの話をする。

「あの探偵っぽいタイトルのラノベ、実は推理物じゃなかった」

「新人だけど、評判いいし。あたしもサイトで冒頭だけ読んだけど会話のテンポが良くて期待大! 今度買ってみようかな」

僕ももみじも、共通の話題があるとなんとか話せる。

相手が自分と同じだと。自分をバカにしてないと。そう思えることで、やっと口が動く。

「今度は陣馬山っていう山に登るんだ」

「一人ぼっちでずっと山に登ってると、飽きない?」

 もみじとだいぶ、前のように話せるものだから。

 つい、軽い気持ちで言ってしまった。


「いや。この前の高尾山は葛城さんと行ったよ?」


 もみじがそれを聞いた途端、足を止めた。

 廊下の窓から流れこむ蒸し暑い風と、運動部の掛け声がいやにはっきりと、大きく聞こえる。

「それ…… どういうこと?」

 もみじの態度が急変したので、戸惑ってしまう。

「いや…… それはね」

 僕は葛城さんに気分転換のためにということで山に連れて行ったことを話した。

 もちろん、山頂で「あ~ん」したことは省く。

「あたしでも、一緒に行ったことないのに……」

 もみじが俯いて、ぶつぶつと呟きだす。

 と思うと、急に顔を上げた。何か思いつめたような表情で僕を見上げている。

「谷風! 今度はあたしといっしょに山に行くよ!」

 葛城さんとのいざこざがある前よりも大きな声で、もみじは断言した。

 普段は可愛い系の印象なのに、円らな瞳が僕を見据え、眉は引き結ばれて、まるで決死の覚悟での宣言だ。

「どうして、急に?」

 もみじの剣幕に押され、僕はそれだけしか言えなかった。

 確かにもみじとはよく話をするけど、一緒に山に行こうなんて話になったことは一度もない。

「聖地巡礼の一環だから! 行くの! 一緒に!」

 そのままもみじは半歩距離を詰めた。葛城さんと違って身長差がだいぶあるので、上からもみじを見下ろすような形になる。

 葛城さんと比べたら小ぶりだけど、それでも男子にはあり得ない胸のふくらみが。鎖骨のラインが、制服の隙間から見えて。

 どうしようもないほどの興奮と高揚が沸き上がる。

 頭が熱くなって、もみじの白い肌以外何も考えられなくなる。

もみじの首筋から一筋の汗が伝い、慎ましい谷間へと流れていくのが見えた。

慎みは日本人の美徳だな。いや今はそれ関係ないか。

「どうしたの? 急に、黙って……」

 もみじは僕の視線を追うように、視線を僕の目から自分の胸元へと移す。

気が付いたらしい。

飛びのくように僕から離れ、胸を隠すように自分の体を抱く。

「ばかあ……」

 涙目で、顔は耳まで真っ赤にして。

 でも本気で嫌がっている風には見えなくて。

 もみじは以前の階段の時のように、その場から逃げ出さなかった。

 お互いの連絡先を知らないので、集合時間とか注意点とかを決めておかないといけないからだ。連絡先を交換するのは気恥ずかしいし、今はそんな空気じゃない。

 なんだかんだでまた、女子と山に行くことになったけど。

葛城さんとの時に感じた後ろめたさを今度は感じなかったことが、不思議だった。



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