第12話 やめる

次の朝。阿久津先輩が校門前で待ち伏せしているかと思ったけどそんなこともなく、僕は無事に教室に着いた。

すると別クラスの薬師寺さんが入り口で挨拶し、手招きしてくる。

「ちょっといいしぃ?」

 そう言って僕を教室の外に連れ出した。

 薬師寺さんは屋上へ続く階段の踊り場に連れ出すことなく、廊下で話を始めた。

 登校する人たちが僕たちのことをちらちらと見てくるので、また変な噂を立てられないか、気が気じゃない。

 でもどうしても気になることがあったので、聞いておく。

「薬師寺さん。昨日あれから、阿久津先輩はどうだった?」

 僕は昨日からずっと気にかかっていることを真っ先に質問する。

 そのストレートな言い方と、必死な感じのせいか薬師寺さんは肩をすくめて笑った。

「何ビビってるしぃ。私からもあっつ~には言っておいたから、そんなに気にしてないと思うし」

 その言葉に心底ほっとした。

 同時に、どうしても気になっていたことを聞いてみたくなる。

 失礼かもしれない。勘違いだったら恥ずかしい。

「もう一つ、いいかな?」

「いいし。何でも聞くしぃ」

「昨日の感じからすると…… 阿久津先輩と付き合ってる、んだよね?」

 その言葉に薬師寺さんはむっとしたように目を吊り上げた。

 ギャル女子はリアクションがオーバー気味なので少し怖い。

「当然だしぃ、疑う気ぃ?」

 そういうことじゃなくて、なんで阿久津先輩とつきあうのか、とか。浮気癖知ってるはずなのに、とか聞きたかった。あんな男子となんで付き合うのか。

 イケメンと付き合うこと自体に価値があるのか。

 単に彼氏が欲しいから、阿久津先輩を選んだのか。

 はっきり言ってあんな奴と付き合う女子の気が知れない。

「ごめん。少し気になっただけだから」

だけど雰囲気が悪くなってきたので、僕は頭を下げて謝った。

でも顔を上げたとき、薬師寺さんが細い眉を吊り上げ、口元を不自然なほど歪めて怒りを露わにしていた。

「あんたもあっつ~のこと、悪く言う気ぃ?」

 キレてるのがびりびりと伝わってくる。正直言って怖い。

 この手のタイプは空気から本心を読むのが上手いことが多い。

 黙っていても、普通に話していても、建前を口にしても嫌なところを突かれる。

 だからこういうタイプは苦手だ。

 だけど僕がビビってるのをみて満足したのか、薬師寺さんは声をやわらげた。

「ま、しょうがないしぃ。噂だけじゃあっつ~の良いところはわからないしぃ」

 校則ぎりぎりまで染められた色の髪の毛をくるくると弄びながら、彼女は続ける。

「乱暴だし浮気癖はあるけど、優しいところはあるしぃ。ほんとは行きたくなかったはずなのに、昨日も恋愛運上げたい、パワースポット巡りしたいって泣き付いたら高尾山につきあってくれたしぃ」

 それって本当にいい人なのか? 優しいのか? 普段は温厚でキレると暴力をふるうDV男性みたいなタイプかもしれない。

 思わずそう言いかかった言葉をすんでのところでこらえた。

「じゃ、次は私からだしぃ。突然だけど。葛城と付き合ってるしぃ?」

 その言葉に悪いことを咎められた時のように心臓が跳ねる。

同時にそんなことを軽い調子で聞いてくることに腹が立った。

「違うよ…… 昨日は成り行きだっただけ」

 僕がそう言うと、薬師寺さんはすぐに鼻で笑うと思った。

 こういうタイプの子は恋バナが大好きで、付き合ってる相手がいない子は男女問わずバカにすることが多かったから。

 でも薬師寺さんは、一瞬だけ忌々し気に顔を歪めた。

 何か、上手くいってほしいことが上手くいっていない、という感じだ。

 でもすぐに軽い笑みに戻る。

「やっぱねぇ~」

 そのへらへら、と形容できそうな笑みに思わずカチンとくる。

「いやいや、いきなりキレないでって。葛城と付き合うコツを教えてあげようと思っただけだしぃ」

 僕が怒りを感じたのを察した様子なのに、気に留めた様子すらない。

 なんだかなめられてる感じがして、嫌だった。

 女子になめられるのは、男子になめられるより悔しいという思いが強い。

「いいよ…… 別に付き合おうなんて、大それたこと考えてないし」

 半ば本音の言葉を口にして、その場を後にしようとする。

「ちょ、ちょっと待つしぃ!」

 だけど薬師寺さんは焦ったように僕を引き留める。

「どうしたの?」

 僕は首だけ振り向いて、彼女の様子をうかがう。薬師寺さんは焦った感じはあるけれど、コミュ障気味で人付き合いの少ない僕には本心は見透かせない。

「そんなに簡単に諦めたら実る恋も実らないってぇ。恋は押して押しまくらないと、ダメ」

「そうかもしれないけど…… 僕には向いてないと思うから、遠慮しとくよ」

それでも彼女はしつこく食い下がってくるので、僕は向き直る。

「じゃあ、一つ質問いいかな?」

「なんでも聞くしぃ。葛城の好みの芸能人? 好きな食べ物ぉ?」

「違うよ…… そうだ、付き合ってない異性を遊びに誘うのってどういう意味があると思う?」

「そこから…… これだから恋愛初心者はぁ」

 あきれたような声でこめかみに手をやった。髪がかき上げられ、染められていない根元の黒い部分が露わになる。

「とりあえず、付き合う前に友達として遊びに行く、ってのはありだと思うしぃ。そうやって付き合うか決める場合もあるしぃ」

「でもそうすると、好きって遠回しに言ってるようなものじゃない? それだったら初めから告白したほうが……」

「これだからオクテはわかってないしぃ。好きにも色々段階があるしぃ。付き合ってもいい好きかどうか確かめるために、デートするってこともあるしぃ。ま、私があっつ~に告った時は別だったけど……」

 その時だけ、薬師寺さんから僕を小馬鹿にしたような感じが消え、純粋な乙女の表情になる。これ以上質問するのもためらわれたので、話を切り上げることにした。

「今日は色々ありがとう」

「いいしぃ! また何でも聞くし!」

 手を振る薬師寺さんを見ながら、僕は彼女以外のことを考えていた。

葛城さんはどういう意味で僕を誘ってくれたんだろう。

 やがて、葛城さんが登校してくる。

いつもより少し照れくさく感じながらあいさつを交わした。

 あんな会話があった後だから。葛城さんの様子が気になる。

 仕草とか、目線とか。そういった些細なことの一つ一つが気になって仕方ない。

「あのさ……」

 また噂を立てられないように、さりげなく話をしてみよう。

「どうしたの?」

 でも、それ以上が続かない。

 高尾山で「あ~ん」された意味とか、バスケ部で何があったのかとか、聞きたいことは色々あるのに。

 うまい聞き方が思いつかなくて。

 それに昨日顔を真っ赤にした彼女が、今日は何事もなかったかのようにいつも通りで。

「なんでもない」

 昨日のことを聞くのは、やっぱりやめておいた。

 そのまま教室に戻る。

 入り口の引き戸を開けると、席に座って一人でスマホをいじっていたもみじと目が合った。

 大声であいさつしたり、背中を叩いたりはしない。

 葛城さんとの噂があったから、気を使ってくれたのだろうか。

 その時に力になれなかったことを、今でも悔やんでいるのだろうか。

 もみじとの距離が少し遠くなったようで、寂しく感じる。

 廊下から流れる蒸し暑い風が、もみじの栗色の髪を緩やかに揺らした。

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