第7話 高尾山
さて、どの山にしよう。
葛城さんにああいった以上、中途半端は許されない。
しっかりエスコートして、楽しい登山にしてあげないと。
僕は校舎の中を歩きながら、今までに登った経験のある山の記憶を頭の中から引っ張り出す。
景色が良くて、気分転換になる山、か。
富士山…… は、ないな。足首痛めてる人に勧める山じゃないし、それ以前に今は登山道が閉鎖されている。富士山頂まで登れるのは七月から九月の上旬だけだ。
登るとしたら、夏休みだろう。
群馬県の谷川岳、木曽駒ヶ岳……
足を痛めてるし、ケーブルカーが整備されている山がいいだろう。葛城さんはもう普通に歩くくらいはできるし、ちょっと登って山頂またはその付近で眺めのいい景色をプレゼント、という感じがベストか。
でも両方とも遠い。僕たちの住む飯能町から気軽に行ける距離じゃない。
やっぱり、あそこにするか。
関東に住む人なら山に興味がなくても知っているくらいにメジャーで、登りやすい。
ヒノキ造りのレトロなデザインのトイレで用を足し、鳥のさえずりの電子音が流される駅舎を抜けて、改札口を出る。
そこには登山道のルートの案内板と、休日の午前九時前だというのにごった返す人々、東京の都心よりはるかに葉を広く高く茂らせた深緑の木々。
雲一つない蒼天とじっと立っていても汗が噴き出るほどの陽気の下、僕は待ち合わせ場所に到着した。
これなら、葛城さんに目的のものを見せてあげられそうだ。
今回僕が選んだのは、高尾山だ。
年間で二百五十万人もの人が訪れる、世界一登山客の多い山。
地元の小学生もよく訪れ、登山道は整備されていて歩きやすい。
僕たちの住む飯能町からは電車を乗り継いでいくので少し面倒くさいけど、都心から一時間程度と一般的にはアクセス抜群な山だ。
登山道は山頂まで舗装されており、ケーブルカーで急な勾配の道をショートカットできるから葛城さんの足にも優しいだろう。
僕が到着してから少し遅れて、葛城さんが駅の改札口から姿を現した。軽く手を振ると僕の姿をすぐに認め、歩いてくる。
「ごめん、待たせた?」
もう七月だというのに初夏を思わせるさわやかな笑顔。
歩きやすい道だけど念のため、と言った通りにスカートじゃなくパンツスタイルで、薄手のシャツ、スニーカーという歩きやすいスタイルだ。
僕が着るとダサいチェック柄のワイシャツなのに、葛城さんは裾の広い半袖のギンガムチェックの柄を同じく裾の広がったベージュのパンツと合わせておしゃれに着こなしていた。
舗装されてない道ならば広がったパンツの裾が下草にひっかかる恐れがあるけれど、今日行く予定の高尾山の一号路ならずっと舗装された道だし大丈夫だろう。
「どう? 山だけどおしゃれはしたいからね、フレアスリーブのブラウスにワイドパンツで合わせてみたんだ!」
なるほど、そういう名前なのか。
僕のファッション語彙力の低さが改めて浮き彫りになった一瞬だった。
おしゃれ、と言われて葛城さんのことをよく見る。
服だけじゃなく、頬や唇がなんとなく色鮮やかだし、眉の形が整っているように見えた。
「ど、どうかな?」
彼女は僕と目が合うと、照れたように声が少し上ずっていた。
なんでそんな顔をするんだろう?
もしかしたら……
僕の勝手な考えだけど。コミュ障で、女子と付き合ったことなんてないからよくわからないけれど。
人におしゃれしてきたところを見せるのは、やっぱり緊張するんだろう。
僕はおしゃれに疎いからよくわからないけど。前回さわらび山で見たときよりおしゃれしてきたように感じる。
誰か、見せたい人がいるんだろうか?
「うん。似合ってる。裾の広いパンツやアウターも、それに合わせたインナーも、艶のある唇もいいと思うよ」
僕は思ったままのことを、何も足さずにシンプルに伝えた。
それを聞いた葛城さんは、照れたような顔はそのままで。
少し間が空いたかと思うと、やっと反応を見せた。
「~っ!」
葛城さんは、顔をそらしてしまった。心なし耳が赤くなっているように見える。耳って化粧しないはずだけど……
「じゃ、行こう!」
変な感じになった空気を打ち消すかのように、葛城さんが歩き出す。
僕もあわてて後を追った。
老若男女が混じった他の登山客とともに、道を進む。駅を出てすぐは川沿いにお土産屋さんが立ち並び、登山道というより観光地という感じだ。
「あ、凄い!」
葛城さんが店の一つを指さした。なんだろう?
「お団子を炭で焼いてる、初めて見た」
白い灰をかぶった炭火の下から仄かな赤い光が漏れ、間隔を空けて灰に串を刺した団子をあぶっている。店員さんが額に汗しながら団子を刺したり抜いたりしていた。
さっそく一本ずつ買って食べてみた。彼女は味噌味、僕は醤油味を頼む。一本三百五十円とかなり高いから普段は滅多に買わないけど。
誰かと一緒なら買ってもいいと思えたのが、不思議な感じだった。
「少し焦げ臭いけど、香ばしくて美味しいね!」
「うん…… 炭の力って偉大だ」
僕は黙々と、彼女はごちそうでも食べるかのように目を輝かせて団子を食べていく。食べ終わった串は店先においてあるゴミ箱に捨てた。
僕にとっては見慣れた光景でも、彼女にとっては物珍しいのかあちこちの店に目を留めたり、覗き込んだりしている。
表情をくるくると変えて、はしゃいでいる彼女を見ているとこっちまでその元気が伝染するような感じで、楽しくなってくる。
そのうちに彼女の手が妙な動きをしていることに気が付いた。
「その手の動き、何?」
「これはハンドリングっていって、バスケのボールを扱う練習。本当はボールを持ってやるんだけど、つい癖が出ちゃったね」
癖が出るくらいに練習してるのか。
「そこまでするんだ。すごいね……」
そこまで一つのことに打ち込むなんて、僕には到底真似できそうもない。
山も、あくまで趣味程度だ。これでインターハイに行こうなんて考えたこともない。
「足怪我してても、やれる練習はやりたいから」
それからも、とりとめのないことをしゃべる。
葛城さんは話を合わせるのが上手く、かつ話しすぎることもない。
普通は人といると気疲れするけど、彼女といるとそんなことがない。
いつも山は一人で行くけれど、誰かと一緒に来ると、こんな感じなのか。
そのまま多くの登山客と一緒に、観光地のような道を歩いていく。新宿や渋谷ほどじゃないけれど、気を付けていないとぶつかりそうだ。お年寄りから幼稚園くらいの子供連れまで年代は様々。こんなに登山客の年齢を選ばない山は珍しい。
道がいくつかの登山道に分かれるけど、僕たちは舗装された道をまっすぐに歩いていく。
やがてケーブルカー乗り場に到着した。銅像が立ち、綺麗に整備された鉄道の駅と見まがうような本格的な乗り場だ。切符を買い、列に並ぼうとするけれど葛城さんが待ったをかけた。
「待って? ケーブルカーとリフトって、二つ乗り場があるよ?」
「ケーブルカーは、一両だけの電車みたいな感じ。リフトは、スキーで見るみたいな、座席だけがある二人乗りのやつだね」
「リフト乗ろうよ! 気持ちよさそう!」
葛城さんが嬉々としてリフト乗り場に並ぼうとするけど、僕はそれを止めた。
「リフトは降りるときに足を痛めるかもしれないから…… 今日はケーブルカーでいい?」
「う~ん…… そだね。ここは山登りの先輩の意見に従いますか!」
彼女は大人しく、ケーブルカー乗り場に並んでくれた。
百三十五人が乗れる巨大なケーブルカーに葛城さんと一緒に乗り込む。車内がぎゅう詰めになるほど混んでいたけど、僕たちは運良く座れた。
「すごい混んでるね……」
「うん。でも六分くらいで山の中腹まで着いて、降りられるから……」
座っていても押し合いへし合うケーブルカーの中、自然と隣の葛城さんと体が密着する。僕の腕と彼女の腕が密着し、太もも同士も同じくらいの距離にあった。
筋肉がついているはずなのに柔らかい二の腕、腕よりも固い感じがするけれどその分弾力がある太もも。
胸とかが触れているわけじゃないけれど、こうして女子と密着しているだけでドキドキする。
ショートボブの髪の毛から香る、女子特有の甘い匂いに否応なしに胸が高鳴る。
しかもこの前、葛城さんが阿久津先輩と付き合っているわけじゃない、と知ったから余計にだ。
でも葛城さんはおしゃれだし愛想がいいし、女子バスケ部のキャプテンだ。阿久津先輩以外に付き合っている男子がいるという話は聞かないけれど、今までに多くの男子と付き合ったはずだ。
その男子とはどこまで行ったのだろう? 手をつなぐだけ? キスしたのか? それとも……
肌色で、桃色で、とても嫌な光景が頭に浮かんできて、僕は頭を振って想像を打ち消した。
「どうしたの?」
「なんでもないよ」
思ったより強い調子で言葉が出て、葛城さんが少しだけ身をすくませる。でもすぐに笑顔になって、
「ごめんね…… おせっかいだったね」
謝った。謝らないといけないのは、僕の方なのに。
葛城さんが心配そうに声をかけてきたのに、突き放すような返事しかできない自分が嫌だった。
やがて発車のベルとともに、ケーブルカーが動き出す。しばらくは気まずいままだったけど、森のような木立の中を進み、勾配が急な道に差し掛かると葛城さんがびっくりして、はしゃいで、それまでの気まずい雰囲気がだいぶ薄れたと思う。
さすが日本一の勾配、三十一度のケーブルカーなだけはある。
三十一度の勾配はスキーでいえば上級者向け、上から見ると崖にしか見えないレベルだ。
やがてケーブルカーがスピードを落とし、完全に止まった。
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