第6話 誤解

『谷風君、話したいことがあるんだけど、ラ●ンじゃなんだからまたこの前の場所でいい?』


 翌日、僕はラ●ンで葛城さんに呼び出された。ラ●ンに葛城さんからのメッセージが入っていた時は飛び上がるほど嬉しかった。彼女とのつながりが、まだ切れていないんだと感じた。

 でも、彼氏持ちの葛城さんが今更僕に何の用だろうか? 

 閉鎖された屋上に続く人通りのない踊り場に着くと、葛城さんが一人で立っていた。今回は捻挫した左足にスリッパではなく、上履きを履いている。捻挫がだいぶ良くなったのだろう。

 この場所は屋上へと続く扉にはめ込まれた、型ガラス越しの西日が差し込み、日に日に熱くなっているのを感じる。

「聞いてほしいことがあるの」

 葛城さんは端的に、真剣な表情でそれだけを口にした。

 その様子を見て心臓が飛び跳ねそうなほどに高鳴る。

 生まれて初めて、告白を受けるんだろうか。

彼女には阿久津先輩という彼氏がいるのに、勝手な妄想が沸き起こってくる。甘酸っぱい展開が頭の中を駆け巡るのを止められない。

 バスケ部のあの光景を見たばかりだというのに、阿久津先輩から脅されたばかりだというのに、自分に都合のいい想像をしてしまう。

 でも、女子と二人きりならそう考えるのが思春期男子だ。

 想像するだけならタダだし、誰にも迷惑が掛からない。

 少しどもりながら告白されて、思いを受け入れて、それから手をつないで帰って、お互いに布団の中で今日の出来事を思い返して。真っ赤になりながら夜が更けるまでラ●ンをして。

 でも現実の彼女は、妄想のどの反応とも違っていた。

目に涙を滲ませ、端正な面立ちを歪めている。

さっきまでの身勝手な自分が恥ずかしくなり、浮ついた考えが一瞬で吹き飛んだ。

「どうしたの? 何があったの?」

 僕はそれを聞くのが精一杯だった。 

「実はね……」

 彼女はそう言いながら、やっと上履きを履けるようになった左足に視線を落とした。

「結構ひどい捻挫らしくて、今月末の試合に出られそうにないの。怪我したのが山の中だったこともあって、治療が遅れたのも悪かったみたい」

 試合に出られない。

 帰宅部の僕は経験したことがないけれど。それは部活をやっている人にとって。キャプテンである葛城さんにとって。何よりも苦しいことのはずだ。

でも、なんで僕を呼び出したのだろうか。

 愚痴を聞いてほしかったのだろうか。でもそれだけなら、同じ部活の友達にしてもらえばいいはずだ。

 僕を見て、葛城さんは慌てたように付け加えた。

「でも、だいじょうぶだよ! 他校との練習試合だし。県大会は六月で終わったし」

 途中で負けちゃったけどねー、と彼女は軽く笑った。

 バスケ部は地区大会が六月の終わり、県大会が七月の終わりでインターハイが八月初めらしい。

「こっちは二年だけだったし。次は負けないよ!」

彼女は軽く握りこぶしを作って、闘志を露わにする。その表情からは悔しいという感じはしない。実力を出し切ってすっきりしたのか、二年の彼女には来年があるからだろうか?

けれど。さっきの言葉に僕は軽く違和感を覚えた。

なんで三年が出なかったんだろう? 彼らにとっては最後の大会なはずなのに。

理由を聞こうとしたけれど、部外者の僕が聞くことでもないと思って。

すんでの所で言葉を飲み込んだ。

「でも、試合に出れなくて、ショックなことには変わりないから気分転換したくて。それで谷風君に相談しに来たんだ。また山に登ってみたくて」

 そういうことか。でも、疑問が残る。

「でもなんで、怪我したのに山に登るの?」

 さわらび山での出来事が元凶で葛城さんは落ち込んでいるのに、また山に登りたいなんて意味が分からない。

 もともとの山好きで、怪我しても遭難してもまた登ろうとするマウンテンジャンキーな人なら別だけど。彼女はどう見ても山初心者だ。

「確かに、あの時は痛くて。大会出られないってわかった後はショックだったけど」

 葛城さんは一瞬落ち込んだ表情を見せたけど、すぐに切り替えた。

「それ以上にすごく、すっきりしたんだ! 学校でもラ●ンでも、常に見られてる感じがしてたけど。山だと知り合いが誰もいなくて、頂上から住んでる街を見下ろした時の感じが、気持ちいいっていうか。それに」

 葛城さんはスマホの画面を何度かタップ・スライドした後僕に差し出してくる。

 とおのす山頂から撮影したと思われる空や緑の写真が色鮮やかにスマホの画面を彩り、彼女の指がスライドするたびに景色が移り変わっていく。

 交友関係が広いのだろうか、写真を撮るのも上手い。木々の種類で変わる緑と深緑のコントラスト、足元に咲く色とりどりの花、山頂からの空と雲の風景は一流の絵画のようですらあった。

「こんな景色、また見たいって思うの当然だよね? それに、」

 彼女が不意に声のトーンを落とす。

「バスケ部でもいろいろあって、ちょっとバスケとか学校とかと違うところに行きたいんだ」

 女子バスケ部のキャプテンである彼女にとって、部活は大切な居場所のはずなのに。何が起こっているのだろう。

 僕にはそれを知る手がかりも資格もないけれど。

 でも。

「一緒に行くなら、阿久津先輩と行けばいいのに……」

 僕が濁った感情とともに漏らした呟きに、葛城さんが顔色を変えた。

 柳眉がわずかに逆立ち、空気にピリピリとしたものを感じる。

「なんで? なんであんな奴の名前が出てくるの? あんな奴、わたし大嫌いだよ?」

 彼女が全身から放つ怒りに思わず後ずさりするけれど、それ以上の疑問が僕の頭の中で鎌首をもたげる。

「……付き合ってるんじゃないの?」

 僕がやっとのことで絞り出した掠れ声に、葛城さんは怒りを露わにして返した。

「あんなのと? 冗談じゃないよ、本気で怒るよ?」

 冗談を言っている風には見えない。

「だって、阿久津先輩からもう君に近づくなって言われたから、てっきり。それに練習中、仲が良さそうにハイタッチしてたから」

「ああ、そういうことなんだね……」 

葛城さんからやれやれといった風に肩をすくめた。ダークブラウンの髪をかき上げて大きく息を吐きだすと、さっきまでの圧力が嘘のように霧散する。

「阿久津先輩、女の子見たらとりあえず粉をかけるし、一度でも一緒に遊びに行くとそれだけで他の男子を近づけないように脅しかけて、キープしようとするの。ハイタッチは一応返さないと空気悪くなるから、仕方なくやってるだけ」

「それじゃあ、葛城さんはなんで付きまとわれてるの?」

阿久津先輩と葛城さんが二人で歩いている光景が、一瞬だけ頭をよぎる。

 同時に胸の奥がざわついて、嫌な感じがした。

「部活の合宿で一度だけ、肝試しのペアになったんだけどね。頼んでもいないのに『怖いだろ』って手をつないできたり、バスの中でも他の子を押しのけて隣に座ろうとしたり。もーセクハラだよ、あれ。山に行ってみたのは、あんなの顔を見たくないのもあるね。新宿とか渋谷とかの街のほうが好きっていつも言ってるし」

 そう言い切る葛城さんの表情に、嘘はなくて。

 さっきまで胸の奥に感じていた感じは、いつの間にか消えていた。

「というか、バスケ部のキャプテン同士が付き合ってたら話題にならないはずないでしょ?」

「ごめん…… クラスの会話にほとんど加わらないし、ラ●ンのグループにも招待されてないから、気づかなかった」

 それを聞いて葛城さんは額に軽く指を当てて抑えた。それから気分を切り替えるように明るい声で、あらためて僕に告げる。

「そういうわけで、阿久津先輩じゃなく君と一緒に行きたいんだけど。いいかな?」

 僕と一緒に。

 そう言われただけで、胸の奥がくすぐったいような感触があって。


 でもなぜか、どこか後ろめたさのようなものも感じた。その正体はわからないけれど。


 同時に、阿久津先輩の代わりにしかなれない自分に嫌気が差して。

 阿久津先輩に釘を刺されたばかりだし、断ろうと思ったけど。

「君がわたしの知ってる人で山に一番詳しそうだし、良さそうな山、お願いします」

 彼女はいたずらっぽい口調で、そう言った。

女子とデートできるなんて初めての経験で、僕が頼りにされていることが嬉しくて。

「了解! 任せておいて」

後ろめたさに蓋をして。彼女の申し出に、頷いていた。

 阿久津先輩のことが心配だけど。でも街に出かけるほうが好きだと言っていたし、休日にわざわざ山登りに行くとも思えない。見られなければ問題ないだろう。

 見られるとしたら帰りの電車の中か。帰りは別行動で帰ったほうがいいかもしれない。

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