第4話 絡まれる
「おい」
すると野太い声で、突然話しかけられた。僕のことを待ち構えていたような感じだ。
後ろを振り向くと、百八十センチ台の長身の細マッチョ。
引き締まった筋肉が夏服の制服のシャツから垣間見えていた。
確か彼は阿久津信といって、男子バスケ部のキャプテンだったか。以前バスケ部の練習を覗いた時にいた覚えがある。
顔はイケメンだが精悍で、怖いという人もいればカッコいいという人もいる。キャーキャー言う女子も多いけど、僕は前者だ。
それにモテるけど、付き合う相手をとっかえひっかえしたり、二股をかけたりするなどあまりいい噂は聞かない。それでもモテるのが不思議だ。
「なんでしょうか?」
彼は一応上級生なので、敬語で返す。
「なんだ、じゃねえよ」
たったこれだけのことで軽くキレられた。
嫌気と、怒りが同時に湧き上がる。するとそれが顔に出てしまったのか、阿久津先輩はさらにキレた。
「お前…… なんだその顔はぁ?」
威圧的な言い方に体がすくむ。
リア充は本心を顔に出さないのが上手いけど、僕はそれほど上手くない。
「け、ビビりが」
だけど僕が怖がったのを見て少しは気が晴れたのか、阿久津先輩は口元を歪めて笑った。
「まあそんなことはどうでもいい。お前、葛城とどういう関係だ?」
「どういう、と言われましても……」
とりあえず今までと同じように、葛城さんが拡散してくれたのと同じように、怪我をしていたところを見つけテーピングしたと伝える。
「本当か? それ以外何もねえのか?」
まるで蛇のようにねちっこい質問。
「本当ですよ。こんなことで嘘ついてどうするんですか……」
僕の顔をじろじろ見て、威圧的な感じを振りまいた後で見下したように言う。
「まあいい。葛城はお前みたいな奴と付き合うはずねえからな」
がつんと。頭を金づちで殴られたようなショックを受ける。
彼は僕の呆然とした顔を見て、口の端を歪める。
気が済んだのか、阿久津先輩は立ち去って行った。
僕はやっと、気が付いた。
葛城さん、阿久津先輩と付き合っているんだ。
だから阿久津先輩はわざわざ僕のところまで確認に来たのか。
葛城さんがさわらび山で僕に触れられても平然としていたのも、阿久津先輩で慣れているせいか。
同じ部活のキャプテン同士だし、付き合っても不思議じゃない。
そう考えると、心が黒く染まったように感じた。
胸の奥に冷たくて不愉快な、嫌なものが広がる。
助けてくれたことが、僕のために怒ってくれたことが、全て遠い出来事のように感じる。
別に葛城さんはただの友達で、嫉妬なんてする資格は僕にないのに。
それなのに、心にかかった黒いもやが苦しくて、胸に自然と手がいった。
なんでもない、ありふれた恋愛話の一つに過ぎないのに。裏切られたように感じるのは、僕の独りよがりなのに。
でも僕は胸の苦しみを抱えたままで、教室に戻った。
「谷風…… ちょっといい?」
放課後、僕はもみじに人気のない場所に呼び出されていた。
いつもと違い元気のない口調。いや、初めて出会ったときと同じ口調。
葛城さんのときと同じ、屋上に続く階段の踊り場、その屋上寄りの階段。
この位置なら下の階からは見えないし、屋上は普段閉鎖されているから屋上から人が来ることもない。
十六時を過ぎ、屋上へと続く型ガラス越しの日差しでこの場所はひどく蒸し暑い。
じっとしているだけでも汗が滲み、額から滴となって顎を伝い、制服のワイシャツの中は汗ぐっしょりだ。
日光を背にして陰になったもみじの顔は、憂いを帯びて一層昏く感じた。
数日前なら必ずもみじの方から僕に話しかけていたのに、今は僕の顔を盗み見るように目線だけを向けたり、唇が開いたり閉じたりを繰り返している。
それでも、彼女が話すのを待っていると。
何分時間が経ったかわからなくなったころ、やっと彼女は口を開いた。
「谷風…… えーっと、この前は大変だったね、でも噂がすぐに収まってよかったね、さすがは葛城さんだよ、」
僕と目を合わせているのに、僕のことを見ていない。
さらに言葉を続けていくけれど、何が言いたいのかわからないような、まとまっていないことを口に出している。
その態度にイライラした。
昔僕がいじめられていた時、いじめる側に回った友達の言い訳を思い出す。
こちらが何を聞いてもはぐらかし、真剣に問い詰めても何マジになってんの、という感じで取り合わず、泣くかキレると逆切れすんな、で済ませようとする。
そういえば、あの時もこんな感じだった。
一月ほど前にもみじと聖地巡礼の話になって、僕は休み期間に短期のバイトをしていると教えたけど、彼女はバイトの話になった途端急におどおどして、言葉を濁した。
誰にでも話したくないことの一つや二つあるのが普通だし、その時は深く気に留めなかったけれど。
ある休日にラノベを買いに池袋に来た時もみじを見かけて、軽く挨拶しようとしたら駅からも大通りからも離れた道の入り組んだところへ入っていって、そこで彼女を見失った。
雰囲気の暗い雑居ビルが立ち並ぶ中で立ち尽くしていた僕は、その時もみじがバイトの日だと聞いていたことを思い出し嫌な感じがした。
そして翌日。もみじを池袋で見かけたことを会話に出すと、あからさまに動揺した。
その時に感じた彼女への不信感は今でも忘れない。
ひょっとしたら、僕と話しているときの彼女は演技で。実は今話題のパパ活でもしているような尻軽かもとさえ思った。裏では僕をバカにしているのかもと思った。
あり得ないなんてことはあり得ない。
中学の時みたいに、親友だと思っていた奴が裏切ることだってある。
そのことを思い出し、もみじが助けてくれなかったこと、目の前のもみじが煮え切らない態度をとっていることが重なり合ってついカッとなってしまう。
「結局何が言いたいの、もみじ」
自分で自分にぞっとするような声が出た。
ただ相手を糾弾し、責め、追い詰める口調。
こんな言い方は。
僕をいじめてきた奴らと、何が違うのか。
自分に対する後悔と嫌悪、それにもみじにそんな言葉を向けてしまった申し訳なさが同時に襲ってきて。
もみじの方をもう一度見ると、彼女は小柄な体を震わせ、俯いて震えていた。
「ごめん……」
ゆっくりと、深く頭を下げた。腰を深く折っても背中が丸まらない、丁寧な仕草。
今度はさっきみたいな嫌な感じがしない。
逆に彼女のうわべだけでない、辛い気持ちが伝わってくる。
いじめられて、人の辛い気持ちには敏感になったから。彼女の言葉が心の底からの、真実であるとわかる。
同時に、彼女の心が伝わってきて僕の心まで痛くなる。胸を鋭いナイフで裂かれたような感覚が襲ってきた。
「今回、力になれなくてごめん…… あたしの方でも色々動いてみたり、友達に谷風と葛城さんがそんなことになるわけない、って説得したりしたんだけどほとんど効果なくて……」
ひとつひとつ、彼女が何をしてくれたかを説明してくれる。
ところどころ声がかすれたり、しゃくりあげたりするけど、
悪びれなく自分のやったことを正当化した、僕を裏切った友達とは違う。
自分は脅されているだけだと言い訳した友達と違う。
悪いと思ってないのに謝る振りだけした奴らとも違う。
何度も裏切られたから、信用できない謝罪は雰囲気でわかる。もみじのそれは奴らとは違って、僕の味方であろうとしてくれたのが伝わってくる。
それがわかって、さっきまでのイライラした感じが抜けた。
「それはいいけど、なんであの時いなくなってたの? もみじもいてくれれば、女子二人に男子一人だから変な噂も立たなかったかもしれないのに……」
彼女はそれ以上聞きたくない、とでも言いたげに僕の言葉を遮った。
「あたしみたいなオタクにはああいうタイプはまぶしくてね。ちょっと苦手なんだ」
そういうもみじは、いつもの元気さが見る影もなく、あまりにも弱弱しく見えた。
同時にやっぱりか、と納得もする。
もみじは僕と話しているときは明るいけれど、クラス内で上位の女子グループに混じって会話しているのを見たことがない。
それどころか、そういった女子からは逃げるようなことさえあった。
「でも葛城さんがラ●ンで回したらあっという間だったね。さすがリア充、あたしみたいなオタクとは影響力が違う」
彼女は自分の心を抉るように、自嘲気味に笑った。
「いいよ、もう。もみじなりに色々やってくれたんだろ?」
とにかく、終わったことをこれ以上責めても仕方ない。それ以前に、もみじにあんな顔をさせたくない。
「許して、くれる?」
もみじは顔を伏せて、背中を丸めてそう聞く。小柄な体が、一層小さく見えた。
「当たり前だよ。僕が困ってるとき、色々がんばってくれたから」
葛城さんに言われて嬉しかった台詞を、少し変えてもみじにも言ってあげた。
彼女は顔を上げて、華やいだような笑顔を浮かべる。フレームのないメガネの下のくりくりした瞳が、涙に濡れて輝いていた。
その表情が、普段のもみじからはあり得ないほど魅力的で、不意打ち気味に胸が高鳴った。
「今日はありがと! あたし今日はバイトだから、もう行くね! あたしたちの戦いは、これからだから!」
いつものようにネタを混ぜた台詞。やっといつものもみじがやっと戻ってきた気がする。
バイト、という言葉に彼女の言葉を疑ったことを思い出す。
同時に、もみじをもう少し信頼していいんじゃないか、そう思う気持ちが彼女を疑う僕のことを責める。
もみじが僕に手を振った。
そのまま階段を駆け下りようと、僕の上の段にいる彼女が、大きく足を振り上げる。
もみじはギャルっぽい女の子ではないし、スカートを極端に短くしているわけではないけれど。
勢いよく足を動かしたせいかスカートが大きく舞い、僕の視界にもみじのスカートの奥の光景が飛び込んでくる。
高校生になって初めて見た女子のパンツは、縞模様だった。いわゆる縞パン。オタクのもみじらしいといえば、もみじらしいけど。
リアルでは履く女子なんていないというのは都市伝説だったのか?
彼女は、涙目になってスカートを押さえる。
「見た……?」
「ううん、見てない」
僕は首を横に振ってもみじの言葉を否定する。友達だから。嘘をつくのも優しさだ。
「縞」
もみじの一言に顔が熱くなるのを抑えきれなかった。同時にもみじと顔を合わせているのが気恥ずかしくて、顔をそらす。
「その反応、やっぱり見てたんじゃん!」
もみじは、真っ赤になって叫ぶと、その場から走り去って行った。
明日から、どんな顔をして会おうか……
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