第3話 数日
やっぱり、遅かったらしい。あれだけ僕を非難する空気が出来上がってしまうと、僕自身の言葉なんて信じてもらえない。それに学校という閉鎖された空間では、内部の変化はあっという間に広がる。
特にスマホをほとんどの高校生が持っている今の時代、グループ内アカウントを使ったSNSで盛り上がり、さらに別のグループに拡散してあっという間に飛び火する。
昼休みにはすでに、僕と葛城さんが親しげに話していたという噂が学校中に広まっていた。僕はクラス内のグループ内アカウントを持っていないのでわからなかったけど、葛城さんが知らせてくれた。
「ごめんね…… なんか大変なことになっちゃって」
また話しているところを見られるとまずいので、人が滅多にこない、閉鎖している屋上に続く階段の踊り場の上でスマホの画面を見せてもらった。
そこには、僕と葛城さんのあることないことの噂がこれでもかと書き込まれている。正直、見ているだけで吐き気がした。
葛城さんが根も葉もない噂を否定する書き込みをしてくれているけど、焼け石に水って感じだ。数が違いすぎる。
これからの学校生活が怖い。いじめられないか。
僕に付きまとって、変な動画を流されないか。
やってもない万引きとかをやってるような噂を流されないか。
体験したこと、ネットで見たいじめの例などが次から次へと頭に浮かんできて、怖い。
体が震えて、立っていられなくなりそうだ。
「大丈夫だよ」
葛城さんの、それほど深刻にとらえていないような声。
普段ならイライラしただろうけど、今は「大丈夫」という言葉を他人に言ってもらえるだけですごく安心した。
「みんな噂が楽しいだけだから。ほかに面白い話題があれば、すぐに興味なくすよ」
それはクラス内の信頼が厚い葛城さんだから言える台詞ではないだろうか。僕みたいな地味な陰キャだと、これがいじめのきっかけになっておかしくない。
「絶対、大丈夫」
今度は真剣な声。手を後ろで組み、顔を近づけてやや切れ長の瞳で僕のことをしっかりと見た。
さっきより近づいた距離に、シャンプーと彼女の汗が混じった甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
夏服のリボンをしっかりと閉めているから胸が上から見えることはないけれど、手を後ろで組んでいるから大きめの胸部が突き出て、ブラ越しの形が薄い夏服の生地越しにはっきりとわかる。
彼女はまだスリッパを履いている、捻挫した左足を指さした。
「わたしが昨日トレイルランして怪我したのは部員の子たちが知ってるから。皆に頼んで、谷風君がテーピングしてくれたって拡散してもらう。いざとなれば、谷風君がバスケ部で実際にテーピングしてもいい。あの手際を見ればみんな信じるだろうから」
彼女の熱意に押される。親身になって必死に対応を考えてくれる彼女がありがたい。
さっきの出来事とSNSはまだ怖いけれど、本当に大丈夫な気がしてくる。
でも。
「なんで、そこまでしてくれるの?」
彼女の厚意が素直に信じられなくて、そんな質問をぶつけた。
「なんでって? どうしてそんなこと聞くの?」
彼女はなぜか怒っているような目をしていた。
「友達が嫌な噂を流されてたら、助けるのは当たり前、でしょ」
当たり前。
その言葉に涙が出そうになり、同時に過去がフラッシュバックする。
友達だと思っていたら、いじめの主犯に脅されていじめる側に回った奴がいた。
そのことを糺しても、脅されてるから仕方ない、彼はキャプテンだから逆らうと部活の立場が悪くなる、と悪びれる様子さえなかった。
やってもいない噂を流され、僕はあっという間にクラスで孤立した。特にいじめの主犯のグループは同じ部活のせいか団結力が強く、大会に対しても僕をいじめるときも一致団結していた。
僕が部活というものを嫌いになったきっかけだと思う。
山にはまったのもそれからだ。人が苦手になって、一時期は人と話すのさえ怖くて、人のあまりいない場所を探した。それがマイナーな山で、山そのものが楽しくなってからはいろいろな山に登った。
立っているのも辛いほどに疲れはてると嫌なことを思い出さなくて済むし、綺麗な景色を見ていると心が洗われた。
記憶の中のクラスメイトと違い、目の前にいる葛城さんは、少し話しをして、捻挫の治療をしただけの僕を助けるのが当然、といってくれる。
嬉しくて泣きそうになる。目の奥が痛くて、鼻の奥がつんとする。
だけど、涙が流れそうになるのを唇を噛んで必死にこらえる。
葛城さんに変な心配はかけたくない。
「僕たち…… 友達なの?」
その言葉に、葛城さんは切れ長の目を丸くして呟いた。
「谷風君は変なこと言うね。怪我してたり、困ってるところを助けてもらったらそれ友達って言わない?」
今度こそ、涙がこらえきれなくなってすすり泣いた。
葛城さんは、そんな僕を見てびっくりしていたけど。何も聞かずに泣き終わるまでずっとそばにいてくれて。
「どんな事情があるのかは知らないけど、見なかったことにするね」
と明るく言ってくれた。
その後、連絡ができないと不便なのでメールアドレスを交換し、さらに僕たち二人のグループを作成した。
僕は生まれてはじめて、ラ●ンのグループに入会してしまった。
翌日、僕が教室に入るとそれだけで空気が嫌な方向に変わるのを肌で感じた。
昨日までは僕が挨拶すれば挨拶が帰ってきたけど、今日は何も帰ってこない。それどころか僕を見て露骨にひそひそ話をする輩までいる。
傷つかないよう、心をできるだけ空っぽにして席に着く。幸い、机はまだ悪口が書かれることもなく綺麗だった。
クラスに後から入ってきた葛城さんと目が合う。場の空気を感じてか声はかけてこなかったけど、目線だけで「大丈夫」と言ってくれた気がした。
葛城さんが他の部員に真相を話し、それをラ●ンと口コミで広めてもらうらしいけど、大丈夫だろうか?
昼休み、葛城さんと屋上に続く階段の踊り場で会うために教室を出る。その時に何人かの名前も覚えていないクラスメイトとすれ違うけど、ひそひそ話や露骨な舌打ちなどは聞こえてこなかった。
葛城さんと屋上で合流する。今の状況を僕が説明すると、
「わたしも少し見てたけど、ひどいね。とてもクラスメイトとは思えない」
そう言って怒ってくれた。誰かが僕のために怒ってくれる、それだけのことがすごく嬉しい。
「わたしのほうはね…… こんな感じ」
言いながら画面を起動し、スマホを差し出してくる彼女に対し、僕は目をそむけたけど。逃げていても、何も解決しないから。勇気を出して、画面を見る。
僕は目を疑った。昨日まで僕を非難する書き込みばかりだったのに、今日からは
『キャプテンの怪我の真相』
『足引きずってて、結構やばい感じだったけど手当てが良かったって』
『見た~。写真で見せてもらったけどあのテーピング、マジで素人?』
『同じクラスの谷風って男子がやったらしい』
『誰それ?』
『顔知らな~い』
『でも腕は確かっぽい』
『昨日キャプテンと情報交換してたけど、内容がマジだった』
『っていうか専門的すぎて聞いてもわからんしぃ』
と、僕を擁護してくれる書き込みが掲示板に増えてきた。いくつか余計な書き込みもあるけど。
ラ●ン上で場の流れが変わったのを感じた。
僕を揶揄する書き込みに対しては
『そんなことないよー』
『あのキャプテンの足、見てないの?』
と反撃の書き込みがあった。
「すごい……」
僕は呆然とつぶやく。
たった一日で、こんなに流れが変わるものなのか?
上手くいきすぎている、そんな違和感もあったけれど今はただ安堵と、驚愕で脳が満たされた。
「まあみんないい子だしね。それに、わたしの怪我の具合を知ってるし、頭を下げて頼み込んだらみんな張り切ってくれたよ」
彼女の一言で多くの人間が動き、そして学校中の意見と空気が動く。
バスケ部がそこそこの強豪で、学園内での地位が高かったことも一因だろう。
それに女子バスケ部キャプテンという彼女の人望の厚さを感じる。
僕が同じことを言っても、誰も信じなかったから。
場を支配できる彼女の凄さと。僕との差をまざまざと感じた。
それから数日で決着がついた。
やがて他のこと、夏休みや夏の大会、その後の文化祭などに関心が移っていくと自然と僕に対する関心は薄れていく。
数日後、僕がクラスに入っても周囲はほとんど気にかけなくなった。
教室内での空気も、大体元通りに戻っている。
こんなにもうまくいくのか、実は解決してないんじゃないかと不安だったけど。
「谷風君。多分、初めからみんなそんなにマジにとらえてなかったと思うよ? いいいじりのネタができた、って感じで」
葛城さんからそう言われて少し安心した。
だけど、一度標的にされるとまた標的にされやすくなる。「いじってもいい」という集団での認識はたやすく「いじめてもいい」という認識に変わりがちだ。
注意しないと。
でも注意って、どうする?
一番手っ取り早いのは、葛城さんみたいにスクールカーストが高いグループに入れてもらうことだ。ぼっちは標的になりやすい。
でも高校に入ってもう一年半近くが経過し、グループも大体が固定されている。
どうしようもないか。
隙のないように振舞っていくしかない。
それと協力してくれた子たちにお礼を言いに行ったが、概ねが好意的な反応だった。
信頼しているキャプテンと、それを助けてくれた男子、という見方で定着しているらしい。
コイバナ的に少しいじられたけど、そっけない対応をするとすぐにやめてくれた。
対応と目つきが少し怖い、と後で葛城さんに言われてしまう。
そのことを再び謝りに行ったが、今度は恐縮というか、「そこまでしなくても。そんなに気にしてないし」と引かれてしまった。
人付き合いってほんと難しいな。
ふと、教室にいたもみじと目が合う。彼女は他の友達と談笑していたけど、僕と目が合うと怖がっているような、悲しいような顔をしてすぐに目をそらした。
僕に話しかけようともしない。
そんな態度を見て、腹が立った。
もみじは友達だと思っていたけど、今回のことで何も動いてくれなかった。葛城さんと話していた時、もみじも一緒にいれば少しは違ったかもしれないのに。
自分勝手な考えだと、頭の隅ではわかっていても止められない。
もみじのことを何も考えず、僕に都合のいい考えを押し付けている。
彼女の性格や立ち位置なら、仕方ないことなのに。
怒りと自己嫌悪で頭の中がぐちゃぐちゃになる。
嫌な思いを抱えつつも、噂が落ち着いたので一安心と思いながら廊下に出る。
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