第2話 ヒロイン二人目
僕が住む飯能町は、都心から電車で一時間の位置にある人口十万人程度の町だ。
都心からだいぶ離れるから駅周辺は駅ビルやデパート、飲食店が立ち並ぶにぎやかな通りだけど、十五分も歩けばキャンプができるほどの川や空き地交じりの住宅地が目だつようになる。
昨日僕や葛城さんが登っていたさわらび山をはじめとして、歩いていける距離にハイキングに手ごろな山もあるから休日はそれ目当ての観光客も多い。
僕はさわらび山を目の前に臨む、私立名栗高校の校門をくぐった。すぐに校庭から野球部の掛け声、道場からは剣道部の気合が聞こえてくる。
名栗高校は進学校だけど勉強一辺倒ではなくスポーツにも力を入れており、スポーツ推薦で大学に行く子も多い。
僕はスポーツに縁が遠いので勉強で進路を決めようと思っているけれど。
というか、部活で仲間と一緒になって青春の汗を流すとか、一緒の目標に向かって一つになろうとか、そういうのが性に合わない。
それは他人と目標を無理やり合わせ、違う考えは排斥され、空気を読んで自分を殺す。
そういうのがどうも苦手だ。
校門をくぐり、グラウンドや道場を横目に校舎へ続く桜並木の道を通り過ぎると、シューズが床をこする甲高い音と、男女混じった掛け声が聞こえてきた。
普通なら気にもせず校舎に入って、ラブレターなんて絶対に入っていない下駄箱で靴を履き替えるんだけど。
少し気になって、体育館を覗くことにした。
体育館の入り口の大扉は換気のためか、開けられていることが多い。その隙間から体育館の中をそっと覗いてみた。
「もう一セット! 気合入れていけ!」
部員が男女に分かれ、号令に合わせて激しい練習を行っていた。
パス回し、ドリブル、シュートなどの基礎練からみっちりこなしている。その激しく躍動的な動きは、僕が一生かかっても真似できそうにない。登山ではほぼ歩くか、ストックをつくか、掴まるかくらいの地味な動きしかしない。
時折キャプテンらしい細マッチョの体格の男子が罵声を飛ばす。
他の部員は息が上がり、肩を上下させて額の汗をぬぐうけど決して動きを止めない。
うちの学校のバスケ部は中々の強豪で、インターハイまでは難しいけれど県大会には時々食い込むクラスだ。スポーツ推薦で入ってきた子もいるらしい、とクラス替えの自己紹介で聞いた記憶がある。
視線を動かすと、すね毛の混じった男子の足と、ユニフォームの下から覗く太腿が目にまぶしい女子のおみ足が目に入る。
そのうちに目標の女子を見つけた。
だけど、昨日僕が出会った女子バスケ部キャプテンである葛城さんは床に座って、見学していた。
ダークブラウンの髪が元気なさそうに垂れ下がり、テーピングをした足を抱え込むように体育座りして、走り回る他の部員たちを羨ましそうな、悔しそうな表情で見つめている。
その表情に何の意味があるのか。深いところは僕にはわからないけれど。
とりあえず、学校に来られるくらいには回復したらしい。それがわかっただけでも、ほっとした。
用が終わったのでその場を後にしようとすると、葛城さんと一瞬だけ目が合う。
僕と目が合うと、一瞬驚いたような顔をしてから相好を崩し、大きく手を振った。
自分が所属する二年三組の教室へ入る。
そのままクラスメイトと形だけのあいさつを交わしてから自分の席に腰掛けた。
人付き合いは面倒くさいことも多いけど、最低限のコミュニケーションは常日頃から行っておかないとかえって面倒だ。
風邪で休んだ時に授業の内容とか連絡事項とかがわからないし、いじめの標的にされるリスクも高まる。
孤高は格好いいけど、孤独は惨めなだけだ。
ふと。視界の隅に、反射された太陽の光が目に入る。
身構えるけどもう遅い。
背中に強烈な掌打が叩き込まれる。
衝撃が頭部にまで伝わって脳が揺さぶられ、同時に肺の空気が強制的に排出されて少しせき込む。
「谷風、おっはよ!」
快活というか大声の挨拶とともに僕の背中をぶっ叩いてきたのが「天城もみじ」だ。フレームのないメガネに肩まで下ろした栗色の髪、僕の肩くらいまでしかない小柄な体系が印象的な女子。
髪と同じ色のくりくりした瞳をはじめとして、可愛い系の顔立ちだ。
といっても、今時のリア充ではなく。
「なんか疲れてるねー。今日は始まったばかりなのに。あたしたちの戦いはこれからだよ!」
「疲れててもいいじゃない。戦いは終わってる。僕の好きな台詞は、自分で強いと思っている奴、自信満々な子にノーといってやることだ」
「いいね! 調子戻ってきた」
自分ではわからなかったけど、もみじがわかるくらいに疲れていたらしい。気遣われていたことに気が付き、僕は素直にお礼を言った。
もみじはこの通りノリのいいオタクだけど、気遣いができるし、インドアタイプではなく、聖地巡礼が好みというアクティブオタクだ。
小学生のころから親に頼み込んで関東近辺の聖地を巡礼し、高校になってからはバイトした金でさらに遠くに足を延ばしているらしい。
一年の頃、彼女が一人でネタ台詞を言っていた。
それが僕が好きなアニメだったので反応してしまったことがあり、それ以降こうやって腐れ縁が続いている。
それからもみじと今期の推しアニメについて一通り語る。
「そういえば、あのアニメの舞台いいね」
「うん。作画がマジで神。今期の覇権かも。一回行ってみたい……」
「そうだね。でも県外だし、結構お金かかるかな」
「お小遣いだけじゃ足りないし、バイトのお金切り崩すかな……」
その話題になったところで空気が微妙になる。
軽く地雷を踏んだことにお互いに気が付く。
そのまま話を切り上げようとすると、タイミングを見計らっていたかのように声がかけられた。
顔を上げると、ダークブラウンの髪の女の子が、やや切れ長の瞳で僕の顔を捉えている。
「昨日はありがとね」
葛城さんだった。足首に包帯を巻いて固定してあるせいか、左足だけ上履きではなく、大きめのスリッパをはいている。
「いや…… 大したことないよ。同じバスケ部の人たちなら、もっとうまくやれただろうし」
クラスメイトから褒められるなんて滅多にないから、謙遜しておいた。それについ一昨日までほぼ交流のなかった葛城さんと話すのは、まだ緊張する。
「そんなことないよ? 谷風君のテーピング、すごくよかったよ! 病院の先生も褒めてたぐらいだし、部活のみんなもびっくりしてた」
運動部のメンバーとか、医師も褒めてくれたのか……
嬉しくて、胸がくすぐったくなった。
「どうやったらあんなにうまくできるの? それにどうやって練習したの?」
「まあ、基本自分で巻いて練習したけど…… テーピングはいろいろコツがあるから、本や動画見ながら友達同士で巻く練習すると上達が早いかも」
はじめは緊張していたけれど、葛城さんと共通の話題があって、しかも自分の得意分野なので次第に上手く話せるようになっていく。
話題が変わったせいか、葛城さんが乱入してきたせいか、もみじはいつのまにか席を外していた。
というより空気が微妙になっていなくても、もみじはいなくなった可能性が高い。
話すことが楽しくて、それからも色々とテーピングや応急処置について情報交換した。
だいぶ話した、と自分でも思うと周囲の空気が少しおかしいことに気が付いた。
「なんで純子が、谷風なんかと親しげに……?」
「ってか、谷風生意気じゃね?」
「身の程わきまえてほしーよねー」
周囲の冷え切った声音。集団が、僕一人を非難している。それに気づいた時、心臓がひやりとするような感覚がした。
高校に入って、忘れていた感触。
中学の時は、ごく当たり前だった感触。
なんで教室みたいに、ギャラリーが多い場所で葛城さんと親し気に話してたんだ。
後悔して、自分に嫌悪する。
パニックになって逃げだしたくなるけれど、それをしても何も変わらないのは経験でわかってる。
まず、登山を思い出す。山で危ない目に遭った時を思い出し、それでもなんとか行動できたことを思い出して、必死に心を平静に保つ。
今更遅いとは思ったけど、周囲に聞こえるような声で、僕と葛城さんの間の事情を一言で説明しなくては。
「山の中で捻挫して、大変だったね。お大事に」
それでも、ぎこちない笑顔で話を切り上げるのが精一杯だった。
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