山に登ロウ 女子バスケ部部長を登山中に助けたら大変なことになりました。(GA文庫大賞二次落選)
霧
第1話 バスケ部女子部長との邂逅
抜けるような青空から降り注ぐ白光は、目を焼かんばかりに眩い。
だけど茂った木々の隙間を潜り抜けると、柔らかい木漏れ日になる。
松、杉、椎、など様々な木々が織りなす香り。
目線を横に向ければ鱗のような木肌の松の木、垂直な木の皮が幾重にも折り重なった杉の木、つるつるとした木肌で秋に備え葉を茂らせる百日紅など様々な木が生えており目を楽しませてくれる。
目を閉じるとより強く感じる、汗ばんだ体に心地よい風。立木が葉擦れの音によって奏でる音楽。
僕、谷風柳は週末の登山を満喫していた。
このさわらび山は往復二時間程度の低山で登山というよりハイキングだけど。
富士山みたいに絶景がみられる世界文化遺産でも、高尾山みたいに山の中では世界一の観光客が訪れるメジャーな山でもない。
地元のおじさんおばさん、もしくはせいぜい遠足の小学生くらいしか見かけないドマイナーな山だ。
ドマイナーでも、学校を始め普段の煩わしい人間関係とかを忘れさせてくれるから、僕はこの山が大好きだ。
何よりの登山の醍醐味は。一人で楽しめるということだと思う。
春は桜、夏は木陰、秋は紅葉、冬は雪。
四季に応じて色々な顔を見せるから、飽きないし来るたびに新たな発見がある。
一学期の期末試験が終わり、梅雨も明けたので久しぶりに登りに来た。梅雨が明けて急に上がった気温にさらされ、あっという間に額やシャツの下の体を汗が滑るように流れるけれど、木の匂いを含んだ風がすぐに乾かしてくれる。
ザックから水筒を取り出して麦茶を一口飲むと、僕はさらに下山していく。
明日は月曜日、また学校だ。
憂鬱というほどでもないけれど、楽しみというほどでもない。部活にも入っていないし、学校で熱中している趣味もない。
でもそれでいい。
傾斜が急になり、開けた場所に出る。小さな川が流れ、葦の広がる沼とその中央にウッドチップを敷き詰めた道が広がっていた。
ここからなら麓の道路まで歩いて十分もかからないだろう。
そこに、彼女はいた。
ドマイナーな山に似つかわしくない、僕と同じくらいの年齢の女子。
他の女子より少し高い背丈と、少し大きめの胸。
カラスの濡れ羽色を焦がしたような、ダークブラウンの髪。
活動的だけどふんわりして可愛い印象のあるショートボブ。
チークも何も塗っていないのに、自然な艶と赤みのある頬。
化粧の濃いギャルっぽい同級生と違って、素の可愛らしさを最大限に生かした感じで、それが緑と土の匂いに満ちたこの空間にうまく溶け合っていた。
同じクラスの葛城さんだ。たしか二年で女子バスケ部のキャプテンを務めている、クラスでも一際目立つ存在だ。
彼女も休日のハイキングなのだろうか? でも僕が気になったのはそこではなく、彼女が足首を押えて顔をしかめていることだった。
どうしたの?
そう聞こうとして、僕はためらった。同じクラスでも彼女とはほとんど口をきいたことがない。
男女ということを差し引いても少なすぎる交流だ。
でも仕方ない。かたや彼女は運動部のキャプテンを務めるクラスの中心人物。僕はクラス内でも目立たない、ほとんど友達がいない、空気のような存在。
幸い彼女は僕に気が付いていない。
このまま通り過ぎても問題ないだろう。
でも。顔をしかめて、痛そうにしている彼女を見たら、放っておくなんてできなかった。
辛いときに知らんふりをされるほど、嫌なことはないから。
「大丈夫?」
僕が彼女の上に影を作り、声をかけると葛城さんは顔を上げた。それだけで髪がさらさらと流れていく。
「君は…… 確か、谷風君?」
彼女は記憶を探る様子を見せず、僕の名前を言い当てた。
驚きだ。僕の名前を憶えてくれていたなんて。
「珍しい苗字だから印象に残ってて」
彼女は悪びれた様子なく、そう言った。まあそんなことだろうと思ったよ。別に期待なんてしてないけど。
「こんなところで、一人でどうしたの?」
「いや~、実はね」
彼女は頭をかきながら、事情を説明する。
「体力づくりのためにトレイルランっていうのを真似してみたんだけど。グラウンドとか体育館と違って、山道は凸凹じゃない? 慣れない道を走ったもんだから、足をくじいちゃって」
彼女はバツが悪そうに舌を出した。
「ふもとの道まで迎えに来てもらうように家族に電話したんだけど、そこまで行くのも大変で。いや~、慣れないことはするもんじゃないね~」
口調は軽いけど結構痛そうだ。いや、スポーツをしているから我慢することに慣れているだけか?
このままでも彼女はふもとまで行くことができるだろう。
どこで足をくじいたかはわからないけれど、一人でここまで下りてきたんだ。
でも、放っておけない。
「とりあえず、応急処置するよ。そこに座って」
ザックを下ろし、救急キットからテーピングテープとハサミを取り出す。
近くにサッカーボールをでこぼこにしたような形と大きさの石があったので葛城さんにそこに座ってもらうように促した。
「でも、谷風君。応急処置なんてできるの? バスケ部でも捻挫は時々あるけど、できる子なんて滅多にいないよ?」
「まあ、そこそこは」
これでも経験があるから言ったんだけどな。
とりあえず左足の靴を脱いでもらうと、健康的な肉付きのふくらはぎと足首のくびれが露わになる。少しドギマギするけれど、応急処置に専念しないと。
足首の付け根が赤く腫れていた。典型的な捻挫だけど、かなりひどい。
軽く触れてみる。
「痛っ……」
これだけで彼女は顔をしかめた。かなり重症だろう。
「とにかく、固定するよ。このままじゃ歩くことも難しい」
本当なら炎症を抑えるために冷やすのがいいけれど、水筒の中の麦茶は飲んでしまったし冷却用のスプレーはない。
まずはテープを踵に張った後両方のくるぶしの高さまで伸ばして切る。それから別のテープをその上から斜めに重ねるように張り、さらに八の字になるように足首から土踏まずのあたりまで巻く。
やり辛い。自分で自分にやるのと違って、人にやるのは見る角度も違うし、ズレが触覚などの感覚でわからない。
「んっ……」
葛城さんが痛みをこらえるようにくぐもった声を出す。
「谷風くん、まだ……?」
「もう少し、もう少しだから」
うまく巻かないと、歩いているうちにほどけてしまう恐れがある。
ここまで来たら、中途半端にはしたくない。
「なら、早くして。わたし、もうそろそろ……」
赤く腫れた患部の上に差し掛かったので、さっきより痛みがきついのだろう。
「大丈夫、もうすぐ終わるから。だから力を抜いて、身を任せて」
そうしてくれないと巻きにくい。
「うん、うんっ……!」
彼女は目を固く閉じて、痛みに必死に耐えていた。
結構重症なので、さらに踵を固定するテープを張っておく。
「終わったよ……」
「ありがとう…… すっごく上手で、良かった。こんなの初めてだよ……」
葛城さんは恐る恐るテーピングした足首の上に靴下を履き、更に靴を履いた。
どうだろうか?
彼女は怪我していない右足に重心をかけながらゆっくりと立って、重心を徐々に左足に移していく。
「痛くない……?」
不安になって、恐る恐る聞くけど。
彼女の反応は、僕の不安を吹き飛ばしてくれた。
「さっきまでと全然違う! 谷風君、すごいよ!」
葛城さんはぱっと、華やいだような笑みを浮かべる。
思わず見とれるほどに純粋で、魅力的で、心が引き込まれるような感じがした。
「まあ、ね……」
気恥ずかしくなって、一瞬声が上ずってしまった。
「一人でそこそこの山に登るときはあって困る技術じゃないから。それにお母さんが看護師で、色々教えてもらえたし」
もし高山で足首を痛めて動けなくなれば命にかかわる。救助隊が来てくれるとは限らないのだ。可能な限り応急処置をして自力で下山できるスキルがあったほうがいい。
母親が看護師なので、方法を教えてもらったり本を貸してもらったりして覚えた。
だけど葛城さんは左足に全体重を移したところで顔をしかめた。
「ほら、無理しないで」
僕はザックから予備のストックを一本出し、ボタンを押して長さを彼女の身長に合わせて調整してから渡した。ストックは登山用の杖で足にかかる負担を軽減する効果がある。僕の持っているものはアルミ製なので軽く、伸び縮み可能なのでザックに入れておけるのだ。
「ストックはそのグリップを持って……」
ストックの使い方を教える。彼女は呑み込みが早く、すぐに様になるけど、ストックで体重を分散させてもまだ痛そうだった。
「谷風君、肩を貸してくれる?」
葛城さんの要望に、僕は深く考えずに腰を少しかがめ、彼女の脇の下に僕の体を入れて彼女の体を支えようとする。
でも、これって無茶苦茶ヤバい姿勢じゃないか?
葛城さんは身長にふさわしく結構胸が大きい。
肩に伝わってくる柔らかい感触に脳みそが溶かされそうになる。
運動した後だからか、消臭スプレーでも消えない女子の甘い匂いが強く感じられて下半身的に非常によろしくない。
「どうしたの? 早く行こうよ?」
でも葛城さんはこの状況を全く気にした様子がなく、僕に抱えられても平然としていた。
その反応に少しがっかりするけれど、当然か。彼女にしてみれば僕なんか男として見るほどの価値すらない、それだけのことだ。
それとも男慣れしていて、これくらいの接触では何も感じないのだろうか?
そう思うとイラっとして、少し強引に彼女を引き寄せてしっかりと体重を支える。
「きゃっ……」
なんだか弱弱しい声を出すけど、それも男慣れしてる女子のテク、というやつだろうか?
そう思うとさっきまでのドギマギを感じなくなる。
「じゃあ行くよ。車道まではすぐだから」
葛城さんはストックと怪我したほうの足を同時に出し、次に怪我してないほうの足を出す。二点歩行というやつだ。
僕の方は少しよろけるけど、登山でそこそこ体力が付いたせいか女の子一人支えるくらいなら問題ない。
密着度がだいぶ高くなるけれど、葛城さんが気にしていないんだから構わないだろう。
それにしっかり体をくっつけないとマッチョでもない僕の力じゃ支えきれない。
「た、谷風君……」
心なしかさっきと顔色が違う。健康的な赤みでなく、むしろ照れているような感じだ。
「……何か?」
でも僕はあえてやや塩対応で答える。これもきっとテクニックに違いない。うん、きっとそうだ。
「……なんでもない。これなら…… 大丈夫そう」
でも彼女は顔を赤くしたままで。
目的地に着くまで、彼女の口数が極端に少なくなった。
土と石、草が混じった道を転倒に気を付けながら進み。
最近、浅い山でよく見かける木片いわゆるウッドチップを敷き詰めて草が生えないようにした道を通り過ぎ。
やっと、車がびゅんびゅん通る舗装された道まで出た。女子とはいえ、人に肩を貸して歩いてきたせいかだいぶ腕や足がだるい。
人一人支えて歩くのがやっと終わると思うと、排気ガスを出して走る車と、目の前の公園と横にあるコンビニに癒しを感じる。
「ここまでくれば大丈夫」
彼女から体をそっと離す。柔らかさとぬくもりが離れ、勿体ないような、寂しいような気がした。葛城さんがどんな顔をしているのか。照れているのか、僕を手玉に取って喜んでいるのか知りたかった。
けれど道路の方へ目を向けており彼女の顔は見えない。
近くの道路に白い軽自動車が止まっており、葛城さんが手を振ると彼女に似た妙齢の女性が運転席から出てくる。
母親らしいその人に彼女を預け、事情を説明してから病院に行くように勧めた。
大きな病院なら休日の午後でも診療しているところがあるはずだ。
僕にお礼を言った後、葛城さんは車に乗り込む。
その後、走り出した車の窓から身を乗り出しながら、僕に手を振っていた。
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