第5話

 慌てて飛び込むようにスクールに駆け込んだけど、もう既に1時間30分の遅刻。

 それでも、一分でも多く学ぶ時間を得たいのでダッシュしたけれど、焦りは何時も気を付けている事さえ忘却に帰する。


 いつもスクールに通う時は必ず動きやすいパンツとパーカーで来るのだけど、今日はアルバイトの格好のままに来てしまった。

 しかも、お化粧でバッチリお出かけ使用。


 3時間の延長。

 彼の笑顔を私の予定で潰すのも忍びなかった。

 けれど、3時間。


 いや、お仕事だから相手の都合を優先させるのは当然だけれど。

 結果的にはって事なんだよね。


 精神的に疲れ果てていたし、コートも着込んでいたのも仇になった。

 お蔭で全く気が付けなかった。



 ガチャン

 教室の防音扉の重たい扉を開き授業中の先生に声をかける。



「遅れました。すみません」

「ん?誰だ?」

「えーと。一ノ瀬 織姫です」

「お?一ノ瀬なのか?マジか」



 軽い口調の講師である織田先生と対話する。

 そして他の生徒がざわざわし始める。

 授業を中断させてしまった罪悪感がそっと胸に落ちてくる。



「ほお。変われば変わるものだ。女性とは恐ろしいものだな。随分と年上に見える」


「え?」


 言われた事が初め理解出来ず、けれどアルバイトから直接来てしまった事を思い出す。

(うわ。やらかした)


 思ったけれど、そのまま来てしまったのは仕方がない。

 まだ、スクールという実生活から若干離れた立ち位置での身バレだったので、とりあえず自分の中でギリギリセーフにして、心を落ち着かせる。



「 そんな事より時間も押していますので続きの授業をお願いします」



「おお、そうだな。一ノ瀬は初めの内容を聞いていないから、ざっと説明すると、演技には技術も必要だが、心も必要だという感じの事をやっている。

 今はランダムに相手を指名して各々自分に合った心の表現の仕方を披露し合っている所だな」



「成る程」



「せっかくだから一ノ瀬やってみろ。相手はそうだな、掛井、相手してやれ」

「あ、はい」



 掛井さんが前に出たので、私も前に行き彼と対面する。



「掛井君。よろしくね」

「うっあ、はい!」



「ハハハ!掛井、なんだ?一ノ瀬の色香にやられたか?」



「ち、違います!茶化さないで下さい。一ノ瀬さんよろしくお願いします」

「はい。お願いします」



 ◇

 ・

 ・

 ◇



「それじゃあ今日はここまで。各自色々試して練習してこいよ」



「「「はい!ありがとうございました」」」



 ざわざわとまた騒がしさが広がってゆく。

 そんな中、声をかけられる。

 掛井さんだ。



「一ノ瀬さん。今日はありがとう」

「いえ、私も色々と勉強になりました」



「一ノ瀬さんは勉強熱心だね。養成所卒業したら芸能事務所で色々オーディション受けられるらしいし、いつか一緒に仕事出来たらいいね」



「……そうですね(私は芸能界入りする予定はないですが)」



「その……今日の分……前半聞けなかったでしょ。この後、一緒に飲みながらでもどうかな?」

「あー、掛井ずるいぞ!一ノ瀬ちゃん、俺もいいよね?」



「ちょっと貴方達、一ノ瀬さんが困ってるでしょ!こんな奴らほっといて私達と飲みに行こう?ね!」

「そうそう、うちらとの方が絶対楽しいって」



「なんだよ!内田!俺達が先に誘ったんだぞ!」

「そーだそーだ!」



「なんか増えてるし。一ノ瀬ちゃん皆で行く?」


「えーと」

「ごめんね。一ノ瀬さん。なんか俺が誘ったばっかりに」



「ふふ。いえ、お誘いありがとうございます。

 でも皆様、一つお忘れかもしれませんが、実は私、まだ未成年なんです。

 なので大変有難いお申し出ではございますが今日はお暇させて頂きますね」



「うっわ。一ノ瀬ちゃん。やっぱ笑った顔めっちゃ可愛い。いつもそれでいれば……は駄目だね。

 狼どもに四六時中狙われる。うーん。一ノ瀬ちゃんはやっぱ無表情キャラで」



「うんうん。俺達だけの一ノ瀬ちゃんで居てくれ」

「うわ!吉川マジ鳥肌なんだけど。きもっ!」

「なんだよ!皆だって思ってるだろ!」

「いや、俺は」

「うん。だよなー」



「吉川だけだっつーの!マジあり得ない」

「う、裏切り者ー!」



「……あはは(あー。彼女バージョンを引きずるとか。今日は駄目ダメだ。うう、早く帰ってお風呂入って寝たい。明日の学校準備もしなきゃ。ハア)」



「じゃあさ、晩御飯ならどう?」

「えーと、ごめんなさい。もう食べて来ちゃって」



「そっかー。残念フラれてしまった」

「ええ?」



「ふふ。冗談冗談!でも食べてきた……ねぇ~」

「え?な、何か?」



「ふーん。成る程成る程。一ノ瀬ちゃん。その格好といい、お化粧といい。ずばりデートでしょ」

「な!」



「え!マジなの!彼氏いるの!」

「うわ。マジか。まあ、いるよな。普通こんな美人なら」



「えー。お姉さん気になるな~。どんな彼?同高?でも今の一ノ瀬ちゃんなら年上彼氏かな~?」

「あー、それあるー!」



「いえ、いませんから」

「えー。本当にー?」

「正直に言っておいた方が良いよー。じゃないと、ここら辺の狼どもが、ずっと狙ってくるよー」



「ええ?……ではノーコメントで」

「はい!いる~!残念だったな!野郎共!」



「うわ。やっぱりかぁ!」

「マジか~」

「ショックでかいわ~」





 どうやら今日、私に彼氏が出来ました。

 エア彼が……。

 うん。どうでもいいな。

 


 えーと……もう帰っていいかな?

 いいよね?

 

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