結ぶ

増田朋美

結ぶ

結ぶ

中川智子は落ち込んでいた。

また、友人だと思っていた人に、別れようと切り出されてしまったからだ。

原因は、単純な事であるのかもしれないが、複雑なことだった。

智子が、障碍者に区分されること。それによって、家族の援助なしでは生きていかれないこと。

智子は、それを相手に探り出されると、怖かったのだ。

きっと、その先には、親は先に死んでしまうから、早く働けとか、働かざる者食うべからずといったような、言葉が待っているのだろう。それだけは、どうしても聞きたくなかった。それを言われると、返す言葉を失ってしまう。相手は、智子のことを心配して言ってくれるのだろうけど、智子は、それを言われると、もう自分の弱みを握られたようで、怖くなってしまうのだ。もし、相手の人が、自分のことを、誰かに話したらどうしよう。そうなったら、自分だけではなく、家族までもが、娘を甘やかしている、という批判にさらされることになる。それだけは、どうしても避けたかった。自分のことで自分が傷つくのはまだいいが、家族まで傷つくのを見るのだけは。

だから、智子は、そういう友人関係を持つのをできるだけ避けてきた。

容姿だって、派手な格好はせず、できるだけ異性に興味を持たれないようにしてきたつもりだった。

でも、寂しかった。

それを聞いてくれる存在が欲しかった。ただ、一言、つらかったね、だけでいいから、そういうことを話せる人間が欲しい。そういう時に、インターネットは格好の媒体だった。SNSで友達を募集すれば、すぐに何人かの人が来てくれる。SNSではできるだけ自分の悩みなどは描かず、容姿や今日作った料理を掲載する程度にしていた。それでも、一生懸命普通の人を演じていた。確かにSNSでは、仕事を中心とした投稿をする人は少なく、私生活について投稿する人が多かったため、さほど大変なおもいはしなかった。しかし、異性の中には、SNSではなく、メールアプリで直接交流しようと持ち掛けてくる人が多い。そうなると、うまくいかなくなるのだ。智子さんを彼女にしたいという投稿ばかりが目立つようになり、あなたのことをもっと知りたい、などと言って、家族構成や、仕事内容を聞いてきたりする。そういう人に、智子は、自分の住んでいる家の事なんて教えたくないのだ。さらにひどい例では、年がら年中智子のそばにいるといっておきながら、実はそうではなく、智子の行動や居場所を一日中監視するという姿勢に変わってしまう。それをやめてというと、相手は愛しているという。なんで、今日あったことや、出かけたことを、全部報告しなければならないのか、智子はわからなかった。それに、なんでもさらけ出してしまえば、また弱み握られる恐れがある。そうなったら、一貫の終わりだから、智子はそれをしたくないのだった。できることなら、SNSに書き込んだ時のような、ドライな関係で、悩みを聞くとかしてもらいたいけれど、そういうことは、個人的に関係をもって、自分のことを相手に全部伝えて、一日に何があったのか全部報告して、ということをやらないとできないということがわかってきた。

智子は、一日家にいるということを、誰かに知られたくなかった。それをしたら、犯罪者という人さえいることも知っているし、家の家族の人たちは、先に逝ってしまうのも知っている。そんなことを言われても、智子は車の運転ができないし、支援センターのようなところに行くこともできない。障害年金とか、そういうことも、家族が必要ないと言って、まったく理解してくれない。せめて親からの援助で生活しているという「恥ずかしさ」は障害年金で解消したかったが、家の経済状況では、それをもらう必要もないからと家族に反対されて、理解してもらえなかった。

家にいてもつらかった。常に罪悪感が彼女に降りかかってくるのだ。なんで生きているんだろうという罪悪感だ。人間にとって一番の幸せは、結婚して家を出て、別の家庭を作ることができるということだと智子は、家族や親せきの話で確信している。だから、それができない人間は価値がないと言っても過言ではない。かと言って自分の道を探そうといってくれる人がいるが、まず、車がないのでハローワークや支援センターに行けない。他人を頼ってもいいのではないかと言ってくれた人もいたが、そんなことを家族にばれたら、まさしく自分の住む場所がなくなってしまう可能性があるので、家族には言えるはずもないし、そんな人がいるなんて家族は理解してくれないだろう。だって、知らない人の車に乗ってはいけないというほど、厳格な家庭なのだから。だから、そういうことも智子はできなかった。

文字通り、智子は空虚な家の中で生きているだけだった。生産的な活動も何もできない。できることと言ったら、家の掃除や料理をすることくらいだ。後は、パソコンに自分の思いを描くことである。

ふと、智子は、机の上に小さな黄色いカードが置いてあるのを見た。そう、臓器提供意思表示カードである。私は、こんなにも役に立たない人生ばかり送ってきた。だから死んでからは、体を恵まれない誰かに使ってほしい。それは、私が一番やりたかったけれど、やることができなかった、社会参加というものになるのだろうから。

智子は、そのカードを宝物として、自身で保管していた。もし、それができれば、役に立たない人間であっても、最期の最後だけ役に立つことができるから。

智子が、そのカードを財布の中にしまって、また、気持ちを吐き出すためにパソコンに向かおうかと考えていると、

「智子!」

と、お母さんが自分の部屋に入ってきた。

「悪いんだけど、郵便局いって、これ、出してきて。」

お母さんは智子に、一枚の茶封筒を渡した。高齢になったお母さんは、時々智子にこういうことを頼むことがある。遠方なら車に乗っていけばいいのだが、近くには出させないと、という想いがお母さんにはあるらしい。

「了解、行ってきます。」

智子は、お母さんに渡された茶封筒をカバンの中に入れて、郵便局へ向かった。とりあえず、郵便局は歩いて五分程度のところにあるのだ。郵便局へいって、ちゃんと茶封筒を郵便で送ってもらえるように頼むことはできた。智子はそういうところはちゃんとできる人だった。精神障害があると、なかなか自分の意思を伝えることができない人が多いが、智子はそういうことはできる。だからこそ、障害年金には該当したくないと家族は思っているかもしれない。

郵便局で、用事を済ますと、なんだかまっすぐ帰るという気にはならなかった。ちょっと、公園でもよって、ぼんやりしたいなあと思った。まあ、そういうことは、家族も許してくれている。多少遅くなっても、そういうことをしていたと言えば。

智子は、郵便局近くの公園に行った。平日であるから、子供が遊んでいるということもなかった。公園は文字通り誰もいないだろう。それなら、一寸東屋にすわってのんびりできるかなと智子は思った。

公園の東屋に入ると、東屋は一人先客がいた。自分と同じくらいの若い女性であった。彼女は、東屋のテーブルの上で、小さな動物を遊ばせていた。一尺くらいの大きさで、オコジョのような顔をした全身白い動物である。

「あ、あの、座ってもいいですか?」

と智子は、そのひとに聞いた。

「ああどうぞ。座ってください。」

とその女性は、にこやかに言ったので、智子は彼女の隣に座った。智子の顔を見ると、小さな動物が、あいさつでもしているかのようにちーちーと鳴いた。

「この子はね、私が預かっている、アンゴラフェレットの正輔君。」

と、その女性が言う。つまりこの白い動物は、名前を正輔君という、アンゴラフェレットという動物であるらしい。

「アンゴラフェレット?」

「ええ、フェレットというイタチの仲間なのよ。フェレットは、もともとヨーロッパケナガイタチが家畜化されたものなんですって。昔は下水管の掃除で飼われていたらしいけど、今はペット用で買われているのよね。」

と、女性は説明してくれた。

「そうなんですね。フェレットって初めて見ました。でも、フェレットと言ったら、四本足よね。この子、左の前足が欠けている。」

と、智子はその小さなフェレットを見て、そういうことを言った。確かに目の前にいる小さなフェレットは、前足が一本ついていなかった。なので、体を引きずるような感じで歩いている。

「ええ。それはそうなのよ。なんで三本足になっちゃったのかは、誰もわからないんですって。でも、人にも慣れているし、のんびりしていて、すごくかわいわよ。」

と、女性は、言った。

「何よりも、この子はあたしたちに癒しを与えてくれるもの。」

そうなのか。フェレットがそういうことを言われるのなら、私は、何なのだろう。容姿もかわいくないし、癒しの存在でもない。

「あたし、、、。」

智子は言おうとしたことを言えなくて、ちょっと口ごもった。

「どうしたの?」

と女性が言う。智子は彼女に、話してしまいたくなった。自分が、家の中でただいるだけしか役割がなく、社会参加も何もできないこと、支援センターにも車がないから通えないこと、親が障碍者手帳など福祉サービスを使うのを、世間体が気になって、嫌がっていること。そして、自分の生きる道は、親の庇護を受けながら、ただ何もしないで生きていくしかないということ。

「話したいなら話しちゃった方がいいわ。私は異性ではないから、あなたを恋愛の対象にするとか、所有物にするとか、そういうことはしないわよ。」

彼女はそういってくれた。ああよかったと思った。小さなフェレットが、一寸心配そうな顔をして、智子を見つめている。

もう、こうなったら、話してしまうしかないと思って、智子は悩んでいることを全部彼女に話した。不思議なことに、異性であれば、自分の彼女になれば大丈夫だとか、そういう答えが返ってくることは目に見えているので、一寸怖いのだが、今日は何も恐怖感を感じなかった。同性と言うこともあるのだろうか、それとも、現実でこういう現象があったのは初めてで、何もいうことができないのだろうか?

いずれにしても、智子は、最後には涙まで見せながら、自身の半生を語った。家の中でいるようでいない存在として生きていかなければならないということも話したのである。

「あたしが、ここで生きていくには、自分の意思というものを消さなきゃいけないんです。それがないと、私は、生きていくことができない。」

智子は、泣きながらそういうことを言った。

小さなフェレットが、智子のことをじっと見ている。どうして君は泣いているの?と言いそうな顔で。

「そうなのね。私もそういう感じよ。同じように、一人で自分の意志を消しながら、生きてる。ただ、一つの家の中で、年配の人に見てもらいながら、まるで食べさせてもらっている人形みたいにね。私なんて、博多人形と一緒。」

ふいに、前方からそういう言葉が返ってきたので、智子ははっとした。

「やっぱり、収入を得ていないと、人間は生きてはいけないというか、利益を生み出さない人間は、生きてなんかいなくても、どっちでもいいのかもね。」

と、彼女はそういうことを言う。

「きっと、世の中ってのは、利益を作り出せる人間のためにしか動いてないのよ。それが、すべてなの。」

それなら、私も一緒に死にたいと、智子は口にしようと思ったが、彼女は、続けてこういう事を言った。

「でも、私、まだ何かやりたくて、ここに生きているのだから、それでは、何かしたいと思って、こうしてペットを預かるちょっとした仕事をしているのよ。この正輔君は、私の友人から、お願いされて、こうして預かってるの。だから、こうして散歩に来ているのよ。」

「そうですか、、、。もう仕事を始めているんだ。」

と、彼女の言葉に智子は、ため息をついた。

「仕事なんかじゃないわ。一日千円とか、そういう料金しかもらえないもの。まあ、そりゃ、10日くらい預ければ、確かに収入になるのかもしれないけど、今のご時世、10日も旅行する人なんていないでしょうからね。」

「そうなんですか、、、。」

と、智子は、そういって、顔をだらっと落とす。

「でも、何もしていないことで自分を責めてはだめよ。まず初めに、言っておくけど、生きていなければ、こういう事にはありつけないわ。それをちゃんとわきまえておいてね。」

と、彼女は言った。

「何をするにも、生きていることが大事なのよ。それをしっかり押さえておかなくちゃ。いざ、こういう仕事にありつけたとき、健康でなければ、仕事も、受け負えないわ。」

「あの、すみません、お名前をなんていうんですか?」

と、智子は、その女性に、そういうことを聞いてみた。

「ええ、私は諸星正美。変な名前だから、覚えられると思うわ。」

諸星正美さんは、そういうことを言うが、何も謙遜することはないと智子は思った。変な名前なんて、どこにもないと智子は思っている。

「では、どうして、その動物を預かる仕事を始めたんですか。何かきっかけがあったんでしょうか?」

と、智子は諸星正美さんに聞く。そこを一番聞いてみたい。大体の人は、仕事は自分で見つけるとか、甘えるなとか、かっこいいセリフを言うけれど、それのせいで、智子は痛く傷ついてきた。

「そうね。あたしができることと言えば、昔から動物が好きで、犬を飼うのも、いとまなかったからかなあ。」

と、諸星正美さんは答えた。

「そうですか。やっぱり、好きなことを、やるのが一番の近道でしょうか?でも、好きなことをやっていると、あいつは好きなことばっかりやっているって言って、まわりの人から、批判されて、それだけですよ。」

と、智子は言った。こればかりは、いくら慣れても、つらいセリフだった。

「確かにそうかもしれないけど、それでも、好き嫌いは、やっぱり仕事選びの基準になるとは思うわね。あたしは別に、何かしてもらったわけでもないし、自身で動物を預かるって、宣伝したわけではないわよ。あたしは、ただ、犬を飼っているって、動画サイトに載せただけ。できることをしただけの事よ。ただ、できることを、自分の中だけに閉じ込めちゃいけないわ。やったことはそれだけかな、自分を自分の殻に閉じ込めないで、どんなことでもオープンにしておくこと。それを私は動画サイトというサイトに載せただけ。」

と、諸星正美さんは、そう言った。

「それだけでいいのでしょうか。」

「ええ、いまの時代、なんでも公開できてしまう時代だから、それを、オープンにしていけば、それでいいのよ。」

智子は、諸星正美さんの言葉に、いろんな気持ちがわいてきた。ある時は、そんなことできるかとか、ある時は、そんなことをやっても、意味がないとか、ある時は、なんでそんなに抽象的なことを言うのとか。でも、諸星正美さんの言葉に、嘘はないと思った。

「でも、犬を飼っていて、費用がかかるとか、そういうことは、誰かから、責められることはなかったんですか?」

智子が聞くと、

「いいえ、仕事が見つかれば、誰でも人間安定するようになるのよ。仕事に助けてもらえるの。その仕事に、助けてもらって、また人間は生きていけるっていうのは本当ね。」

と、諸星正美さんは答えた。

「そうですか。あたしは、好きなものもなければ、好きなこともない。みんな、生きていく間に捨てちゃったわ。親の庇護を受けて、生きている間に、好きなことも、皆捨てちゃった。」

と、智子は言う。

「でも、それはある意味仕方なかったと思うわよ。そうしなきゃ生きていけなかったのでしょうから。でも、それまでのことはそれでいいの。これからどうするかを考えましょ。」

諸星正美さんに言われて、智子はまた泣きたくなる。これから何て、これ以上生きているのは、もう嫌だと思うこともあったのに。もう生きていたくなんてないなと、思ったことさえある。

「そうね。でも、あたしは、もうやることがないから、、、。」

「じゃあ、一緒に、この子とお散歩してみない?」

と、智子が泣き出すと、諸星正美さんは言った。東屋のテーブルの上に、ハーネスを付けた、地井さなフェレットが乗っている。智子は、こんな頼りない動物と一緒に歩いて何を得られるのだろうか。と思いながら、智子は、椅子から立ち上がった。

「それでは、行きましょうか。」

諸星正美さんは、その小さなフェレットのリードを智子に渡した。小さなフェレットは、地面の上に立った。でも、前足が一つ欠けていたから、もう一つの前足で、全部の体重を支えることができず、胸を引きずるような仕草で、よいこらよいこらと歩いている。そんな動作が本当にかわいそうで、智子はどうして彼を生かしておくのだろうかと思ってしまった。

「正輔君だっけ。歩くの大変そうね。」

と、智子は、そういうことを言った。

「でも、彼にとっては気持ちのいいお散歩なのじゃないかしらね。きっと三本足になっても、楽しく生活していると思いますよ。」

と、諸星正美さんは言った。

「だって、この子は、家の中で一日中いる動物じゃないの。家の中に、ずっといさせてしまう方が、かわいそうだわ。胸を引きずっていても、歩かせてあげなくちゃ。」

「そうね。でも、家の中にいた方が、幸せなんじゃないかしら。だってえさだって、毎日もらえるし、外は、けっしてこの子のためにできてはいないわよ。外に出てつらい思いをするよりも、家でかわいらしいペットとして、飼育されていた方が、幸せなんじゃないかしら?」

と、智子が聞くと、諸星正美さんは、

「ええ、それがきっと、あなたがしていた間違い何だと思うわ。そういう風に、家の中で閉じこもっておくほうが、幸せだという考え方。そうじゃなくて、人間も動物も、いろんな人がいて、いろんなところに行けるのが幸せということだと思うわよ。」

と、言った。それを聞いて智子の中で何かが動いた。それは間違いだったというのか?だって、この世の中に適さない人間も動物も、世の中に出ないで、施設の中で何事もなく幸せに暮らしていられることこそ、本当の幸せなのではないかと思っていたのである。

小さなフェレットの正輔は、その間にも、胸を引きずり引きずり、よたよたと歩いているのであった。

正美さんは、階段とか、排水溝の上などに遭遇すると、彼をよいしょと抱きかかえた。そういうところは危険だというのはちゃんとわきまえているらしい。でも、平らな道であれば、自分で地面を歩かせることを、心がけているようなのだ。

「もちろん、階段を上り下りしたり、マンホールの上なんかを歩かせるのは危ないのはちゃんとわかるから、それは助けてあげないとだめだけど、全部に手を出してしまったら、正輔君は、余計にかわいそうになるわね。」

諸星正美さんは、そういうことを言いながら、道路を歩き続けた。もちろん、車の多い大通りなんかを歩くことはないから、正輔君が触れられるのは、ほんの狭い世界かもしれない。でも、彼女の手を借りて正輔君は、静かにあるいている。其れこそ、正輔君にとって、必要なことなのかもしれなかった。そして、その正輔君の世話をしている正美さんも、正輔君に世話役という役目をもらっている。人間も動物もそれは同じ。そう考えると、正輔君も正美さんも、必要があって結ばれるということなのだと智子は思った。

そうなると、私は誰ともつながっていないと智子は思ったが、ふいに諸星正美さんの言った言葉を思い出す。

「自分の殻に閉じこもっていてはダメ。誰でもオープンに公開できるツールが、今の時代にはある。」







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結ぶ 増田朋美 @masubuchi4996

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