二章1 『新しい自分』
「どなたですか、貴様は?」
顔を合わせるなり柚衣が開口一番に発した一言は、それだった。
不躾(ぶしつけ)な問いに俺は。
「……誰なんだろうな」
意を同じくしていた。
今聞こえたのは、自分の発した声のはずだ。
しかしその声音は聞き慣れないものだった。
長らく俺の喉から発されていた声よりもトーンが数段高くて、耳に心地よい。心に陽光みたいに差し込んできて、聞いていると気分が明るくなってきそうだ。
俺は今、柚衣を見上げていた。
座っているわけではない。
元の身長は俺の方が若干高く、目線はほぼ水平に合うはずだ。
では高低差か?
否(いな)。残念だが、それも違う。
俺と柚衣は同じ部屋の、同じ床に、同じく立って向かい合っている。
つまるところ、身長差以上の条件によって頭の位置が変わることはない、というわけだ。
俺は肩を上下させてライトとヘビーの中間ぐらいのため息を吐き、端的に疑問を呈した。
「んで?」
「で、とは?」
「説明してくれないか、現状を」
「私にですか?」
いかにも予期していなかったという驚きの顔。
俺は当然というようにうなずいてみせる。
「お嬢がご説明なされたと思うのですが」
「まあ、一応は事情を聞かされた」
「だったら――」
「より客観的な意見を聞きたいんだ」
柚衣はイヤそうに目をすがめる。
その顔には『んな二度手間な。時間の無駄でしょうに』と書いてあるような気がした。
だが俺は辛抱強く訊いた。
「俺は未(いま)だに、自分の置かれた状況をきちんと理解していないと思う。霧がかかった砂漠の中で麻雀牌を一つ探しているような気分なんだ。麻燐の説明もあっちこっち行ってわかりやすいものじゃなかったしな」
ベッドに腰かけている麻燐を見やると唇を尖らせて睨んできた。しかしどれだけ不満をぶつけられたところで、現実は変わらない。感情論という言葉はよく揶揄(やゆ)に使われるがそれは精神を現実に影響を与えるよう上手く働かせる術(すべ)を知らない人間達によって実例が作られて、さらにその一部始終を知った人間がどんどん広めていったことによって定着したのだろう。今の彼女のように。
柚衣はつんと澄ました顔で、俺の背後を顎でしゃくって言った。
「そんなに現状を知りたいなら、実際に貴様の目で確かめてみればいいでしょう」
俺はそれに従い、背後を振り返った。
そこには龍の装飾品で枠を作られた全身鏡があった。
この世界でも鏡は現実を左右反転させて映すものとして存在していた。
鏡面にはとてもクリアに室内と俺と、背後の柚衣が虚像として存在している。
鏡は鏡自身の与えられた役目を常に全うし、現実を忠実に映そうと常に努めている。その努力を人間達に評価され、日用品として使用されるようになった。鏡を毛嫌いしている人間は少なくないが、彼等のほとんどが一度は世話になっているはずだ。
鏡は三百六十五日、二十四時間休みなく働き続ける。少なくとも俺はヤツがサボっているところを見たことがない。
ゆえに今も真実をありのまま伝えようとしているはずだ。
しかし今の鏡面には、俺が映っていない。
俺と同じ所作をしている人間がいるが、ソイツの姿は二十年近く――望むともそうでないとも関(かか)わらず――共にしてきた姿形とはまるで違う。蛾(が)と蝶(ちょう)ぐらい。
前者が以前の俺で、後者が今の俺だ。
そこには蝶の羽のような、美しい漢服を着た、可愛らしい少女がいた。
麻燐でもなく、柚衣でもなく。
俺のことである。
麻燐よりも少し身長が高く、髪は栗色でくるんとカールしている。
丸く大きな瞳はオニキスのように黒く輝いており、肌は絹のように白く柔らかい。
体はほっそりしており、胸は少し出ている。
成長途上という感じで、日本なら初めて制服に袖を通したぐらいの年齢だろう。
きれいというより、やっぱり可愛いといった感じの子だ。
着ている漢服も、正装というよりはコスプレといった印象。この例えは麻燐には伝わらなかった。
「理解できましたか?」
「わかった、俺の言い方が悪かったよ。確かに現状はこの目で確かめられる。だけどそこに行きつくまでの過程を知りたいんだ」
柚衣は「ふん」と軽く鼻を鳴らして眉をひそめた。
「……さっきから思ってましたが、よくこんな状況下で平然としていられますね?」
「急に女の子になったのにか?」
「ええ」
俺は「ふふん」と鼻を鳴らし返した。
「日本という国は、異世界転生や転移、おまけに怪物やら魔法、超常現象にまつわる話の宝庫でな。こういう展開の話は腐るほど見聞きしてきた」
「……数多(あまた)の魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)し、怪奇現象が日常的に起こる世界ですか」
柚衣は呆気にとられた表情で、視界の端の麻燐はぶるっと体を震わせていた。
……なんかすごい誤解されている気がするが、それを解くのは後でいいだろう。
今はともかく、真実の探求が先決である。
俺は再度、柚衣に訊いた。
「それで、なんで俺は女体化させられたんだ?」
今度は余計なことは言わず、説明してくれた。
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