一章13 『治療と謝罪』
柔らかくしっとりした触感の何かが、唇に触れている。
頬を生温かい空気が、指先が、撫でて。
体に心地よい重みを感じてる。温かい。
目の前には……、麻燐の顔?
触れている何かがつんつんと唇をノックしてくる。まるで開くように、促してきてるみたいだ。
それに倣って唇を開くと、さっきよりも強く押し付けられる――おそらく、唇を?
えっ、というか……、これって、キス?
疑問符が頭を飛び交う。
そうこうしている内に熱く湿ったものが口の中に差し込まれ、温かくどろっとしたものが流れ込んでくる。
……甘い、脳も肉も、骨さえも蕩けてしまいそうな程に。だけど不快じゃない。味覚が作り替えられてしまったみたいに、この甘さに体が馴染んでくるみたいだ。
口を離した麻燐が「んっ、ふぅ……」と甘い吐息を漏らして、口から垂れた涎を拭う。
なんか、色っぽい。胸が高鳴って、あっつくなってくる。
と思わずごくりと唾を飲みこむのと同時に。
甘くどろっとしたものも飲みこんでしまった。
途端。
ドクンッ!! とさっきの比じゃないぐらいデカイ心音が、体を思い切り揺さぶった。
あっ、ううっ……体が、熱いっ!?
苦しいはずなのに、喉から声が出ない。全身火傷したみたいに、体がむくんで膨れ上がっていくような……。
細胞がミキサーにかけられたみたいに感覚神経が錯綜している。指先で感じたことが足の指先で、膝の揺れを顎で覚えたような、無茶苦茶さ。頭がおかしくなりそうだ。
視界が眩い光に包まれて、何も見えなくなってくる。閃光弾を目の前で起爆されるとこんな感じなのだろうか。
うっ、うう、気持ち悪い……。
飲んだものを吐き出しそうになる。
「ダメよ」
耳元で、あるいはすごく遠くから、麻燐の声がする。
「吐き出しちゃダメ。それは薬なの」
――くす……り?
「九十九の命を救うための薬よ。それを摂取しなくちゃ、あなたは死んでしまうの」
そうだ、麻燐が三倍満の手牌から発生させた、白い光線を俺は食らいそうになったのだ。
しかしこうして意識がある以上、どうにかして助かったのだろう。そのどうにかの部分はよくわからないけど。
「今は辛いかもしれないけど、それを乗り切れば怪我(けが)も治るはずよ。だから、頑張って」
――怪我? 俺は……怪我をしてるのか?
しかし麻燐は答えてくれない。元から俺の思いなど、伝わっていなかったのだろう。
彼女が必死に訴えてきているのだ、今は耐えなければ。
せり上がってきそうな液体を気合で胃の中に戻す。
それがお腹の仲間で流れ込んだ途端、心臓だけでなく脳まで揺れ出した。
これッ、はゥ。う、ぅぐッ、おぉううああぁっ……!?
電流が体中に流れたように、肌がビリビリと痺(しび)れる、焼けるような熱が体内から外へと這い出してきたみたいに。眼球がぐるんぐるんと上下左右に回っているみたいに平衡感覚が失われていく。
ビクビクっと体が跳ねる。
心臓が体いっぱいに膨らんで、逆に豆粒ほど小さくなって。
急激な体の変化に対して、意識だけはしっかりとしてきた。あたかも体と魂を引き離されたかのように。
身体内にブラックホールが出現したのか、体の部位が全て吸い込まれていってるみたいだ。
「あうっ、ふぁっ、くぁっ、かっ、ううゥウウウウウッ!?」
声が出た。何重にも重なって聞こえる。声帯がおかしくなったのか、聴覚が狂ったのか。
いずれにせよ、それは自分の発する声とは到底かけ離れたものだった。
いつもよりも声音が高く、耳を優しく愛撫するかのような、そんな感じ。
この声は、まるで……。
と考えている内に、次の変化が起きた。
急激に皮膚が凍てついたように冷え込んでいく。体目掛けて四方八方天地から雪が吹きつけてくるように。
それだけじゃない。体の中も氷を詰められたみたいに熱が奪われていく。
あまりにも冷たくて、ガタガタ震えてしまう。自分の口から漏れる息が酷く熱かった。
「寒い……寒い」
思わず声に出していた。心細さから、そう言わずにはいられなかったのだ。
その時。
ふわりと、体に何かが覆いかぶさってきた。
目がおかしくなっているせいで、定かじゃないはずだけど。
この感覚は、さっきと同じ。
「……麻燐?」
体にこびりついた氷が解けていくようだった。
それは3月の桜の開花と共に訪れる、寒さを和らげていくような温もり。
「大丈夫よ、九十九。すぐによくなるから」
触れた箇所から、熱が広がっていく。なんだか、気持ちいい。
冷たさだけじゃなくて、苦痛も吸い取られていってるみたいだ。
体から力が抜けていく。
あれだけ起きていた異変も今はすっかり収まっていた。
視界が戻ってきた。各感覚神経も戻ってくる。
ふと今更気付いたが、自分は一糸まとわぬ姿だった。
だけど羞恥心が湧いてこない。
いや、俺は平気だけど……麻燐はどう思ってるんだろう。
そう思った時。
「……ごめんね、九十九」
謝罪が頭の上から降ってくる。
どうしたんだろう?
「命を助けるためとはいえ、あんたを――」
その先を聞いた瞬間。
さっと体中の血の気が引いていった。
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