好きなもの

 喫茶店を出て解散ということになったが、唯花が蔵之介と帰る方向が同じだということが判明したため、悠馬だけが先に別れる形となった。ちなみに蔵之介と悠馬は自転車、唯花は毎朝30分ほどかけての徒歩通学とのことである。健康にいいんですよ、とたくましくガッツポーズをしてみせた。

「そういえば、今日は僕の家に遊びに来るって言ってなかったか?」

「あー……今日はもういいや」

 悠馬はへら、と笑って自転車に跨る。正直、のんきに遊んでいられる気分ではなかったので助かった。

「じゃーね唯花ちゃん。また明日」

「お気をつけて悠馬くん。また明日です」

 唯花のビシッ、とした敬礼を見届けてから、悠馬はとろとろと自転車を漕ぎ出した。蔵之介たちも踵を返し歩き出したところで、

「蔵っち!」

 悠馬の声に振り返る。

「あんま気にすんなよ!」

 顔は前を向いたまま、背中越しに手をひらひらと振ってそのまま行ってしまった。

 気にすんな、とは数研のことだろうか。顔には出していないつもりだったが、ヘラヘラとしていて昔からなかなか鋭いやつである。アホだが。

 さて。

 悠馬と別れたので、当然唯花と二人きりでの時間となった。正直、気まずい。まじで。 

 蔵之介はもともと友達が多い方ではない。というか、ここ数年で遊んだ相手なんて悠馬くらいしか思い付かない。いや、決して友達ができないわけではない。作らないだけだ。あえて。本当に。

 なんにせよ相手は今日が初対面。しかも女子。しかも超がつくほどの美少女。

 慌てて脳内にある『気まずい人との会話パターン百選』を引っ掻き回す。IQ1000(自己診断)の頭脳をフル回転させ、天気の話でもするか……? と方針を固めかけたところ、

「蔵之介くんは、好きなこととかあります?」

 突然、唯花の方から質問が飛んできた。

「好きなこと?」

「趣味とか、特技とか……そんな感じです」

「ああ……」

 やや考えて、

「勉強が好きだ。特に……数学が」

 言いながら、またもやちくりと胸が痛む。脳裏に浮かぶのは一人の女性。

「べ、勉強⁉︎」

 唯花がすっとんきょうな声を上げた。目を大きく見開き、口はあんぐり。

「す、すごいです……。私勉強がまったくできないので……尊敬します」

 偉人でも前にしたかのような尊敬の眼差し。その眼差しに、蔵之介の自己顕示欲がむくむくと顔を出す。

「まあ、そんな大したことではないさ。……テストは基本百点しかとらないし、小学校6年間と中学校の3年間は常に学年トップの成績だったが、決して大したことではないよ」

 大したことではない、と言っておきながら嬉しそうに鼻の穴を膨らませ、渾身のドヤ顔。どうだ? 僕の賢さはどうだ⁉︎ と、蔵之介のうっとおしい心情はダダ漏れである。

しかし唯花はそんな蔵之介にも素直に目を白黒させる。

「ひゃ、ひゃくてん……⁉︎」

「数学の教師も僕の計算速度には敵わなかったよ。大したことではないけど」

「先生よりも……⁉︎」

「きっと将来は確実にノーベル賞を取るだろう。……まあこれも大したことではないがね」

「のーべる……⁉︎」

 調子に乗って舌が止まらなくなり、いよいよ話が大きくなってくる。さすがに調子に乗りすぎか、と我に帰るが、

「すっごい、すっごい!」

 唯花は両の握り拳を上下にぶんぶんと振りながら、きらきらと目を輝かせて蔵之介に羨望の眼差しを送る。

「私なんて九九も怪しいのに……!」

「いや、それはやばい。高校生として」

 すん……と冷静につっこむ。冗談かとも思ったが、7の段が難しいんですよねー、と眉をひそめる唯花の目を見る限り、本気らしい。マジかよ……。

「真宮さんは……」

「唯花でいいですよ」

 質問返しをしようとした蔵之介の言葉に、唯花がパッと機敏に反応する。な、名前呼び……? あまりに高すぎるハードルに困惑するが、

「じー……」

「うっ……」

 期待の眼差しにまっすぐ見つめられる。こ、これは逃げられないやつか……。

 異性を名前呼びすることのハードルの高さったらない。蔵之介にしてみれば、ほとんどそれは恋人同士のようなものだが、恋ヶ峰学園ではそれが普通なのだろうか。

 意を決して、震えそうになる声に気をつけながら、そっと口を開く。

「ゆ、唯花は」

 言いながら、顔から火が出るかと思った。恥ずかしさのあまり、おそらく顔はゆでダコのように真っ赤に染まっているだろう。

 しかし名前を呼ばれた唯花は、そんな蔵之介をからかうようなこともせず、えへへ、と子供のように笑った。

 その笑顔に、どきり、と心臓が跳ねる。

「……唯花は、趣味とかあるのか?」

 思わず、誤魔化すように目を逸らしてしまった。ドキマギして、まともに顔が見れない。そうだ、僕は今、女の子と二人きりで歩いているのだ。しかも、美少女。

 意識しだすと止まらない、うるさくなった心臓の音は徐々に高鳴り、そして、

「食べることです!」

「……趣味か? それ」

 そして、鎮まった。趣味ですよう、と頬を膨らませる唯花を呆れた目で見る。可愛い。確かに可愛いのだが、なんか、ところどころ覚えるこの違和感……。

 ひょっとして、アホの子……?

「蔵之介くんの好きな食べ物はなんですか?」

 まさかアホの子疑惑をかけられているとは露知らず、唯花は無邪気な笑顔で再び質問を投げかけた。

「筑前煮かな」

「し、渋い……!」

 ころころと忙しなく変わっていくその表情には、小野寺のような知的さが皆無だった。顔は楽しそうにニコニコ、尻尾をフリフリ。なんだか犬みたいだな、と蔵之介は思った。

 きれいな夕焼けが落ちる閑静な住宅街を、二人並んでゆっくりと歩いた。春の暑すぎない、陽気な暖かさが滲みる。春先の風が頬を撫でるのも心地よかった。

「好きな音楽はなんですか?」

「好きな漫画は?」 

「好きな…」

 なぜかその後、唯花による怒涛の『好きなもの』ラッシュが続いた。

「なんでそんな好きなものばっかり聞いてくるんだ……」

「うーん……わたし、その人の好きなものが知りたいんだと思います」

 自分でもよく分かってないらしい。蔵之介の質問にちょっと思案顔、ふむむ、と首を傾げて、

「好きなものを聞けば、その人のことがよく分かる気がして」

 こう見えて結構人を見る目はあるんですよ、と今度は得意顔。

「それで、俺はどういう人なんだ」

「そうですねえ。蔵之介くんは……変な人です」

 誰が変な人だ。ムッと眉根を寄せて唯花を見ると、彼女はいたずらっ子の様に、にししと笑う。

「ふん、当然だ。僕はその辺の凡人とは違うのだからな」

「ほら、そういうところですよ」

 偉そうにふんぞり返る蔵之介をみて、唯花はなぜか楽しそうである。

「君の方こそ、人のことは言えんだろう。屋上での『同士』とはどういう意味だ」

 ごく自然に、ようやく蔵之介はこの話題を切り出すことが出来た。当然ずっと気になっていたのだが、なんとなく聞きづらく、ある程度打ち解けた(ように思える)今なら自然に聞けると踏んだのである。

 打ちひしがれる蔵之介を穴が開くほど見つめ、手を取り、バンザイ。そして同志。

 考えれば考えるほど意味不明である。このふわふわした可憐な少女が、一体なにをもってして蔵之介を同志に大抜擢したのか。ゴクリと生唾を飲み込み、内心少しドキドキしながら答えを待つ。

「あ〜……。あれはなんて言えば良いんでしょう……」

 ところが、唯花は途端にしどろもどろ、目は世界水泳もかくや、といわんばかりに泳いでいる。あ〜、とか、う〜、とか困ったようにひとしきり唸った後、やがて誤魔化すように、「スヒュ〜♪」と口笛を吹こうとしていた。ちなみに吹けていなかった。から寒い空気の抜ける音が、二人の間を虚しく通り抜ける。

 なにをそんなに言い淀むことがあるのだろうか。ずっと快活に喋っていた彼女が急に言葉に詰まりだす。そんなことをされるとより一層詳しく問い質したくなるが、捨てられた子犬のような目で俯かれては、これ以上の追及も憚られる。

 蔵之介は、はぁ、と小さくため息をつくと、

「…あとあの食欲も異常だ。あの量のパフェを一人で食べる女子高生もいまい」

 さりげなく話題転換。

 なんというか、この少女に、そんな顔をして欲しくなかった。

「将来太るな」

「あー! 言ってはいけないことを口にしましたね!」

 唯花は俯いていた顔を上げて、ぷんすかと怒る。

「ちょっと食べるのが好きなだけです」

「あれはちょっとってレベルじゃないぞ」

「ちょっとですよう!」

 ぷいっとそっぽを向くが、しかしその口元には笑み。やがて堪えきれないように「ぷっ」と吹き出すと、「あははは!」とお腹を抱えて笑う。

 キラキラと輝く無垢な笑顔は眩しくて、なんの翳りもない。

 なぜだかその笑顔を見て、蔵之介は、ほっと胸を撫で下ろしてしまった。

 

「ありゃ、蔵之介くんは右ですか」

 蔵之介の家まであとわずかに差し掛かった十字路で、唯花が立ち止まる。

「ここでお別れですね」

 どうやら唯花は蔵之介と真逆の左らしい。 思った以上に長い間、二人で歩いていた。学校から徒歩30分と言っていたが、この様子だと蔵之介の家から相当近いところに住んでいるのではないだろうか。

「晩飯はあまり食べすぎるなよ」

「お、お母さん……じゃなくて! 余計なお世話ですよーだ!」

 唯花はべーっと舌を出すと、ててっ、と左の道へ走って行ったが、途中で振り返り「また明日!」と大声で言いながら蔵之介へぶんぶんと大きく手を振った。

「ガキめ…」

 若干の人通りもあったため蔵之介は恥ずかしくなり、軽く手を挙げると自分もさっさと帰路へと歩を進める。

 途中でなんとなく振り返ると、ちょうど同じく振り返っていた唯花と目が合い、どきりとした。唯花は笑顔でもう一度、蔵之介に向けて大きく手を振った。

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