第15回作者人狼

美しいものを描けなくなったら、それは私の終わりなのだろう。

── というのは私、橘香織の勝手な考えであるのだが。


私は目の前の苺パフェを黙々と食べながら新しい小説の内容を考えていた。


「なんなんだろうな、本当に」

「ほぇ?」

きょとんとした顔をするのはラキちゃんこと純白ラナンキュラス。もちろんペンネームなのだが、インターネット上で知り合ったため本名を知らない。

「次の小説のネタ。ラキちゃんは恋したことある?」

「ん、そりゃまあ彼氏くらいならいるけど」

「わ、絶賛恋愛中かよ。まぁそれはいいんだ別に。ほら、比喩表現としてさ、『さくらんぼみたいに甘酸っぱい恋』って感じでさ、果物が恋愛の表現として出されたりするじゃん?」

「あー。ちっちゃい頃に少女漫画で時々見た気がする」

ラキちゃんはメロンソーダをストローで飲みながらのんびりとした声で答える。

「実際のところさ。そういう『果実みたいな恋』ってどういう感じなのかなって」

「橘花ちゃん、果物苦手なのに珍しく苺パフェ食べてると思ったらもしかしてそういう……?」

そう。私は何を隠そう果物が苦手なのだ。甘いのか酸っぱいのかなんとも言えないあの感じに、妙にシャキッとしてたりふにゃっとしてたりする食感がどうも苦手なのだ。

「……ご名答。果物食べたらちょっと分かるかなって」

「結果は?」

「……この大量に乗ってる苺、手つけてないから食べる?」

「食べるー!」

店員を呼び、フォークと皿を貰ってラキちゃんはせっせと苺を移し始めた。

「ラキちゃんとその彼氏さんの話、聞かせてもらってもいい?」

「いいよー。何から聞きたい?」

「そりゃまぁ……出会った時のこととか、恋し始めた時とか?」

「恋はね、落ちるものだよ橘花ちゃん。ふぉーる、いん、らぶだよ」

とても日本人らしい発音の英語だ。単語のつながりを意識しない……ってそこではなく。

「で、実際どんな感じだったの?」

「んとね、まぁ普通に高校時代に部活とクラスが一緒でね。クラスに同じ部の人がその人しかいなくて、なんだかんだ仲良くしてたらね……」

出会いとしてはまぁそれほど特別なものではなさそうだ。少女漫画的展開だとこの後トラブルが起きて…… 具体的には不良どもが押しかけてきて彼氏が撃退してズッキュンFall in loveみたいな……。

「隣のクラスのやんちゃな男子達が来てね、めっちゃ絡まれてさー。怖かったんだけどちょうどそこを通りかかった彼が手を引いてくれて安全な場所まで連れて行ってくれてね」

ふーん少女漫画みたいじゃん。

「ふーん少女漫画みたいじゃん」

しまった。思考がそのまま出てしまった。

「わかる。正直私も後から思い出して『あれ?これ昔見たアレでは?』ってなった」

「なるほどね……で、そこに果実パワーを感じましたか?」

なんだよ果実パワーって。自分で言っててアホらしくなってきた。

「果実パワーねぇ……うーーーーん、甘いなぁとは思った。待って果実パワーって何?」

「そりゃまぁ今日のオフ会テーマは『果実みたいな恋』ですし」

「そうだったの!?」

「あれ?言ってなかったっけ?」

言い忘れたかもしれない。次の企画小説のお題が『恋』だから恋と言えば果物と勝手に連想しただけなのだが。その相談に距離的に近い相手がラキちゃんだけだったので誘ったのだった。

「で、橘花ちゃんこそ何かないの?そういうネタ」

目をキラキラさせながら見てくる。そんな目で見ないで欲しい。私だって恋を知らないわけではない。数年ほどだが彼氏くらいいたことあるし、我ながら少々恥ずかしい甘え方もした気がする。正直当時のことを思い出そうとすると甘酸っぱい思い出より苦い思い出の方が強く鮮明に思い出される。

「う…… 昔はあったけど今となっては苦い思い出だからさ…… 」

「わお。そうだったんだゴメンゴメン」

「いいのいいの。まぁちょっとくらいなら話してもいいかな。そうだなぁ……」


───


「やぁ。隣いいかな」

「どうぞ。……邪魔だけはしないでね」

そう言ってやってきた少年。同じクラスで美術部に所属している……名前はなんだったか。

「…… 」

「…… 」

お互い、世界を描くことに集中して喋ることはほとんどなかった。私は小説、彼は絵。表現方法は違えども、なんとなく二人で黙々と描くことが心地よい空間であった。

「…… 何描いてるの」

「薔薇。そっちは」

「恋愛小説。……ちょっと絵、見ていい?」

「描きかけだけどどうぞ。……そっちも見ていい?」

「いいよ。書きかけだけど」

原稿を渡した代わりに色鉛筆で描かれた薔薇を見せてもらう。


── 美しい。私が一番に抱いた感想はそれだった。

花弁の一枚一枚まで細かく描き込まれた薔薇。ただ単純な青色ではなくほのかな赤みが奥に薄く見える。二本目の薔薇はまだ描きかけのようだ。


「恋、したことあるの?」

小説を読ませていた少年が聞いてくる。

「ないけど。どうしたのよ」

「描写が綺麗だから。経験があるのかなって単純に思っただけ」

「そ。……薔薇、綺麗だね」

「ありがと」

短い言葉を交わし、またそれぞれの作業に戻る。

ああ、心地よい、こんな時間がいつまでも続いてほしいな──


───


「って感じ」

「めっちゃ大人の恋愛小説って感じする」

「そう?」

「イメージイメージ。正直読んだことはないから分かんないんだよねー。そういや、なんで別れたの?」

「それ聞く?いや別にいいけど。んっとね、美しいって思えなくなったから、かな」

「なにそれ」

「付き合ってしばらくしたらね、彼の絵が美しいはずなのに美しいって思えなくなったの」

そう。彼は確かに美しい絵を描いていた。しかし私は── 彼自身もそう思っていたらしいが── 美しいと思えなくなっていたのだ。そして私も同じく、美しいと思える小説を書けなくなっていた。

お互いに影響を受けすぎたと思った私たちは、関係を解消することで解決しようとしたのだった。

「ま、そんなわけで別れた……っておっと。もうこんな時間。私行かなきゃ。締め切りに間に合わなくなっちゃう」

「ん。ネタは浮かんだの?」

「微妙。だけど書いてみなきゃ」

「はーい。あ、私が払うからいいよー、締め切り大事にしてね」

「ありがと!んじゃまた今度!」

私はラキちゃんに手を振って喫茶店を出る。


私は少しずつ朱く染まりつつある空を見上げた。

「たまには外で書いてみるかな」

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