第8章〜ねずみの世界の秘密〜

第1話


「うーん……。おはよう、チップくん」

「おはよう、マサシ兄ちゃん!」


 雨が降りしきる、森の朝。

 外に出ると、大粒の雨がサーッと音を立てて地面に降り注いでいた。

 雨の日の土の匂いも、ぼくは好きだ。遠くの景色が、ぼんやり霞んでいる。


 今日は家の中で、みんなでテーブルを囲んで朝ごはんだ。

 おとうさんが、今日の予定を話す。


「今日は“まなびや”の日だけど、雨だから僕らの家に集まって、やることにしよう。“まなびや”よりもここの方が、お友達の家からも近いからね。今日の先生は、モモだよ」

「はあい。今日はお料理教室よ。みんなで美味しいの作りましょうね。……雨、本降りになってきたみたい。みんな集まるかなあ?」


 モモちゃんはそう言って心配そうに窓の外を見た。

 今日は久しぶりの“まなびや”だ。モモちゃんは確か、料理の専門学舎せんもんがくしゃに通ってるんだっけ。美味しい料理の秘訣、是非ぼくも教えてもらおう。


 朝食の片付けが終わるとチップくんたちは、葉っぱの傘をさして、さっそく友達を呼びに行った。しかし、外は土砂降りの雨だ。本当にみんな来てくれるのだろうか。


 ♢


「ただいまー、すごい雨だった!」

「あらあら、チップもナッちゃんもびしょぬれね。はいタオル」

「ありがとう、おかあさん。お友達連れてきたよ、3匹、来てくれた!」

「じゃあ、無事に開催できるわね。それじゃあモモ、あとはよろしくね」

「うん! じゃあみんなで準備しましょ!」


 モモちゃんの料理講座が始まった。が、ぼくはボーッとしてしまい、講座の内容がなかなか頭に入っていかない。窓の外のしとしとと降る雨を眺めながら、ぼくは考え込んでしまっていた。


 この優しくて温かくて楽しい生活が、これからもずっと続いて欲しい。でもなんだか……みんな突然、消えてしまいそうな気がする。

 これは本当に、現実なのだろうか。確かにぼくの目に映っている、ねずみたちの住む平和な世界。それが急に幻と消えてしまうことなんて、ないよね……?

 もしぼくが元の世界に帰っても、また彼らと一緒に遊べるよね……?


 ぼくはモヤモヤする考えを振り払って半ば無理矢理笑顔を作りながら、ねずみさんたちと一緒に野菜のスープとコロッケを作った。無邪気なねずみさんたちと話していると、多少なりとも気は紛れる。


「これで、完成ね! みんなで作ったスープとコロッケ、美味しそうね」

「すごーい、モモ姉ちゃん! 味付けをちょっと変えるだけで、こんなに美味しくなるんだ!」

「じゃあ、みんなで食べよっか」

「わあーい!」


 みんなの笑顔がこの時、よりいっそう眩しく感じられた。

 ほんとに、この世界から帰りたくない。だけど、もう何日も帰ってないから……もしかすると警察に捜索願いを出されたりしているかもしれない。そうだったら、大変だ。なんとか帰る手かがりだけでも、見つけなければ。


 ♢


「ごちそうさまー! 美味しかったね……。あれ、雨止んだみたいだね」

「あらよかった。お日様も出てきたみたいね」

「外出てみようか」

「うん!」


 玄関のドアを開けたら——。

 すっかり雨が上がり、雲の隙間から陽の光が射していた。

 雨に濡れた草木の匂いが、心地よく鼻をくすぐる。


「あ、見て! 虹だよ!」

「ほんとだー! おっきいー!」


 青い空に、大きな大きな虹がかかっている。くっきりと彩られた7色の虹の橋は、まるで雨上がりの青空を祝福しているかのようだった。


「ナッちゃーん! 虹だよー!」

「にじ、どこ? ……あ! ほんとだー!」


 みんな虹を見に、外に出てきた。

 大きな虹のアーチをくぐりたくなったぼくは、思わず走り出してしまった。


「あ! マサシ兄ちゃんずるい! はやくー! 追いつくよー!」

「ようし、みんな行くよー! 野原まで走ろー!」


 みんなで、虹のアーチをくぐるんだ。

 ぼくらは野原に向かい、緑の風を受けながら全力で走った。


 ♢


 今日もねずみの子供たちとたくさん遊び、どろんこになった体を温かいお風呂で洗い流す。


 みんなと夢中で遊んでいると、帰れるのかどうかという不安も知らない間に消し飛んでしまう。しかし、だからといってこのまま何もしないわけにはいかない。明日こそ、何か手かがりをつかまなければ……。


「マサシくん……、お家に帰るための手がかり、見つかったかい?」


 浴槽に浸かりながら外を眺めていると、ぼくの気持ちを察したのか、おとうさんが話しかけてきた。


「うーん、まだ何も見つからないんだ」

「マサシくんが帰っちゃうの寂しいけどね。また遊びに来てよね」

「うん、もちろんだよ、おとうさん。今度は友達たくさん連れて来るから」

「うん! 楽しみにしてるからね」


 ぼくは明日、この世界に住むいろんなねずみたちに、“人間がこの世界に来るという例が他にあったかどうか”について、尋ねてみることにした。


 やることは決まったので、あとはいつものように夕ごはんを食べてみんなとお話して、おかあさんの子守唄を聴いてから、ぐっすりと眠った。


 ♢


 この世界に来て8日目の朝。

 今日は晴れ。青空に、涼しい風。いつもの景色にホッとする。


 ぼくは野原へと足を運び、初めてこの世界に来た時にいた場所に寝転んでみた——ああ、ここで初めて、チップくんが声かけてきてくれたんだったな。

 前にこの場所で、もう一度眠りに落ちれば元の世界に帰れると思って試してみたんだけれど、帰ることは出来なかったんだ。今度はもしかしたら、帰れるかもしれない。やってみようか。

 ……でも、もし帰れたとして、またこの世界に来られる保証はない。チップくんたちに挨拶もせずに、帰るのは嫌だ。


 そうこうしているうちに、近所に住むねずみたちが姿を見せるようになったので、ぼくは通りがかったねずみの紳士に、尋ねてみた。


「あの、すみません……。ちょっとお尋ねしてよろしいでしょうか……?」

「はい、どうされましたかな?」


 やはり、人間のぼくを見ても、不審に思わないみたいだ。構わずぼくは質問した。


「あの、見ての通りぼくは人間なんですけど、別世界から来たんです。でも帰る手段が分からなくて困っているので、手がかりを探しているんです。あ……あの、この世界でぼく以外に人間って見たことはありませんか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る