第40話 ノーマライズデイズ

 1989年、春――。

 あれから三か月が経ち、私は無事に高等部に入学することができた。

 あんな事件があったからか、高校生活をスタートさせる私の心は晴れやかではなかった。一緒に高校へ行けると思っていた長谷部は逮捕され、前田や内田はもういない

のである。

 岡崎ですらまだ怪我が完治せず、入学式には間に合わなかった。彼女は今も入院中だ。

 長谷部は逮捕され、少年院に送られた。昭和から平成に変わって間もない時期におきた怪事件をマスメディアは騒ぎ立てた。猟奇的でショッキングな事件だと。ワイドショーでコメンテーターたちが日本の将来を不安視していた。

 でも私は違うと思う。前田も長谷部も円藤も、元は普通の女の子で、みんなと何も変わらなかった。ただその子たちが同じクラスになったとき、心の歯車が上手くかみ合わなかっただけ。それだけなんだ。

 新学期を迎えた日、私は高等部へと向かう地下鉄に乗るため、最寄りの駅にいた。昨日、入学式があり、クラスメイトが発表された。他の中学から入った子に混じって、知っている名前があった。

 円藤まどか。

 また円藤と同じ一年なのかと思うと、胃が痛くなった。彼女の性格も嫌いだったが、彼女そのものも嫌だった。円藤はあの惨劇の一年間そのものに思えた。

 次の電車まではまだ時間がある。そう思って鞄から本を取り出したとき、エレベーターから一人の少女が降りてきた。端正な顔立ちに車椅子。円藤まどかだった。

 円藤は私に気づいて、近くまで寄ってきた。同じ高等部の制服を着ている。

「あら、あなたもここだったの?」

 私をみて、少しして目を逸らす。

「うん。バスで乗り換えて、この駅から地下鉄に乗るの」

 円藤も地下鉄の駅にいるなんて意外だった。中学時代も車椅子だったためか、送迎してもらっていた記憶しかない。

「円藤さんも地下鉄? 珍しいね」

 私は気になって尋ねた。

「うん……。パパがね、亡くなったから。私は今日から電車通学」

 目を逸らしたまま、私に言う。私は嫌いだけど、円藤もいろいろ苦労しているのだろう。

「なんか、ごめん」

「ううん。いい」

 円藤に少し同情した私だったが、次の一言で私の思いは一変した。

「私、お葬式で本気になって泣いたのははじめてだよ」

 えっ。今までいろいろな人の葬式に出たはずだ。柏木や前田はともかく、内田のときですら本気で泣いていなかったのか。

 何で? と言いかけたとき、

「うそ、梓のときだけは本気で泣いたかな」

と付け加えた。しばしの沈黙。その間に、

『まもなく列車が通過します。黄色い線までお下がりください』

のアナウンスが響く。朝早いためか、ホームには駅員も他の乗客もいない。

 円藤はまた話をはじめた。

「なんか不思議ね、みんな死んじゃった。一年前の自分からは想像もできない」

 私も頷いた。確かにそうだ。三年前はこんな惨劇に巻き込まれるなんて思いもしなかった。あの頃の私はわがままで、強情で、「女の子」していた。しかし今、その女の子の姿は見る影もなく消えた。

「それはきっとあのクラスの誰もが思っていたことだよ」

 私はそう言う。

「そうじゃないよ」

 円藤は一呼吸置いて、言った。

「私が言ったのはそういう意味じゃない。みんな死ねばいいのに、なんて思っていたら、本当にみんな死んじゃった。こんな状況、一年前の自分がみたら信じられないなって」

 どういう意味かしばらく分からなかったが、やがて私は円藤の言っていた意味を理解した。そして無言で彼女の背後に立つ。

「私を殺す?」

 そう聞く円藤に私は無言で答える。そのまま車椅子を押し、黄色い線を超える。

「本田さん。あなただけは仲良くなれるかなと思っていたけど、やっぱり無理みたい。あなたもそうでしょ?」

 ホームには通過する急行が目前に迫っている。円藤は冷静を装ったが、手が少し震えていた。

「馬鹿ね。私を殺しても……」

 沈黙の後、甲高く鳴ったブレーキ。私は車椅子を線路に突き落とし、円藤は電車に轢かれた。最後まで嫌な女だった。まあそれは私も同じか。


 正気に戻ったとき、私はすでに地下鉄の駅から逃げ出していた。急に怖くなったからだ。

 誰かに見られたのではないか。これが長谷部や前田が経験した感覚なのか。

 それを知ったとき、もう家に帰るのは無理なように思えた。またママに甘える私には戻れないとも思った。

 そうか。こうなることは初めから決まっていたんだ。この街に、転校してきたあの日から。

 アブノーマルな惨劇はいつの間にかノーマルなものになっていた。この一年間はただのノーマライズデイズだったのだ。

 私はふと立ち止まり、街のショーウィンドウに映る自分を見た。今朝整えたはずの髪型はボサボサに乱れ、いつかの殺人鬼のように髪が顔を覆っていた。


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ノーマライズデイズ 藤 夏燦 @FujiKazan

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