第28話 オーシャン

 何も言えないまま、私はシートに座っているとみんなが海から戻ってきた。

「お弁当を持ってきたから、お昼にしましょう」

 前田のお母さんはそう言って、クーラーボックスからお弁当を取り出した。シートに円になり、弁当を囲む。

「やったー! もうお腹ぺこぺこだよ」

 私は無邪気に笑う内田を見て、つい円藤を見てしまう。女の子を好きになるって、どんな気持ちなんだろう?

 そう思いながら、お弁当を口に運ぶ。内田はいつも話題の中心だ。

「あれ、お茶がなくなっちゃった!」

 水筒の中をのぞき込んで、内田は困り顔で続ける。

「おっかしいな、全然飲んでいないはずなんだけど……」

 すると前田のお母さんが、

「お茶ならいっぱいあるわ。今朝、早起きして作ってきたから」

とクーラーボックスを指さす。

「あ、ありがとうございます!」

 内田は嬉しそうに頭を下げた。すると前田も、

「お母さん、私も欲しい」

と珍しく言い、

「うっちーのも持ってくるね」

とクーラーボックスから水筒を二本取り出して内田に渡した。

「だーまえ、さんきゅー」

「まだまだあるから、あなたたちも遠慮せずに飲んで」

 前田のお母さんは気前よく笑った。

「ありがとうございます。いただきます」

 私たちもお茶を受け取り、飲んだ。食事が終わると、みんな砂浜で遊んだ。

「砂遊びも飽きちゃったなー……。ねえねえ、また泳ぎにいかない?」

 内田が元気に提案する。

「うーん、私は疲れたから休もうかな」

 長谷部は控えめだ。

「いいよ、行こ行こ」

 私は内田の誘いに乗る。泳ぎたくなったのだ。

「うちも行く」

「私も」

 岡崎と前田もついてきた。

 前田は波打ち際沿いに歩いていく。海には入らない。

「うっちー、泳がないの?」

「あそこから飛び込む!」

 内田はそう言って防波堤を指さすと、そのまま波打ち際を走りだした。

「待って、うっちー! 飛び込むなんて危ないよ!」

 前田がそう言うが聞こえていないらしい。防波堤はこの入り江の入り口にあり、波打ち際を進めばたどり着く。

「大丈夫だって。さっき泳いだら、意外と浅かったし」

 私は前田にそう言って、内田を追う。

「でも、ちょっと心配……」

 不安そうな顔をする前田。彼女はまだ不審死が呪いだと思っているのだろうか。犯人がいると分かった今、日常の危険に気をつける必要はない。私はそう思う。そう思った。そう思っていた。

 私と内田、岡崎、前田は防波堤に登り、海原を見る。

「すげー!」

 一面の大海原を見て、内田が叫ぶ。遠くに船が見えた。

「私もあれに乗って、どこか遠くへ行きたいなあ」

 上機嫌な内田。

「うーみーはひろいーなおおきーなー」

 歌まで歌いだす。

「ちょっとうっちー、ノリノリすぎ」

 岡崎が笑いながらつっこむ。

「だって綺麗なんだもん! はずきんぐはこれを見ても何も思わないの?!」

「そりゃ綺麗だとは思うけど……」

「でしょでしょ! 海ってすごいよね!」

 岡崎の話を遮って、内田は話始める。

「大きくて、広くて、綺麗で。それに、なんていうか、みんなを優しく包み込む包容力みたいな。私、海みたいになりたい!」

「……なんじゃそりゃ」

「それに海がね、小さなことで喧嘩するなよって言ってる気がする!」

 話が繋がらない。でも内田は必死に話し続ける。

「海を見てると、普段のことなんかどうでもよくなって、ふわふわしてきて、気持ちよくなって、それで」

 内田は海を背にして立ち、両手を翼のように広げる。

「まるで空に浮いているみたい……」

 天真爛漫な内田は、幸せに包まれたような顔をする。そしてそのまま、彼女は仰向けになって海へと落ちた。

 え?

「え?」

「うっちー?」

 あまりに突然であっけない。

「……うっちー!」

 岡崎が慌てて飛び込む。

「大丈夫?!」

 私も続けて飛び込む。冷たい水が体を包み込む。足がつかない。内田は浅い入り江側ではなく、海原側に落ちたのだ。波を荒い。

「私、お母さん呼んでくる!」

 前田はそう言って、浜へ走っていく。

「わかった、お願い!」

 私は岡崎とともに、内田を捕まえる。岡崎が泣きそうな顔で私に言う。

「返事がない!」

「うっちーしっかり!」

 さっき落ちたときに、テトラポットに頭をぶつけたのだろう。内田は意識を失い、波にもまれて漂う。

「起きてうっちー! おねがい!」

 私は波に流されまいち必死になりながら、声をあげる。開けた口元から海水が入る。むせる間もなく目にも、染みる間もなく鼻にも入る。そして苦みが鼻を突きさす。

「嫌、嫌だ!」

「これに捕まって!」

 前田のお母さんが走ってきて、ロープと浮き輪を投げる。私たちは内田を浮き輪にくぐらせ、浮き輪の両端に捕まる。ロープは長谷部と前田、前田のお母さんが三人がかりで私たちを引き上げる。

「大丈夫?」

「うっちーの意識がないんです!」

 岡崎が引き上げられるなり叫ぶ。

「うっちー、大丈夫?」

 前田のお母さんが内田に呼びかけると、急に青ざめた。

「息をしてない!」

「え?!」

「麻奈! すぐに救急車を呼んで!」

「は、はい!」

 娘の前田はすぐに公衆電話へと走る。公衆電話は駐車場の脇にあり、かなり距離があるようだ。そして前田のお母さんは心臓マッサージを始める。

「大丈夫よ。すぐに救急車がくるから」

 口では落ち着いたことを言っていても、手先が落ち着かない前田のお母さん。私はその様子をただ見守ることしかできなかった。前田のお母さんはひたすら心臓マッサージを続ける。しかし内田の意識は戻らない。

 この時間がとてつもなく長いものに感じられた。私の頭は真っ白で、体は空っぽだった。

 結局、心臓が動くことはなく、救急隊が来た。担架で運ばれていく内田を見て、私は思わず叫んだ。もう半狂乱だった。とにかく内田には死なないでほしかった。

「お願いします! なんでもするから、うっちーを、どうかうっちーを、助けてください! お願いします!」

 涙声でそう叫んでいた。

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