第4話 ランチタイム

―5月30日 日直 岡崎―


 その日の午前中はいつも通りの授業だった。担任が死んだのにお構いなし。本当はみんなショックを受けていたかもしれないが、表には出さなかった。

 かく言う私もそう。平然を装った。この時までは私はまだ平然を装えていた。そう。昼休みのお弁当の時間までは……。


 昼休みになっても雨は止まなかった。そのことがこれから語られる出来事の不気味さに拍車をかけた。

 私と前田、長谷部の三人は中庭の屋根のあるベンチに腰掛けた。ベンチまでは屋根がなく、少し制服と髪が濡れた。嫌な雨。だから梅雨は嫌い。私はまだそんな事を考える余裕があった。

「「いただきます」」

 三人同時に手を合わせ、弁当を食べはじめた。長谷部と前田は相変わらず無言だ。おしゃべりしながら食べると言う概念はないらしい。でも雨音が、私の耳を退屈にさせない。私がお弁当を半分食べ終えた時、ふと長谷部が言った。

「あ、あのね。私たち、実はまだ本田さんに言ってないことがあって……」

  私は箸を止めた。だが、長谷部はそこで口を止める。 代わりに前田が話し出す。

「先生のこと。私たち何となく、ああなるだろうって予想できてたんだ」

「……え? 先生が……死ぬってこと?」

  雨の不気味さも合わさって、私は思わず訊いた。

「うん」

 前田と長谷部は揃って頷く。

「どうして……?」

「それは……」

 少し間が空いた。

「先生、恨まれてたから……」

「誰に?」

 私はとっさに訊く。

「……」

  黙り込んだ前田に代わって、今度は長谷部が話しをする。

「本田さん……。実はこのクラス、前にいじめがあって、それで……」

 私の耳に雨音が少し染みた。

「いじめられたクラスメイトが自殺したの。」

自殺? この学校、このクラスで自殺?

「いじめって、自殺って、そもそも何でそんな事が起きたの? この学校にはいじめをなくすために、弱者を守るという約束事があるんじゃないの?」

「前はなかった」

 前田が冷淡に言う。

「あの子が死んだから、それが出来たの」

 私は思わず口ごもる。

「で、でもいくら先生がその子に恨まれていたからって、そ、その子は亡くなってるわけだから……」

 自然に声が震えた。

「ま、まさか先生がその子に呪い殺されたとでもいうの?」

 認めたくない。呪いなんていう、バカげたこと。でも、

「……たぶん、そう」

と、前田と長谷部はあっさり認めた。

「本田さん。あなたにはまだ言ってなかったけど、先生だけじゃなくあなた以外のこのクラス全員が呪われているの」

 さっきまで黙っていた長谷部が言う。

「ど、そうゆうこと?」

「あの子が自殺した後、教室の引き出しから一冊のノートが見つかったのよ」

「それが、これ」

 そういうと前田が手提げかばんの中から一冊のノートを取り出した。ところどころ黄ばんでいる以外は割と普通のノートだ。

nameの欄に割と丁寧な字でAyumi Yanagisawaと書かれている。死んだ子のノート。死んだ子の名前。

 前田がぱらぱらとページをめくる。日記? なのだろうか。日付とその日の出来事が細かく記されている。


☆☆☆


1987 April 9 Thu


 今日は入学式


 あこがれの桃花宮学院


 あこがれの制服


 あこがれの校舎


 明日からあこがれのスクールライフ


 友達いっぱいつくりたいな♪


☆☆☆


1987 April 14 Tus


 今日もがっこう!


 担任の川島先生はやさしくておもしろい


 友達もいっぱいできた


 まどちゃん、うっちー、かすみちゃん、ひろみちゃん、はずきちゃん、まなちゃん、ゆうこちゃん、まこちゃん、なっちゃん


 今日から交換日記するー!!


 あしたもたのしみ


☆☆☆


 私は読んでいて、いたたまれなくなった。丸文字で書かれた、楽しげな文章。私たちと変わらない日常。でもこの子はもうこの世にはいない。

 そこから先の何ページかは、破れていた。


☆☆☆


1987 May 20 wed


 今日まどちゃんとけんかした


 原因はまどちゃんが持ってきたサラダ記念日のページがやぶれてたこと


 まどちゃんは私に貸す前はやぶれてなかったっていうけど、私は絶対にやぶってなんかない


 あしたがっこういくの嫌だな


☆☆☆


1987 May 21 Thu


 今日はさいあく


 まどちゃんに「私は絶対やぶってないから」って言ったら


 「もういいよって、新しいの買うから」って


 冷たい感じに返された


 しかも掃除時間に無視された気がするし…


 なんでこうなったのかな…


 ☆☆☆


1987 May 22 Fly


掃除の時に無視するのバレバレなんですけど、、、


しかも給食の時も明らかに嫌な顔してくるし


なんなの?


あたしがやったわけじゃないんだけど、、、


まあ別に自分のミスを人のせいにする奴と話したくはないけど


☆☆☆


 前田はそこからさらにパラパラとページをめくった。円藤たちの無視がだんだんと酷くなっていったようだった。


☆☆☆


1986 June 10 Web


 もう学校嫌、、、


 朝学校にいくと


 引き出しの中に虫の死骸、、、


 後ろであの三人が笑ってるのが見えた


 柏木、酒井、岡崎、、、


 昨日、三人に掃除しっかりやってって言ったからかな


 それとも円藤に、、、


 誰も私を助けてくれない


☆☆☆


1987 June 30 Tus


 パパ、ママごめんなさい


 本当の本当にごめんなさい


 私はもう生きていけません


 理由は誰も信じられなくなったから


 私はもう死にます


 死んでしまいたい


 でも一人で死ぬのはやだな


☆☆☆


 日記はそこで途切れていた。次のページは空白。私は一つ些細な疑問が浮かんだ。

「さっきのページに出てきた柏木と酒井って人、誰? 転校しちゃった人?」

 私の問いに前田は黙って日記のページをめくった。空白のページが何枚か続いた後、赤いマジックでこう書かれていた。


☆☆☆


 私一人で死ぬのは嫌だから、私が死んだらあなたたちを殺しにいくから


☆☆☆


 丸文字でそう書かれていた。なにこれ……。

 前田がさらにページをめくる。次のページを埋め尽くした赤い字が、真っ先に私の目に飛び込む。


☆☆☆


柏木香住


 あなたは私の給食に虫の死骸をいれてくれたね


 私に雑巾をぶつけてくれたね


 上履きを隠してくれたね


 他にもいっぱいしてくれたね


 私はあなたが嫌い


 だから殺してあげたい


 あなたの腕や足や髪や爪を引っ張って


 殺してあげたい


 クラスで一番最初に


 あなたを殺してあげたい


☆☆☆


 え? それを見たとき、私は声も出せなかった。絶句する私の横で前田が言う。

「去年の8月。中学生の女の子が林でバラバラにされて殺された事件があったでしょ?」

 あった。確か犯人が捕まらず、捜査が難航してるやつ。

「あれ、殺されたのうちのクラスメイトなの」

 一瞬、ニュースの映像がフラッシュバックした。

『……中学生の柏木香住さんが遺体となって発見され……』

『……香住さんは両手両足が切断されており……』

『……犯人の証拠が全くつかめず捜査は難航しています……』

 私の背筋は凍りついた。呪い? 復讐? その言葉が頭に残る。

 前田はまたノートをめくる。 次のページも同じように赤い丸文字で、ノートに一面びっしりと書かれていた。


☆☆☆


酒井宏美


あなたは柏木と一緒に給食に虫の死骸をいれてくれたね


雑巾をぶつけてくれたね


上履きを隠してくれたね


他にもいっぱいしてくれたね


柏木と一緒に、、、


私はあなたも嫌い


あなたたちは仲がよさそうだから


一緒に殺してあげる


でも殺し方は柏木と正反対


ぐしゃぐしゃにしてあげる


☆☆☆


「そ、それで、その酒井さんはどうなっちゃったの?」

 私の質問に今度は長谷部が答えた。

「亡くなったわ。柏木さんが遺体で見つかった日に。交通事故で」

 すると、前田が補足する。

「酒井さん、トラックと車にサンドイッチされちゃったみたいなの。遺体は見る影もなかったって話よ」

「そこまで言わなくても……」

「嘘……まさか本当に呪い?」

 私はまた言葉を失う。

「二人が亡くなったすぐあとだったわ。彼女の机の引き出しから、このノートが見つかったのは」

 そして前田は続けた。

「最初はただの遺書だと思ってたわ。だけど二人が相次いで亡くなったから本当に彼女が殺してるんじゃないかってクラスで噂になって。それからしばらくして、また一人クラスメイトが亡くなったの。」

 そういうと前田は3ページほどパラパラとページをめくった。


☆☆☆


田中夏見


あなたは私が相談しても無視したね


ほんとうにつらかったんだよ


誰からも助けてもらえない


そうだ


あなたにはそれを味わってもらうよ


誰も助けてくれない絶望と恐怖を


☆☆☆


「なっちゃん。田中夏見さんは五日間行方不明の後、学校の旧校舎のトイレで見つかったわ。旧校舎はめったに人が来ることはないし、トイレのドアが壊れて開かなくなってしまってたみたい。見つかった遺体は、嘔吐物と排泄物の中で必死にドアに向かって爪で引っ掻いたみたいで、爪が全部はがれてたみたいよ」

 私は喉の奥から熱いものが上がるのを感じた。暗く狭く汚いトイレに一人きり。耳の奥で閉じ込められた女の子の悲鳴が響いた気がした。

「それからみんなこのノートの事を完全に信じるようになった。」

 長谷部が低い声で言う。どうしてそんな冷淡に語れるの? クラスメイトが死んでるのに。それに内田も円藤も岡崎も。みんなどうして平静でいられるの? 私の疑問すべてが声になる。

「どうしてみんなそんな冷静でいられるの!?」

 そして私は思わず叫んでいた。冷静でいられるわけがない。少し黙って、長谷部が言った。

「冷静じゃなかったよ。最初は。でも亡くなった子の机に花を手向けられるのが3回目となれば違う」

 なんなの? 慣れちゃったってこと?

「それに私たちはまだあまり死を恐れる心配はないの」

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