吾がふじの世界より 〜藤言六観景村時雨〜

時計 銀

藤言六観景村時雨

いつの日か、齢にして四十の頃。私は友人の下を訪ねた。理由はいくつかあったが、主な理由としてはただ友人にうちに来て久しぶりに飲まないか、と誘われたからそれにのっただけのことである。


友人の家につき、私とそして友人、その他に高校の頃からの知り合いが集まり、何人でも入れそうなほど大きな屋敷で私たちは静かな、されどわいわいと騒いで月を見ながらの晩酌をした。

静かなといっても最初は友人の娘を起こさないために気をつけていたが、娘はそれでもうるさかったらしく目が覚めて私たちと団子を頬張って共に宴をした。幸いにして、彼の家の敷地は一般よりも広くあり私たちは歳をも忘れて騒ぎ倒した。世間話、仕事話、恋愛模様に、ただの愚痴。

そんな下らない会話に嫌気が差したのか、娘は広い庭のどこかへ行った。友人に聞くと放っておけ、と酒を注がれながら言われたがそれでも何かあっては危ないと思い、月を近くで見たいと我ながら下手なジョークを飛ばして彼女を追った(どこから見てもここでは月は同じ距離でしか見えないのに)。


娘は月明かりで淡い紫色を放つ木々の前に立って上を見ていた。

「ここからは絶対に見えないよ、月」

私の顔を見ると目を細くして先ほどの冗談を返す。

「すこし心配だったからさ、女の子が一人ってのは」


「なに、ストーカー?十五歳に恋愛感情持つとかキモッ」

ひどい言われようである。すこしイラッと感じてしまうが抑えなければならない。


「ただ心配なだけだよ、他意はない」

「そう」

それっきり会話は終わってしまった。何か繋げなければと気まずく思い、彼女の眺める木々を私も見る。……。

「これはね、藤っていうの」

私の疑問に応えるかのようにそう言う。

「どうせ知らなかったでしょ」

……なんとも言えない。


「お父さんからもらった三番目のプレゼント」

三番目にこれをあげるとかなにを考えているんだよ、と向こうでワイン瓶を片手に踊っている友人を睨む。


「お父さんってさ、いつも欲しいものをくれなくてさ、それでいて変なものばっかり与えてくるし」

木を眺めて言う。

「なんかキモい屁理屈ばっかり捏ねて最終的には人の気も知らずに『お前のことを思ってぇ』って。私のことなんか一度も考えたことのないくせに。自分の利益になることしか考えていないのにね。こんな人がIT企業の幹部とかもうその会社は終了のお知らせだ、とか思ったりして」

「それでも。この藤だけは他人から手を入れられても伸び伸びと育つんだよ。私と同じ場所で育っているはずなのに、同じように日々大人に忠実なはずなのに。それなのに私とは真反対に自由に育っていくんだ。何か、それが物凄く羨ましい」

藤の花をそっと撫でるように娘は触れる。


「もういっそさ、藤の幹に縄をかけて首を吊って自殺しようかなって。この生活が苦しくて」

突然の驚く発言にずっと上を向いていた顔の向きをばっと彼女の方にうつす。首の筋肉が変に固まっていたのかすごく–


私の行動に娘はくすりと笑う。

「すごく痛いでしょ?これのおかげ。こう、ずっと眺めていた後の首の痛みを感じるたびに『こんな無駄な時間を消費するなら少しでもお父さんに認められることをしなければ』と思ってしまって。けど、それってやっぱり父親の道具に成り下がることと同じじゃない?」


「だから、またここで首を吊って一生この地を呪ってやろうと思ったりもしたけど、また首を痛めてのループ」

「私から言おうか、お父さんに」

最低な発言をする。しかし、娘は驚いた顔をしてまた、笑う。


「大丈夫。これは、私がやらなきゃいけないことだから。私が自分で自由をもぎ取らないといけないから。そのために右フックの練習もしてきた」

シュッシュッと右腕を前に突き出しボクシングのような真似事をする彼女を見て苦笑いする。彼女も私の表情を見てにんまりと笑顔を浮かべる。


「だから、大丈夫」

「そうか、なら自由を勝ち取った暁には何か君に買ってあげるよ」

「高いもの、頼むかもよ」

「……未来への投資だ。不利益にはならないはずだ」

私の苦し紛れの回答に彼女からはにんまりとした表情が取れない。


「じゃあ、もう寝るね」

娘は軽く走って屋敷の中へ消えていった。もう一度、気になって藤を見る。やはり空は見えなかった。

後から知ったが、藤の花言葉には『決して離れない』というものがあるらしい。そう思っての作戦だったのかもしれない。知ることはないが。




それからは、幾度か彼女とは同じく酒の席で話すことが度々あった。親密というほどではなく険悪でもなくただ隣に座りあってポツリポツリと話すのみ。

成績が良くなっただとか、新しい友ができたとか、好きな人ができたとか。

私からは基本話さない。彼女の思ったことを肴として聞いているだけ。それの方が彼女にとっては都合がいいと思ったからだ。

彼女の人生に口出しなぞ私にはできない。するとしても、褒めるだけである。それくらいしか初老の脳はできない。

だから、彼女に突然何かあってもそれは私にはできること一つもない。




突然、友人から連絡が来た。不時の連絡であった。

いつも落ち着いている彼があまりにも焦っていたことが今も思い浮かぶ。私も彼と通話したまま急いでタクシーで病院に向かった。

不治の病らしい。医療が発展したこの現代でさえの難病らしい。余命も少ないらしい。

ただの会社員である私には『らしい』としかわからない。彼女の未来はまた閉ざされたのだ。


彼女は病室で窓から景色を見ていた。私が入ってきたことに気付いても少し微笑むだけ。毎度嫌な顔をする彼女からの新たな表情だった。

彼女は現場に荒れることなどせずただ受け入れていた。彼女の道は定まってしまったのだ。あの藤の木のように自由、などはなくただの封鎖であった。行き止まりである。


それからは、仕事が早く終われば彼女に週に二、三回は会った。回数は多くなったがいつものような関係である。ちなみに、仕事は『姪が入院していてもう長く無い』と言ったら憂いの目で残業なしを許してくれた。


会ってはまた、少しずつ呟いてくれる毎日。

勉学ができないこと。しても意味がないこと。友達と別れたこと。恋ができなかったこと。

涙目になりながらもゆっくりと彼女は語ってくれた。肩は何度も何度も震えて嗚咽混じりの声で。


「どうして、私なのかなぁ。何もしてないじゃん、何も悪いことしてないじゃん、何もまだ叶えられてないじゃん」

それは、年端もいかない少女の嘆きであった。それは大の大人であっても叶えることはできない。

自由を求めて。親の元を離れたくて。無窮の空を仰ごうとした彼女を、不治は地に落とした。


私はただ彼女の話を聞いた。それに頷いたり、すこし面白いことを言ったりして、なんとかして彼女を立ち直らせよう、と。


「私さ、昔言ったじゃん。自由をもぎ取るって。けど、今はそれ以前にこんな有り様。余命ももうないみたい」

病室へ通う毎日のそんなある日。彼女は唐突にそう言った。


「なんか、お父さんの言いなりになるだけの毎日のように感じていた。それしかないと思っていた。けど、今ふと考えてみたら私ってそれなりに楽しく過ごせているのではないかって」

「お父さんに命令された志望校へ行ったけどそれでもそこで友達ができて、面白いと思える先生たちに出会えて、そして自分が心の底から恋という感情を振るわしてくれた人がいて」

「私はまだ二十年も生きていないけど、それでも人生ってこんなに楽しいものなんだって思えた。それもこれもたぶん、おじさんのお陰なんだと思う」

彼女の顔を直視できず下を向く。なんというかもどかしくて何もしてやらないことに悲しくて、目から涙が出てくる。


「おじさんがあの日、私と藤の木の下であんなことを話したから今この会話は存在してるし、たぶんおじさんの変なアドバイスがあったからこそこの嬉し悲しみの感情を持ち合わせていて、この言葉が紡がれている」

ハンカチを取り出すもそれでは、吸収量が足りない。浅はかな考えしか脳にはない。


「うんっ!私の人生はここで終了!もう、すごく泣きたいしすごく悔しいしすごく悲しいけどっ。けどそれ以上に私は私の人生を楽しめたっ!だからありがとうっ!おじさん、私に楽しみ方を教えてくれて」

彼女の言葉にもっともっと涙が出る。だが、娘よ。一つ言わせておくれ。お前、もう顔が涙でぐちゃぐちゃだぞ。




そして、いつのまにか私の病室通いはなくなった。いつも通りの残業パーティである。

そんな残業無しを許された私にも有給というものはあるもので。

私は、雲の上に立っていた。いや、それ以上に立っていた。私は今、富士山にいる。天にいるであろう彼女に少しでも近づいて彼女の追悼をするべく。私はふじの山にいた。昔は不死山などと呼ばれていた場所で追悼をするとはとんだ罰当たり野郎だ、とも思ってしまうが。まあ、そこは来世は不死みたいに長く生きてくれよと彼女に祈る、みたいな感じでいいだろう。

……彼女が私を言ってくれたように、私にとっても彼女はであったのだ。

灰色の人生の私に彼女は私に楽しい、を与えてくれた。


どことは言わずにその場へ手を合わせて合掌する。正しい仕方なぞ知らないがこれでいいだろう。大事なのは気持ちなのだ。結果よりもどう感じたか、それが人間には一番影響を与える。心の弱い私には最も当てはまる。


藤で出会い、『』を通してフジで別れたこれは何と言って良いか。彼女には『不謹慎だ』と怒られるだろう。

だけど、二つともないこの生き物を残したいと思ってしまう自分がいる。


思いっきり地を踏む。石ころ一つも動くことはなかった。

なるほど、不動である。

ならば、ちょうどいい。

周りの目なぞ気にしていては自由の一歩は踏み出せない。

だから、ここから声を放とう。

……ふじの世界より−−−−。



さぁ、終わった終わった。帰ったら、一発、右フックを喰らわせなければいけないから。そのための練習はしてきた。

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