第81話 正解などない

 「大丈夫ですか、御屋形様!」


 「・・・大丈夫じゃ、心配せんでいい・・・。」


 信玄はそう答えたが、その声に力はなく、家臣たちは祈る思いであった。


 年が明けて元亀4年(1573年)正月。

信玄は行軍での頑張りから病を発症し、床に臥せていた。


 今、武田軍は遠江の刑部(現在の浜松市北区)にて進軍を中断している。

本来は快勝の後の正月ということでお祝いモードのはずだが、

信玄が病に苦しんでいるなかで祝ってもいられなかった。


 「御屋形様、ご様子を伺いにきました。」


 侍医の御宿監物が信玄を診察し、


 「できれば、人払いを・・・。」


 と求めたが、信玄は


 「大丈夫じゃ、ここにいる者は主な重臣しかおらぬのでな。」


 と求めを断った。


 信玄はまだ気づいていなかった。

御宿監物の言葉の意味を。


 「いくら信頼されているお方でも、聞かれては困ります。」


 と御宿監物は一歩も引かなかった。


 「そこまで言うならわかった。皆の者、ひとまず下がれ。」


 「はは。」


 家臣たちが心配そうに下がっていった。


 

 「なんじゃ。この病気は収まりそうなのか・・・。」


 調子が快方に向かっている信玄は前向きなことを言ったが、

御宿監物の表情からすべてを察した。


 「・・・危ないのじゃな・・・。」


 「はい。今は少し楽になっているように見えますが、こう元気に話せるのも

これが最後かと。」


 「わしの命、あとどれだけ持ちそうなのじゃ。」


 「・・・。」


 御宿監物はこの質問になかなか答えなかった。


 「頼むから答えてくれ。」


 「・・・では恐れながら申し上げます。」

 「持って半年かと。」


 「・・・。」


 信玄はこの言葉を聞いたとき、こう察した。


 (持って半年というが、これでもだいぶ盛っているのであろう。

つまり本心は、もっと短いということか・・・。)


 信玄はかなり気落ちしたが、


 「御屋形様、これはあくまで行軍を続けた場合です。国元に帰って休養すれば

また話は別です。」


 「甲斐に戻れば、元気になれるということか・・・。」


 信玄はこう言ったが、御宿監物は何も言わなかった。


 (すでに時遅しということか・・・!)


 これに首をうなだれた信玄だが、


 「だ、大丈夫です・・・。これまでの話はあくまで一般的な話であって、

御屋形様の力があれば生き残れる可能性も・・・。」


 「そうか・・・、ではこのまま行軍を続けるよりも帰国して休んだ方が

希望があるのか・・・?」


 「はい。このまま行軍を続けると十割の死、帰国しても九死に一生ですが

帰国した方が希望はあります。」


 御宿監物はこのまま行軍しては命が持たないと明言した。


 (行軍をやめて帰国するべきか、いや、もし帰国しても九割は死ぬ。

であれば、夢を追いかけて死ぬべきか・・・!)


 信玄は御宿監物が退いた後、じっくりと考え込んだ。

究極の選択だった。


 結局、決められず重臣たちにも話せないまま、2月を迎えた。


 「御屋形様。」


 この月の始め頃、信玄の陣屋に勝頼が訪れた。


 「どうした・・・。」


 信玄は目をかすかに開けた。


 「我ら家臣が御屋形様に代わり三河国野田城を攻め落としたく存じまする。」

 「いかがいたしましょう。」


 「・・・わかった、野田城を攻めよ。」


 「ははー!!」


 信玄が危ない状態であることを家臣たちは察しながらも、行軍継続を信じて

進む道を切り開くべく、三河の東部に位置する野田城を攻めることにした。


 (野田城を攻め落とした後、行軍して三河に入るべきか、退くべきか・・・。)


 信玄は一人、悩んでいたが正解は見いだせなかった。


 (なぜ決められぬのじゃ・・・。)


 着々と進行する病に決断を迫られていた。

そんなある日、ある結論に至った。


 (帰国して半分の確率で助かるのなら帰国してもいい。

じゃが、実際の確率はかなり低い。であれば、自分のやりたい方でいい。)


 信玄は正解などないことにひらめいた上で、自分の好きな方、

つまり夢を貫き通すことにした。


 そして2月の中頃、野田城を攻略したことを受けて進軍し、

三河の長篠城に入った。


 輿に揺られながらではあるが、信玄はカッコ悪いとは思わなかった。

むしろ夢を追い続けることは素晴らしいことだと思っていた。


 武田信玄、53歳。

上洛という夢は見られないかもしれない。それでも、悔いを残さないための

進軍は続くのであった。

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