第80話 快勝と後悔

 「家康様、人家が焼かれております!」


 「家康様、田畑も荒らされております!」


 信玄の領民に対する攻撃は家康の怒りを増幅させた。


 (我らは籠城策だから城から出撃してはいけぬが、しかし領民を守るには・・・。)


 「家康様!」


 「なんだ、元忠!?」


 「あ、あれを!」


 徳川家家臣、鳥居元忠が指さした先には城の建築材料があった。


 (何、信玄は城を作る気なのか・・・。)


 家康は思う。

浜松城の目と鼻の先に城を築かれたら身動きが取れなくなると。


 (信玄め、このわしが臆病だから出てこれないと踏んで

城を作っておるのか・・・!)


 「家康様。」


 「今度は何じゃっ!?」


 「ひ、ひへ!・・・武田軍は三方ヶ原にて城を作る部隊以外は

休息をとっているようです!」


 (目の前で休息をとられるとは、なめられたものじゃ・・・!)


 「落ち着いてください、家康様。いささか語気も強くなってございますぞ。」


 家臣の酒井忠次が落ち着くよういったが、家康の怒りは収まらない。


 「これで出撃しなかったら、信玄の思うつぼじゃ!!」


 「お待ちください、家康様。ここで出撃した方が敵の思うつぼ・・・。」


 「うるさいぞ忠次!武田勢は油断しているのだ。だから出撃すれば勝てる!」

 「軍勢を集めよ、浜松城を出撃する!!」


 「お待ちください、家康様。我ら援軍としても無茶をされては・・・。」


 織田軍から援軍として駆けつけた佐久間信盛も反対したが、


 「皆は臆病者なのか!?信玄の好きなようにされていいのか!?」


 と突っぱねる家康。


 自身が信玄の好きなように操られているとは思いもしない家康は

1万余の軍勢を率いて浜松城を出撃し、武田軍のいる三方ヶ原に進軍した。


 

 (家康よ、出てくるのを待っておったぞ・・・。)


 家康の出撃を聞いた武田軍は休息モードから気持ちを切り替えて

武器を持って待ち構えた。

 さらに小山田勢の投石部隊も石積みの周りに集まって構える。


 「とにかく静かに待つのだ。」


 侍大将たちがそう言うと、足軽たちも声を潜める。

しっかりと統率ができている証だった。


 しばらくすると徳川勢の喊声が聞こえてきた。


 「それ、もうすぐ武田勢が見えるころだ。武具を持て!」


 徳川勢は武田勢が油断している間に攻撃しようと全速力で向かってきた。


 「さぁ、見えてくるぞ・・・!」


 家康が小高い丘の上まで来たとき、言葉を失った。


 (な、何じゃ、この軍勢は・・・。)


 家康は敵がばらけて休息をとっていると思っていたため、

陣形を組んで待ち構えている武田軍のことを理解できなかった。


 (これは現実なのか・・・。)


 

 「徳川の軍勢が見えたぞ、突撃―!!」


 小山田信茂の大声を合図に武田軍が突進を始めた。

足が止まった徳川勢のもとに小山田勢の投石部隊が石を投げる。


 「ぎゃ!!」


 「なんだ、石が飛んでくるぞ!」


 「何をしておる・・・、鉄砲で撃ち返すのだ・・・!」


 徳川方も鉄砲で対抗しようとしたが、軍団が慌てふためいているため

ろくに撃つこともできなかった。


 「それ、敵は投石に怯えているぞ、さらに怯えさせるのだー!!」


 そこに武田軍の騎馬隊が土煙を上げて突撃する。

縦横無尽に駆け巡る騎馬隊を前に徳川兵は何もできずに踏みにじられる。

その光景は恐ろしく、後方の本陣にいる家康さえも震え上がった。


 「なんじゃ、こやつらは・・・。」


 さらに徳川勢前方を突破した騎馬隊が本陣に押し寄せる。


 「家康様、このわたしが身代わりになりますからお逃げくだされ!」


 「そ、そんなことできるか・・・。」


 「迷っている暇はございませぬ!!」


 徳川家の忠臣たちが家康の身代わりになって死ぬと言い出した。


 (わしとてそうしたくはないが、このままではわしも死んでしまう・・・!)


 「家康様、早く!!」


 「わ、わかった。後を頼む!」


 こう言って家康は浜松城に向けて走っていった。



 「それ、あと一息で本陣じゃ!徳川勢を突き崩せ!」


 武田軍が本陣まで押し寄せると、


 「我こそは徳川家康なり、いざ死に花を咲かさん!!」


 家康を名乗った家臣が数名、そう名乗って武田軍に突っ込んできた。

自称家康が複数いるうえ、どれも死に物狂いできているため

武田軍は誰が家康だかわからず困惑した。

 もっとも、すでに家康がいないことも知らなかった。


 結局、自称家康の家臣たちを全員討ち果たして帰陣した武田軍だが、


 「やはりどれも家康ではないのか・・・。」


 これには山県昌景らが落胆したが、信玄もご満悦かと思いきや

かなり微妙な顔をしていた。


 「御屋形様、家康を取り逃がして申し訳ない限り。」


 馬場信春がこう言ったが信玄は特に何も言わなかった。


 「御屋形様、ここは浜松城を攻め落とすべきですぞ!」


 山県昌景がこう言うと、


 「この信春もそう思います。」


 という風に多くの家臣が浜松城攻囲を主張した。


 しかし、ここで唯一それに異を唱える家臣がいた。


 ・・・高坂昌信である。


 「みなさんは御屋形様の教訓をお忘れか。」


 「な、何・・・。」


 「御屋形様は口々に5分の勝ちでよいと申しておられた。

今日の戦は5分以上勝ってしまったと、御屋形様は悔いているのです。

それなのに、浜松城を攻めての10分の勝ちを求めるとは言語道断である!」


 この昌信の主張に、信玄はうなずいた。


 「昌信の申す通りである。我らは少し勝ち過ぎたやもしれぬ。

だからこれ以上の勝ちは求めない。それに病のこともある。

我らは西に進むのみじゃ。」


 「は、ははー!!」


 家臣たちはこれまで忘れていた信玄の教訓を再び思い出して気を引き締めた。



時は元亀3年(1572年)12月22日夜。

西に進むことを決意した信玄だが、病魔もまたひそかに進むのであった。

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