第77話 焼き討ちの知らせ

 時は元亀3年(1572年)春。

信玄は西上作戦の準備で忙しくなるなか、とある僧と面会していた。


 その僧は正覚院豪盛といい比叡山延暦寺の僧であった人物である。


 時は戻り元亀2年(1571年)9月、信玄が北条氏康の死を待ち望んでいた頃。

都の近く、比叡山に築かれた延暦寺という大きなお寺があった。

その歴史は古く、開かれたのは平安時代初期にまで遡るほどだ。

 また、平安のころより延暦寺の僧兵集団は朝廷や幕府から恐れられてきた。

当然、織田信長も例外ではなかった。


 延暦寺の存在を脅威に感じていた信長は浅井家の武士が

延暦寺に逃げ込んだのを機に延暦寺を包囲し焼き討ちを行ったのだ。


 信長は建物も僧も構わず焼いてしまった。

その知らせは日本中を震撼させたが、その時の信玄はというと、


 (信長のやることはかなり手荒いが、わしが都に着く前に

邪魔者が消えて良かったわい。)


 というふうに喜んでいた。


 ただし、唯一思ったのはわしであったら絶対にしない、ということだけだった。



 話を戻そう。

正覚院豪盛がこの甲斐にやってきたのには理由がある。

単純に比叡山から逃げてきたのもあるが、もう一つは上洛した暁には

比叡山を再興してもらいたい、という願いを伝えるためである。


 「先の話ではありますが、なんとかお願いできませんでしょうか。」


 このお願いに信玄はいろいろ考えた末、


 「再建したいのは山々だが、なにせ再建にはお金がかかる。

それをわしらが負担するのであれば、こちらも承知しかねる。」


 こう言って一度は突っぱねたが、正覚院豪盛も必殺技を仕掛けてきた。


 「大僧正になってもらう、これでもダメでしょうか。」


 「何?それはまことか。」


 大僧正とは簡単に言って僧たちの頂点の位である。

つまり正覚院豪盛は延暦寺を再建してくれるのであれば、

大僧正に任命されるよう朝廷に交渉してもいいということである。


 「本当です、嘘はつきません。比叡山延暦寺を再建してくだされば

それは大僧正の位に値する功績ですから。」


 「だったら、受けないこともない。」


 「ぜひ、よろしくお願いいたします。」


 こうして信玄は形式上ではあるが大僧正になり、

比叡山再建を託されたわけだが、当の信玄はというと、


 (別に都についたからといって再建する必要はない。

適当に言い繕って時間を稼いでそのうちに天下を取れば何とでもなる。)


 という風に思っていた。

つまり、得るものだけ得ておいてあとは知らない作戦である。


 とはいえ、上洛するまでは打倒信長への大義名分にもなる。

だから、大僧正の位をもらっておいて損はなかった。


 

 (この位を持つことで比叡山焼き討ちに批判的な勢力を

まとめられるやもしれぬ。)


 生かせるものは生かす、それが信玄の信念なのであった。



 「全く、父上も齢70を過ぎているというのに元気なものじゃ。」


 信玄が苦笑するのも無理はない。


 信玄の父、信虎は駿河から上方に逃げているのだが、

なんとそこで子供を産ませたり、さらに信玄の西上作戦実行時には

上方の反信長勢力をまとめて織田軍を攻撃してやる、

という内容の手紙を送ってきた。


 (上方の織田勢を襲撃して助けてくれるのは嬉しいが、

甲斐国で激動の人生を送ったのだから、

余生はゆっくりしていればいいのに・・・。)


 こう思う信玄だが、その一方で武田家や信玄に対する愛情も感じていた。


 (恐らく父上は若いころのわしに厳しく当たりすぎたのを

後悔しているのであろう。)


 だから、今になって少しでも助けてやろうと思っているのかもしれない。


 (父上も長く生きてわしの勇姿を見たいのであろう・・・。)


 こう思うと、より一層やる気が出る信玄なのであった。

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