第75話 山籠もり

 「御屋形様はどちらに。」


 「ああ、山に籠っているようだ。」


 「またか、御屋形様はお山が好きじゃの。」


 信玄は今、秋風がそよ吹く山の中にいる・・・、わけではない。

ここでいうお山とは躑躅ヶ崎館にある信玄専用の厠、即ち便所のことである。


 「うーん・・・。」


 と唸ってはいるが詰まっているわけではない。

武田家の今後の方針などを考えているのだ。


 信玄いわく、とても考えやすい空間らしい。


 そしてある日、若い家臣が信玄に尋ねた。


 「なぜ、厠をお山と呼ぶのですか。」


 それに信玄はこう答えた。


 「お山とは草木(臭き)が絶えぬからじゃ。」


 信玄の答えに尋ねた家臣は感服したという。


 そして10月に入ったこの日も信玄は一人、お山で考えを膨らませていた。

ちなみにだが、このトイレは水洗トイレである。


 ・・・とは言っても現代のような自動技術はなく、信玄が合図をすると

せき止めてあった沢の水をお山の方に流して洗うシステムである。


 「うむ、いい考えが思いついた。」


 信玄は上機嫌でお山を出ると、小山田信茂が待ち構えていた。


 「おお、信茂。そこにいたのか。気づかなかったわい。」


 「驚かせて申し訳ありませぬ。」


 「で、どうしたのじゃ。」


 「はは、北条氏康殿がお亡くなりになられたようで・・・。」


 「何、それはまことか!?」


 信茂の報告を聞いて小躍りした信玄だが、


 「人の死を聞いて喜ぶのは不謹慎ですぞ。」


 とたしなめられた。


 「ああ、すまぬ。」

 「それで、同盟交渉の方はどうなった。」


 「見事、同盟を復活させましてございます。」


 「そうか、それはよかった。」


 信茂の報告を受けて心の中で小躍りする信玄なのであった。



 「御屋形様!」


 「おお、信豊。何かあったのか。」


 「この信豊、前々より軍術を学んでおりますが、どうしてもわからぬ点が

いくつかあります。なので、御屋形様に教えを乞いたく存じまする!」


 こう信玄に教えを乞うてきたのは一門衆で武田信繁の子でもある

武田信豊だ。


 「そうか、喜んで教えてやろうじゃないか。」


 「ありがたき幸せ!」


 実のところ、信玄は前々から信豊の頭の良さと努力に気づいていた。


 (あの信繁の血を継いでおる。)


 信玄はさすがは信繁の息子だと感心していたのである。

だから、その信豊のお願いを断る理由はなかった。


 「御屋形様の教えはわかりやすく存じまする。」


 「当たり前じゃ。これまで何人もこうやって教えてきたからな。」


 それからというものの、信玄は何かと信豊を可愛がった。

中には妬むものもいたが、努力からして当然のことだと思っていた。


 (この信豊もしっかり育てて将来の武田家の柱にするぞ・・・!)


 こう思う信玄はますます教えに熱が入った。


 「御屋形様、頭が溢れそうでございます。」


 「ああ、すまぬ。ついつい喋りすぎてしまった。」


 「と、とんでもありませぬ。私の頭に収まらぬだけでございます。」


 こう言った信豊だが、その表情は満足感にあふれていた。


 (このわしが積み上げてきた知識を少しでも多く受け継いでもらいたい。)


 そう思う信玄なのであった。

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