第74話 内緒の御内書

 「何、将軍家から御内書じゃと?」


 年が明けて元亀2年(1571年)正月、将軍足利義昭から

秘密の御内書が届いた。

 御内書とは足利幕府が出す私的な公文書のことである。


 “今日の幕府は信長の好きなようにされていて身動きが取れず、

さらに信長から意見書が届いてそれを見るだけで耐えがたい。

 だから、信玄殿にはぜひ信長を打倒していただきたい。

これは幕府の総意である。どうかお願いを申し上げる“


 「ふむ、やはり信長と将軍様はそりが合わないようじゃな。」


 こう言った信玄だが、この御内書は上洛の軍勢を起こす大義名分にもなり、

信玄にとってはとても嬉しいことだった。


 (よし、これで上洛への準備が整ったか・・・。)


 こう思った信玄だが、北条の存在を思い出した。


 (そうじゃ、北条がおるのか。影が薄いから忘れておったが同盟を組むまでは

動けぬな・・・。)


 信玄は北条家との同盟交渉を担当する小山田信茂を呼んだ。


 「まだ交渉は続いておるのか。」


 「申し訳ありませぬ。交渉が難航しておりまして・・・。」


 「どこで突っかかっておるのじゃ。」


 「それが・・・、駿河の領地をめぐって意見が合わず・・・。」


 「なるほど、北条としては駿東郡辺りを欲しがっているわけじゃな。」


 「はい・・・。」


 駿東郡とはその名の通り駿河国東部の富士以東の地域である。


 (同盟のためには手放してもよいが、上洛を考えると

少しでも領地が多い方がいいな・・・。)


 そこは信玄もなんとも言えなかった。


 同盟交渉が難航する中、何か糸口を探していると三ツ者の甚助が

大変な情報を持ってきた。


 「御屋形様!」


 「どうした、甚助。」


 「どうも北条氏康殿が病を患っているようで、死後は武田と同盟を結べと

子の氏政殿に申しているようです。」


 「そうか、それは大儀であった。わしはその情報を待っていたのじゃ。」


 (氏康殿には悪いがここは早く死んでもらいたい・・・。)


 こう願う信玄もまた、沈静化しているものの病を抱えている。

そう、氏康の死を待っている時間も惜しいのだ。


 しかし、氏康はなかなかしぶとく、夏を過ぎて秋になった。


 待ちくたびれる信玄だが、その間何もしていないわけではなかった。


 「おお、これが水軍か。」


 駿河をほぼ制した信玄は駿河国清水湊(今の静岡市清水区)を拠点にして

水軍を編成した。


 武田水軍の陣容は以下の通りである。


 岡部貞綱 船12艘 同心50騎

 間宮信高 船5艘

 間宮武兵衛 船10艘

 小浜景隆 安宅船1艘、小舟15艘

 向井正重 船5艘

 伊丹康直 船5艘


 元々武田軍に水軍は存在しないため、全員が国外から集めた武将たちである。

岡部や伊丹などは今川家の旧臣であり、間宮は北条家の旧臣、

そのほかは伊勢国や志摩国(ともに今の三重県)出身の者たちである。


 海を持つ、それは信玄の長年の夢でもあった。

日本海のある越後こそ奪えなかったものの、駿河を奪ったことにより

太平洋の海を持つことに成功した。


 (都に行くには日本海の方がいいが、この穏やかな海も悪くない。)


 そう思いつつ、何より水軍の編成を喜ぶ信玄なのであった。

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