第73話 手切れの戦

 「そんなに気を落とさないでください。」


 お富が信玄を慰める。


一度は上洛を誓って前を向いた信玄であったが、

やはり三条夫人がいない毎日はどこか寂しく悲しかった。

 信玄にぽっかりと開いてしまった穴を少しでも埋めようと

側室のお富が信玄の側に居続けた。


 そんなお富だが、信玄の前では真面目に振舞っているものの、

実は野心家で信玄を独り占めせんとしており、三条夫人と

バチバチの関係だった。


 だから三条夫人の急死を聞いたお富は内心、


 (これで私の天下よ・・・。)


 と思っていた。


 しかし、信玄が好きなのは女性だけではなかった。


 「え、御屋形様が男を連れてきたですって!?」


 そう、信玄はかなりの男色家であり、穴がお富だけでは埋まらなかったのか

次々と高坂2世とも言うべきモテ男を館に連れてきたのだ。


 (長く側に居ても御屋形様のやることはわからないわ・・・。)


 最終的に一番がっくりきたのはこれまで信玄を励ましてきた

お富なのであった。


 

 「徳川とは手切れじゃ。」


 元亀元年(1570年)秋、信玄は評議の場でこう明言した。


 「何か徳川との間であったのですか。」


 秋山信友がこう聞くと、


 「いや、そういうわけではないが、どちらにしてもいずれ戦うことになる。

であれば、早く手切れをした方が調略が進めやすい。」


 「なるほど・・・。」


 重臣たちも皆、信玄の考えに驚嘆するばかりであった。


 「では手切れの矢文を送るので・・・?」


 「いや、ここは事前通告なしで攻め込む。」


 「いや、しかしそれは時期尚早・・・。」


 「安心せい。まだ本格的に攻めるわけではない。ただ我が軍の恐ろしさを

ほんの少し教えてやるだけじゃ。」


 この言葉に家臣たちは胸をなでおろした。

なぜなら、もう上洛に向けた軍勢を起こすのかと思ったからである。


 「本格的に攻め込むのは北条家と手を組んでからじゃな・・・。」


 こう言って信玄は北条家との同盟復活を待ち望んだ。


 何はともあれ、徳川家外様を怖がらせて調略するための軍勢を

徳川領に送り込むことになった。


 「信友よ。」


 「はは。」


 「徳川の家臣に武田軍の恐ろしさを教え込ませることはできるか。」


 「お任せくだされ。」


 こうして信友がその軍勢を率いることになった。



 「何!?武田が攻めてきたじゃと!?」


 家康はあまりに早い攻撃に驚きを隠せなかった。

なぜなら家康も武田が攻めてくるのは北条との同盟締結後だと

思っていたからである。


 「それー!これが武田の強さじゃー!!」


 秋山信友率いる武田軍は遠江国の奥深くまで入り込んで強さを誇示した。


 「お、恐ろしや・・・。」


 「あんな奴らとは戦えねぇだ。」


 徳川軍は近江国姉川で信長と共に浅井、朝倉勢と戦ったばかりであり、

疲労がたまっていたため軍を動かすことができなかった。


 この出兵の効果は抜群でいくつかの外様勢力からの内応を取り付けることに成功したほか、さらにいくつかの外様と内応に向けた交渉に入った。


 信玄の、いや、武田家の夢である上洛に向けて

準備は着々と進んでいるのであった。

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