第72話 元祖小田原評定

 「尾張の織田信長が・・・。」


 「摂津国で織田軍が・・・。」


 この頃、甲斐の躑躅ヶ崎館にも織田信長に関する情報が

頻繁に入ってきていた。

 それもそのはず、今日本で一番大きな勢力を誇っているからだ。


 武田家が駿河に侵攻し始めた永禄11年(1568年)に美濃を制圧した信長は

その年には一気に将軍足利義昭を奉じての上洛を果たしていた。


 信玄としては先を越されたといえばそうだが、地理上どうしようもない、

と思って割り切っていた。


 (今は信長の勢いが勝るやもしれぬが、駿河を制圧すれば

状況は一変するであろう。)


 そんな中、織田家から贈り物が頻繁に届くようになった。

その量も回数も尋常ではなく、信玄のご機嫌を良くして

攻め込まれないようにする作戦のようにも見えるが、

洛中周辺を制圧しているだけあって日本内外の貴重な品が多く届くので、


 (このわしを田舎侍だと見下して挑発しておるのか。)


 と信玄は余計に不機嫌だった。


 そんな信玄だが、楽に結べると思っていた北条家との同盟交渉が

意外と難航していた。


 三ツ者の甚助からの情報によると小田原城内では家臣たちが

同盟復活派と反武田派に分かれて毎晩、平行線な評定をしているという。


 (そんな家臣たちで北条家は大丈夫なのであろうか。)


 信玄も思わず心配するほどであったが、この約20年後に小田原城が

百姓から成りあがった豊臣秀吉に囲まれて同じような評定の末に滅びるなど

思いもしないのであった。



 「北条家をもう一押しせねばならぬ。」


 年が明けて元亀元年(1570年)5月、武田軍は駿河に出兵した。


 穴山信君が死守した江尻城を起点として軍勢を展開し

駿河の富士山麓、吉原で北条軍と戦を交えた。


 結局、両軍ともに大きな損害はなかったものの、

この戦が続くのを嫌がる北条家家臣が増えたため、武田家としては

大変戦果のある一戦だった。


 そんな駿河侵攻の最中、躑躅ヶ崎館から急報が届いた。


 「何!?それはまことか!?」


 なんと三条夫人が突然倒れて意識を失ったというのだ。

ここでふと信玄は思い出した。


 それは駿河出兵の直前のこと。

信玄は戦のことで頭がいっぱいで特に気にはしなかったが三条夫人の顔色は

確かに良くなかった。


 (病気を隠しておったのか・・・。)


 信玄は今すぐにでも帰国したかったが、駿河での戦が終わっていなかった。


 (待っておれ・・・、できるだけ早く帰るから・・・。)


 信玄はこう思い無事なように願ったが、その願いもむなしく・・・。


 「御屋形様・・・。」


 「どうした守友・・・。」


 「三条の方がお亡くなりになりました・・・。」


 「なんじゃと・・・。」


 側近の三枝守友からの知らせを聞いた信玄はその場に立ち尽くした。


 (人は思いにもよらぬところで亡くなるものじゃが、何もわしがいないときに

亡くなることはなかろう・・・!)


 信玄は悲しみに暮れたが、皮肉にも北条軍が小田原に戻って

戦が終わったのはこの日であった。


 (もう少し、北条勢が早く引き上げていれば・・・!)


 信玄はどうしようもないことをひたすら考えながら甲斐に帰国した。


 「う・・・、悪かったな・・・。」


 信玄はただ早く帰ってこられなかったことを悔やんだ。

いや、悔やんでも悔やみきれなかった。


 「御屋形様・・・。」


 悲しむ信玄の側にそっと座ったお富がひたすら信玄を慰めた。


 時は元亀元年(1570年)夏。

信玄は三条夫人の思いも背負って、三条夫人の故郷でもある洛中への進軍を

固く誓うのであった。

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