第64話 義信幽閉

 「どうしたのだ虎昌、最近様子が変ではないか。」


 「いえ、そのようなことは・・・。」


 虎昌はこの日も真実を言えずにいた。


 この年も晩秋を迎えて山々の紅葉も始まった古府中。

この日の評議の最中も虎昌はもじもじとして落ち着かなかった。


 その日の夜のこと。

義信は虎昌にあることを伝えた。


 「虎昌よ、私は今年の暮れまでに駿河に向かおうと思っている。」


 「義信様。」


 「なんだ。」


 「駿河行きを諦めるおつもりは・・・。」


 「ない、全くない。」


 「そうでございますか・・・。」


 虎昌はいよいよ瀬戸際に立たされた。

そして追い詰められた虎昌はこのようなことを思った。


 (どちらにつくか決めるなら、自害したほうがましだ。)


 こう思いつつも義信が心変わりするのを願っていたのだが、

なんの変化もないまま11月を迎えてしまった。

 義信の駿河行きの準備もほぼ終わり、駿河の方もあとは

迎え入れるだけの状態だった。


 「昌景よ、話しておきたいことがある。」


 虎昌は信頼する弟の飯富昌景を呼んだ。


 「何でしょうか兄上。」


 虎昌は昌景に事のすべてを打ち明けた。

そのうえで、


 「わしはどちらも決められん。だから・・・、自害するつもりじゃ・・・。」


 これでことの深刻さを感じ取った昌景は、どうすれば兄の虎昌が

死なずに済むのか考えた。


 (そうだ、兄上が自決する前に御屋形様に伝えて

義信様を捕まえてもらえばいいのだ・・・!)


 昌景は義信が捕まれば虎昌も自害せずに済むと考えた。


 「御屋形様、話しておきたいことが・・・。」


 昌景は思い切って信玄のもとを訪れた。


 「わしは忙しいのだが・・・、急用か?」


 「はい!大変急いでほしいことです!」


 「わかった。」


 信玄は駿河攻めの準備で忙しかったが昌景の口調から緊急性を感じ取って

話を聞くことにした。


 「何!?義信が駿河に行って今川を継ごうとしているじゃと!?

それはまことか!?」


 「はい。兄上がそのようなことを話しておりまして・・・、

兄上はかなり悩み苦しんでおりました。」


 「そうか、だから虎昌の動きが変であったのか・・・。」


 「では、すぐに義信を捕まえよ・・・。」


 こう言いかけて、信玄は大変なことに気が付いた。


 (捕まえたら、義信が改心するかというと・・・、あり得ぬ。

ということは、自害してしまうやもしれぬ。)


 ここで信玄は悩んだが、昌景が放った言葉で信玄が動いた。


 「兄上の・・・、虎昌殿の命もかかっているのです!」

 「もし義信様が駿河に入ったら自害すると申しておりました!」


 「何!?あの虎昌がか!?」


 (・・・仕方ない・・・。わしとてまた周りの者を死なせたくはない。

当然、義信も死なせたくない。ただ、義信の駿河行きを止めなければ、

義信と戦うことになってしまう。そればかりは御免じゃ・・・!)


 信玄は悩んだ末、手勢を派遣して義信を捕まえることにした。


 「バレたか・・・!」


 甲駿国境付近で捕らえられた義信は東光寺というお寺に幽閉されたが、

改心などしてたまるかと思った義信はその場で自害した。


 さらに、信玄は義信幽閉を伝えるために急いで飯富の屋敷に向かったのだが、


 「と、虎昌・・・。」


 わずかに遅く、すでに虎昌は自害していた。


 (虎昌よ・・・、そなたの苦労に気づけなくて悪かった・・・!)


 信玄は昌景からの情報を受けてなんとか虎昌だけでも助かるようにと

最善を尽くしたが、結果として義信と虎昌、両方を死なせてしまった。


 (もっと早く気づいていれば・・・。)


 そこで信玄はあることを思い出した。


 (そういえば曽根内匠に家中の火種を見つけるよう

言っておいたはずなのだが・・・。)


 そう思いつつ館に戻ると側近の曽根内匠の姿がなかった。


 「さては・・・、義信と謀ったのか・・・!」


 信玄はすぐに内匠を探し出すよう命じた。

しかし、曽根内匠の姿はすでに領内になかった。


 (やはりそうか・・・、あらかじめ情報を掴んでいた曽根内匠を義信が

口封じしていたのか・・・!)


 さらに調べを進めると、義信と共に駿河に行く予定の家臣が数名いたという。


 (わしが忙しくて説明できぬ間、家中にたまっていた不満を

義信が利用しておったのか・・・!)


 こうして義信事件は終止符が打たれたが、武田家は家臣団筆頭と、

何より跡継ぎを失うことになってしまった。


 信玄は悲しみに暮れ、駿河どころではなくなっていた。

その一方で、居候していた今川氏真は混乱に乗じて甲斐を脱出し

駿河に戻った。


 この計画の頓挫を受けて当主が復帰した今川家だが、

義信を受け入れられなくなったことを受けて再び人心が離れていき

今川家は滅亡へと進むことになる。


 また、武田家もこの事件で受けた衝撃は計り知れないものなのであった。

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