第61話 今川の君主

 「あの蹴鞠小僧が何だって?」


 「あの蹴鞠小僧ががね・・・。」


 「皆の者、さっきから聞えてくる蹴鞠小僧とは誰なのだ・・・?」


 「御屋形様はご存じないので?」


 「ああ、わからぬ。」


 「駿河の今川氏真のことですよ。」


 「・・・確かに。気づかぬわしが馬鹿だったわい。」


 こう言って信玄は笑った。


 桶狭間の戦いで討死した今川義元の跡を継いだ氏真は蹴鞠しか能がない

ともっぱらの噂で蹴鞠小僧と呼ばれている。


 実際に毎日、当主のやるべきことを全くせず、蹴鞠の遊びを繰り返している。

なので、今川家の家臣も困り果てており、今川家から人心が離れつつあった。


 だが、実のところ氏真はただの蹴鞠小僧ではないのである。



 「氏真様はどちらに。」


 「・・・今日も蹴鞠です。」


 「全く、困ったものだ。」


 そんな呆れる家臣をよそに蹴鞠を続ける氏真だが、

実は父、義元の遺伝子をしっかり継いでおり、頭がよくて戦もできるのである。


 ・・・いや、むしろ若き日の義元以上の才能を持っていた。


 なのになぜ、このような生活を送っているかというと理由は一つ。


 (武士などやりたくない。今川家の当主など御免じゃ。)


 そう、氏真は戦もなにもしたくなかったのだ。

だから氏真の望みは蹴鞠と送る平和な生活だ。


 (百年ばかし前であれば、平和な生活が送れたのにな・・・。)


 こう生まれた時代に文句を言う日々だった。


 そしてある日、このようなことを思いついた。


 (誰かわしに代わって今川家をまとめてくれる者がいればよいのだ。)


 そして氏真は評議に珍しく出席し、


 「誰か代わりに当主をやってくれないかの・・・。」


 と呟いてみた。


 しかし今川家の家臣で「はい。やります。」というような野心家はおらず、

仕方なく重臣の朝比奈泰朝に頼み込んだ。


 「わしはこの地位が嫌じゃ。平和に暮らしたい。だから泰朝よ

代わりにこの今川家を取り仕切ってくれないか!?」


 こう必死の思いで願ったが、


 「それは・・・、お断りいたします。そのようなことを

今川家の君主が言ってはいけませぬぞ。」


 と退けられてしまった。


 そして氏真の思う通りにならないまま、月日が流れて

永禄9年(1566年)春。


 (もう嫌じゃ。無理やりにでも駿河を出る・・・!)


 氏真は変装をして駿府を脱出した。しかし、出たはいいが行き場所はなく、

かといって駿河国内では家臣たちが探しに動いていた。


 (もうあそこにいくしかない・・・!)


 氏真は決意をして富士山麓を歩むのであった。

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