第54話 罠にはまった者

 「何・・・?もう一度述べてみよ・・・。」


 「はは、上杉勢が妻女山に布陣したと・・・。」


 この一報に信玄は唖然とするばかりであった。


 これまでの戦況は上杉勢が武田軍に迫り、信玄は海津城の部隊を動かして

挟み撃ちを試み、上杉勢がそれを恐れて動き出すという

信玄のシナリオ通りであった。


 その信玄もこの後の上杉勢の動きについて様々なことを考えていたが

まさか上杉勢が後退することなく、むしろ前進して武田の勢力圏内である

妻女山に陣を敷くなどとは思ってもいなかった。


 (妻女山は海津城とこの茶臼山の間にある山。いくら我らの勢力圏とはいえ、

山の上に布陣されては攻めることが難しい。)


 さらに、妻女山は海津城の方に近く、その城内にいる部隊が危険にさらされて

身動きが取れなくなってしまった。


 そこで再び軍議を開いた信玄だが、その場は重い雰囲気に覆われていた。


 「まさか、あそこに布陣されるとは思ってもいなかった・・・。」


 重臣たちも頭を抱えるばかりであった。


 (今回は政虎にしてやられたが、次もうまくいくと思うべからず・・・。)


 こう思いつつ、信玄は新たな作戦を考えた。


 「皆の者、ひとまず海津城に入る。」


 「ですが・・・、あそこは上杉勢に近く身動きが取りづらいですぞ。」


 重臣の馬場信春がこう反論したが、


 「そういう見方もあるやもしれぬが、海津城と妻女山との間には

河川がない。だから川をまたいで対峙するより政虎に対する圧力は大きくなる。」

 

 「なるほど・・・。」


 「それに政虎も一見、身動きが取りづらそうな海津城に入るとは

思ってもいまい。」


 こうして海津城に向かって進軍を始めた武田軍だが、

信玄の頭の中には既に次の作戦が溢れていた。


 

 「くっ、信玄め。まさか海津城に入るとは・・・。」


 ここは妻女山の上杉軍本陣。

上杉政虎もまた、頭を抱えていた。


 (信玄よ、海津城に入ったこと、後悔させてやる・・・!)


 政虎もまた、作戦を練った。


 

 「御屋形様、どうも上杉勢の中で兵糧不足による不安が

広まっているようです。」


 高坂昌信からの報告を受けた信玄は、


 (これは噂を広めてかき乱す好機じゃ・・・。)


 と思い、動き出した。


 「又蔵よ、上杉勢の中に紛れ込んで兵糧があと5日ほどしかもたない

といった噂を流して不安を煽ってまいれ。」


 「はは!」


 (ふむ・・・、このわしが川中島一帯への善政を行ってきたから

政虎は兵糧が調達できなかったのであろう。)


 信玄はさらに上杉勢は武田の勢力圏に深入りしていることもあって

補給路が延びきっていることも原因であろうと踏んでいた。


 「大変だ。」


 「ど、どうした。」


 「兵糧が・・・、あと5日しかもたないそうだ。」


 又蔵らの特殊部隊が噂を広めたのもあり、上杉軍の中で動揺が広がった。


 (うむ、足軽の中で動揺が広がっておるな・・・。)


 信玄は上機嫌であったが、ここで政虎が衝撃的な行動を起こす。


 

 「ええい、足軽ども!確かに兵糧は残りわずかだ。だから帰りたいものは

帰るがよかろう。我らは一切咎めぬ。これは毘沙門天に誓ってだ。」


 これを受けて軍勢の大半を占める足軽が次々と越後へ帰っていき、

1万6千ほどいた兵力は5千ほどにまで大幅に減少した。


 「何・・・、足軽が1万も越後に帰っていったじゃと・・・?」


 「はい・・・、どうも政虎自身が帰っていいと言ったそうで・・・。」


 「そうか、政虎もついに狂ったか。」


 これを受けて信玄は海津城にて軍議を開いた。


 「敵勢が5千ほどになったということは一気に攻め込んでもよろしいかと。」


 「いや、減ったとはいえ何が起きるかわからない。ここはしっかりと

作戦を立てるべきかと。」


 議論が進む中でここまで黙っていた勘助が手を挙げた。


 「お、どうした勘助。ついに良い作戦が思いついたか。」


 「思いつきましてござる。」


 「おお、それはどういう・・・。」


 勘助はゆっくりと話し出す。


 「政虎は挟み撃ちを受けかけたことで頭のどこかに挟み撃ちが必ずある。

そこでまず、別動隊1万余を妻女山の裏手の山地より向かわせまする。

 そして妻女山を後ろから奇襲すれば、政虎はまず挟み撃ちを疑うでしょう。

ですが、別動隊だけなので前方には誰もいない。

そうなれば政虎は川を渡って川中島の平原、八幡原の方に出てくるでしょう。

そこで政虎が息をついたところで本隊1万弱と川を渡った別動隊で

挟み撃ちにします。」


 「なるほど、山の上から引きずり下ろした上で挟み撃ちとな。」


 「そうでござる。題して啄木鳥戦法。」


 「それは妙案ですな。」


 「皆の者、勘助の作戦に異論はあるか。」


 「異論ありませぬ。」


 「では、それで行こう。」


 そして、信玄は戦前ということで飯を大量に炊いて家臣たちにふるまった。

だが、大量に炊いたのには家臣にふるまう以外にも理由があった。


 今、上杉勢は兵糧に苦しんでいる。そこにこの大量の湯けむりを見せつければ

武田に投降する者も現れるのではないか、という狙いがあった。


 だが、これを見た政虎は顔をゆがめるどころか満面の笑みであった。


 (信玄め、わしがいつも罠に引っかかってばかりだと思うなよ・・・。)


 そう、信玄は今まさに政虎の罠にはまっているのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る