第53話 御旗楯無も御照覧あれ

 「御屋形様、御屋形様!」


 「どうした又蔵!?」


 「上杉勢1万6千が信濃に向けて出陣する模様です!」


 「ついに来たか・・・。」


 永禄4年(1561年)7月、ついに越後の上杉政虎が動いた。

今月末に越後の春日山城を出陣し、8月には善光寺平に到着するという。


 「信玄よ、わしはすこぶる元気だ。今こそ決戦のときぞ!!」


 (政虎よ、悪いが我らは負けぬ。この一戦で信濃を掌握する!)


 信玄はすでに越後に目を向けてはおらず、駿河に向いていたが

駿河を取るためには二度と出てこられないよう政虎を打ちのめす必要があった。

 そして、なにより政虎との決戦は宿命である。


 政虎出陣の10日ほど前、武田軍は遠くの善光寺平に行くために

いち早く古府中を出陣することになった。


 「よいか、この一戦は思い通りにはいかぬであろう。

だから、どこかで激しい戦があるやもしれぬ。・・・いや、必ず激しい戦になる。

だから生半端な覚悟では足りぬ。その覚悟はあるか。」


 これに重臣たちが大きくうなずく。


 「では、この覚悟を続けて、必ずや勝利することを御旗楯無みはたたてなしに誓う。」


 そういって信玄は家臣に命じて武田家に代々伝わる先祖、新羅三郎義光の

御旗と楯無鎧を持ってきた。


 「我ら、武田家の繁栄のため、必ずや勝利を収める。」



 「御旗楯無も御照覧あれ!」


 信玄は先祖代々の魂に誓った。

そして、自らにも誓ったのである。


 武田家の勝利とさらなる繁栄を。



 「いざ、出陣!!」


 こうして武田軍2万が古府中を出陣した。


 そして武田軍出陣の一報を聞いた政虎も


 「よいか、我らは宿敵、信玄を叩きのめしに行く。我らは絶対に勝つ。

毘沙門天が勝利を叫んでおるぞ!!」


 「オー!!」


 こう言って出陣に踏み切った。


 武田軍は8月には善光寺平の南端に位置する屋代近くの茶臼山に布陣し、

そして上杉軍も善光寺付近に布陣した。


 「皆の者、これより軍議を開く。」


 武田軍本陣に武田信玄、義信父子と弟、武田信繁、軍師の山本勘助、

そして重臣の飯富虎昌、馬場信春、高坂昌信、秋山信友、さらに信濃先方衆の

真田幸隆、あと義信の補佐を務める諸角虎定が集結した。


 「まず、現状について報告せよ。」


 信玄がこう命じると海津城主を務める高坂昌信が説明を始めた。


 「上杉勢1万6千は今のところ善光寺付近にいますが、間者からの報告では

この後、今我らがいる茶臼山近くにまで進めてくるようです。」


 「近づいて、その上で少し退いて我が軍を誘い出す計画でござるな。」


 「うむ、それに違いない。山の上にいる我が軍を攻めるとは思えぬ。」


 「ということは平地に引き込んだ上で手勢を縦横無尽に動き回らせる。」


 「確かに平地であれば上杉勢の力が発揮されますな。」


 そこで信玄が一つ、作戦を発表した。


 「であれば我らは山の上で戦うことも考えられるが、

政虎が誘いに乗るかはわからぬ。なぜならこれまで何度も誘いに

やられているからな。ならば、挟み撃ちを二段構えにして戦うのはどうじゃ。」


 「二段構えとは・・・。」


 「・・・まず、上杉勢が我が軍の近くまで来たときに海津城の部隊を動かして

本隊との挟み撃ちを狙う。だが、その海津城からの別動隊は平地を通るから

気づかれてしまうやもしれぬ。その場合、政虎は挟み撃ちを恐れて善光寺の方に

退くであろう。善光寺に退いて油断したところで別動隊を

善光寺の裏山に回して本隊と挟み撃ちにする。」


 「おお、確かに政虎も挟み撃ちを二段構えで来るとは

思ってもいないでしょうからな。」


 「ただ、思い通りに進むとも思えぬ。」


 「あの旗の通り臨機応変に、でござるか。」


 「その通りじゃ。」


 ひとまず武田軍はこの方針で上杉勢の動きを見定めつつ、

臨機応変に行動していくことになるのであった。

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