第49話 忠義とは

 「背水の陣とはこのことか・・・。」


 「状況的にはそうですが、後ろは山ですな。」


 「背山の陣と言うべきか。」


 こう言って信玄と信春は笑っていたが、

そこに衝撃的な一報が入る。


 「御屋形様!」


 「ど、どうした。」


 「上杉勢ですが・・・、かなり膨れ上がっております!」


 「何万じゃ?」


 「今は5,6万ですが参戦勢力の数からして最終的には10万を超えるかと!」


 「10万か・・・、これはいくら堅城の小田原でも油断はできぬな。」


 信玄の笑顔が消えた。



 永禄3年(1560年)秋頃に越後を出発した長尾景虎は関東で越年し

その間に軍勢は膨れ上がっていた。


 その長尾勢は上野国と越後国の境にある三国峠を越えてきたわけだが、

この峠、冬場は雪にうずもれて通ることができない。

 これは退却できないことを意味しており、背水の陣である。


 「我らも信越国境を荒らしに行かねばならぬな。」


 「そのことですが、北条氏康殿より直々に手紙が届いておりまして・・・。」


 こう言って側近の金丸平八郎が手紙を取り出した。


 「何々・・・、上杉勢は今や大軍になっている。だから信玄殿には

北信濃に出陣し、長尾勢の背後を脅かしてほしい。」

 「今、話していた通りじゃな。」


 信玄が祐筆に返事を書くよう命じた直後のことであった。


 「御屋形様。」


 そこに図太い声をした男が現れた。


 ・・・郡内の谷村城城主、小山田信茂である。


 「何かあったか。」


 「はい。勝沼城城主、勝沼信良殿の様子がおかしいのでご報告に参った次第。」


 「何?信良が・・・。それはどういうことじゃ。」


 「はは、それが甲斐国の特に東側では、小田原が落ちた場合に次は我らだ

との噂が広がっております。そしてそれを聞いた信良殿が

今にでも上杉の陣営に向かって参陣しそうな軍備を整えております。」


 「ふむ。・・・まだ確証がない。だから信茂、もし信良が参陣するとしたら

地理的に必ず小山田領を通る。だから通さぬよう兵の支度をしておくように。」


 「承知いたしましてございます。」


 こうして信茂は帰っていった。

その後、軍備を整えた信茂のいる谷村城にある男が現れた。


 「勝沼信良である。信茂殿と話がしたい。」


 突然の信良の訪問に谷村城は慌ただしくなったが、

信茂の許可によって本丸に通された。


 「いやいや、信茂殿もその気になられたか。」


 「そ、その気とは・・・。」


 「とぼけても無駄ですぞ。信茂殿も上杉の陣営に参陣されるのでしょう。」


 「な、なぜそう思う・・・?」


 「なぜなら小山田領内、どこを見ても戦の準備をしておられる。」

 「これは上杉陣営に参陣されるのに他ならないと・・・。」


 「・・・信良殿は参陣されるおつもりで・・・?」


 「ああ、もちろん。共に加わろうではないか。」


 「・・・・・・。」


 「信茂殿・・・?」


 「この謀反人、勝沼信良をひっ捕らえるのだー!!」


 「ひぃー!!」


 信良は小山田家家臣数名に捕まると、躑躅ヶ崎館に移送された。


 「信良よ・・・、やはり謀反を企んでおったか!!」


 「はい・・・、ですが上杉が強い以上、当然の判断です。」


 「おぬしには忠義というものはないのかっ!?」


 信玄も珍しく語気を強める。


 「忠義などと言っていたら家は滅んでしまいますし、信茂殿も参陣されると

思っていたので動く決め手になりました。」


 「・・・なぜ信茂が参陣すると・・・?」


 「いや、小山田領内の動きが活発であったので・・・。」


 「それはおぬしの動きが怪しいから信茂に準備しとけと

命令したからじゃ!!」


 「そ、そうだったのですか!?」


 「ええーい、聞けば聞くほど腹が立つ。取り調べた上で、斬首せよ!!」


 こう命令した信玄だが、落ち着いた後にこんなことを考えさせられた。


 (忠義とは程度の差はあれど皆にあると思っていたが、あれほどにまで

無い者がいるとは・・・。)


 これまで家臣を大切にしてきた信玄だが、その意味さえ

わからなくなるような、信玄にとって衝撃的な事件なのであった。

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