第44話 信玄と号す

 月日が進んで永禄2年(1559年)。


「1年とは本当に早いものじゃ。」


 思わずこう漏らす晴信に


 「この虎昌、すでに50を超えておりますが一生も早いですぞ。」


 と言いため息をつく虎昌であった。



 そんなある日のこと。


 「兄上、恐れながら出家されてはいかがでしょうか。」


 「何・・・?」


 晴信は信繁の口から出た思わぬ言葉に首を傾げた。


 (出家・・・、それになんの意味が・・・?)


 出家とは本来、自らの意思で仏門に入って穢れを洗い流すものであり

晴信にその意思が全くない中で弟にそう言われても、

と意味が分からず困り果てた。


 すると信繁は越後のある北の方を指さしてこう言った。


 「出家と言っても形式的なものだけです。」


 この言葉で晴信は信繁の考えが分かった。


 越後の長尾景虎は義を掲げて戦っておりながら、

出家ということはしていなかった。


 そこで晴信が形だけでも出家することで、未だ出家していない景虎よりも

実はいろいろ考えているのだ、というのを示すのである。


 「そういうことか、やっとわかったぞ。」


 「そうすれば信濃国の豪族たちへの調略も進みやすくなるでしょう。」


 こうして晴信は長禅寺住職の岐秀元伯を導師として出家し、

機山信玄との法名を授かった。


 ・・・武田信玄の誕生である。


 出家したとはいえ、これからも武田家の当主として活動していくのに

間違いはなかった。


 だが、この出家は想像通りの結果と想像外の結果をもたらした。


 「御屋形様、越後の長尾景虎が信濃国の豪族の直属化を

図っているようにございます。」


 高坂昌信からの報告を受けた信玄は内心、驚いていた。


 景虎の信濃国への侵攻の目的は豪族たちを助けるためであり、

直属化するためではないからだ。


 (ふむ、景虎も豪族が次々と離反する状況でこう動いたか。)


 この景虎の行動に景虎が追い詰められているのが垣間見えた。


 信玄となって以降、信濃では特に景虎方の高梨家からの離反が相次いでおり、

信濃北部に勢力を張っていた高梨政頼も本拠地の中野一帯を失うほどであった。


 そんな中、危機感を抱いたのは景虎で、もし高梨家が落ちれば

次はもう越後であった。


 そこで半端な支配ではなく、しっかりと配下に置くことで信濃の勢力を

守ろうとしていた。


 (これでは調略作戦が機能しなくなるやもしれぬ。)


 信玄は頭を抱えたが、ここであることをひらめいた。

それは先の川中島合戦の後にいただいた信濃国守護の名前である。


 実は3回目の川中島の後に景虎の上洛を熱望していた人物がいる。

それは足利幕府の将軍、足利義輝であった。

 当時、義輝は三好長慶に都を追われていたので

景虎に助けを求めたのだ。


 だが武田家と争っていては上洛がままならない、ということで義輝より

和議を提案されそれに応じた対価として信濃国守護職を授かっていた。


 もはや守護職は形骸化しているものの、幕府内では有効である。

そこで信玄は、


 「将軍、義輝様に手紙を書くように。」


 と命じ、内容を祐筆に伝えていった。


 「信濃国守護の武田信玄であるがこの度お願いがあってこの手紙を認めた。

越後の長尾景虎殿が信濃国守護ではないのにも関わらず、北信濃の領地を

自らのものにせんとしている。だから信濃のことは信玄に任せるよう、景虎殿に

お伝えいただきたい。」


 そしてこれを都に送るとき、甲州金をどっさりとつけてやった。


 今、幕府は大変な資金難に苦しんでいる。

なので、この甲州金作戦は大きな功を奏した。


 「おお、そうか。景虎の方に信濃侵攻を控えるよう、との手紙が行ったか。」


 幕府との関係を深めてきた景虎にとって、この仕打ちは大変な効果があり

これ以降、しばらく景虎は信濃へ軍を進めることができなくなった。


 またこれを受けて北信濃の豪族への調略が再び容易になり、

信濃の情勢は武田家へと傾いていった。


 (景虎よ、この縛りを景虎自身が解いた時こそ決戦ぞ。)


 味方を有利にしてから、そして敵を怒らせてから決戦に持ち込み罠にはめる、

これが信玄の作戦なのであった。

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