第43話 竜王の桜

 戦も一段落した永禄元年(1558年)春。

晴信は釜無川沿いの竜王村にいた。


 「ついに堤防工事が完了か。長かった・・・。」


 晴信がこうため息をつくと、


 「これからこの辺りも豊かになっていくのでしょうね。」


 と隣にいるお峰が笑顔を浮かべた。


 「少し川の方に行ってもいいですか。」


 「ああ、もちろん。」


 お峰は堤防工事により緩やかになった釜無川の方に向かっていった。


 「御屋形様。」


 「お・・・、なんだ、いたのか。勝資。」


 「一緒に参れとおっしゃったのは御屋形様ではありませぬか。」


 「え・・・、あ・・・、・・・ん?そうだったのか・・・。」


 事実、晴信が勝資を呼んだことは一切ないのだが、勝資がラブラブシーンを

見るために尾行していたのである。


 「呼んだ覚えは・・・?」


 「まぁ、それはともかく、お峰さんとはどんな出会いで。」


 「あ、あぁ。わしが富士の霊峰に病気治癒のお参りにいった時に・・・。」


 「なるほど。不死の山に病気治癒のお願いに行って生き延びようと・・・。」


 「まぁ、そういうことだ。」


 こう言って晴信はお峰のいる河原のほうに向かっていった。


 「・・・って、そこからどうやって出会ったのですかー!?」


 晴信に見事にかわされた勝資であった。



 「御屋形様。」


 河原から帰ってきた晴信に声をかけたのは高坂昌信である。


 「何かあったのか。」


 「実は御屋形様に内緒で堤防完成記念のお祭りを計画しておりました。

これより始まりますので来ていただきたく存じます。」


 「おお、そうか。・・・ではお峰、一緒に行くぞ。」


 晴信が林を一つ越えると、開けた土地に多くの領民や家臣たちが

集まっていた。


 「おお、これはこれは。」


 「工事の完了を祝ってー万歳―!」


 お祭りは大盛況だったが・・・、


 「お峰よ・・・。あれ?いないではないか。」


 いつの間にかお峰が姿を消していたと思ったら、


 「すごくかっこいいですね、昌信様♡」


 なんと高坂昌信に寄ってたかる女衆に混ざっているではないか。


 「お峰はだれが好きなのじゃ!?」


 「昌信様♡」


 ガーン・・・。


 賑わう祭りの片隅で崩れ落ちる晴信。

今からどうこう言っても、後の祭りであった。


 ひどく落ち込む晴信であったが、その前に晴信の室の

“本命”が現れた。


 「私を忘れてもらっては・・・、困ります・・・。」


 そう。正室、三条夫人である。


 夫婦は大きな桜の木にゆっくりと腰かけた。

前を見ると富士の霊峰がそびえていた。


 (お峰・・・。)


 ついついお峰を思い出してしまう晴信に、


 「上を向いてはどうですか。」


 と三条夫人に言われて見上げると

満開の桜が空を覆うようであった。


 「そうか。遠くのものばかり見ていたが、近くを見るのもいいものだな。」


 「そうですね。」


 晴信には遠くに見える富士山やお峰なんぞ頭から消えて、

近くの桜と三条夫人の優しさに心が温まるのであった。

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