第42話 三河の竹千代

 これはある日の軍議が終わった時のこと。


 多くの家臣がそれぞれの屋敷に戻っていく中、晴信は飯富虎昌や山本勘助、

馬場信春に高坂昌信といった重臣4人を引き留めてこんな話をした。


 「雪斎殿を欠いた今川家はこの後どうなると思う?」


 「・・・恐らく大丈夫だとは思われますが、敵次第かと。」


 馬場信春が真っ先にこう答え、それに山本勘助も


 「今川は安泰でしょう。」


 と信春に乗っかった。

だが、これに反論したのが高坂昌信で


 「雪斎殿といえば今川家を一人で支えてきたようなお方。

それを尾張のうつけに殺されたとなると、今川家の未来は暗いかと。」


 と持論を堂々と披露した。


 「確かに、武田家にとって言えば家臣団筆頭の虎昌殿を失うより

被害は大きい・・・。」


 「信春殿、虎昌殿の前で失礼でござるぞ。」


 「そ、それは失礼を・・・。」


 「そういえば虎昌よ、何か意見はあるか。」


 晴信がここまで黙っている虎昌に話を振ると、

顔を上げた虎昌は恐ろしい形相だった。


 「虎昌殿・・・、申し訳ない・・・。」


 信春が恐怖のあまり頭を下げたが、虎昌は首を横に振ると


 「わしの勘が、叫んでおります。」


 と言って晴信の方を向いた。


 「・・・なんと叫んでおる・・・?」


 「義元公は尾張の信長に討たれ、三河では松平家が台頭し

さらに信長率いる織田家と松平家は手を組み、天下への道を歩むでしょう。」


 武田家の中でも外れたことのない虎昌の勘は有名で誰もが知っているが、

この時の他の重臣たちは信じられない、といった印象だった。


 「虎昌殿。そんなに先を読んで大丈夫でござるか・・・?」


 勘助が思わずこうもらしたが、晴信が虎昌もびっくりなことを言った。


 「わしは武田家の今後もわかるぞ。」


 この一言にその場は静まり返った。

皆、晴信の次の言葉を待っていた。


 「さっき虎昌は織田信長が天下統一へと歩むと言ったな。」


 「はい・・・。」


 「ということはこの武田家は信長に頭を下げない限り、滅びるということだ。」


 「・・・!!」


 (わしは、なんてひどいことを言ってしまったのだ・・・!!)


この晴信の言葉に虎昌の顔が青ざめたのだが、


 「安心せい、虎昌。未来はなるようになる。滅びるのもあれば、天下だって

あり得るものじゃ。」

 「今からどうこう言ったって、何になるものではない。

今を生きようではないか。」


 この晴信の言葉で虎昌の顔に血の気が戻ったのであった。


 

 「そういえば三河の松平家からの人質が今川家の駿府にいるようじゃな。」


 晴信がこう話を変えると、


 「松平元康でござるかな。」


 と勘助がその名前を出した。


 三河の豪族、松平家はかつて三河国(今の愛知県東部)の大半を制する

大名級の豪族だった。

 だが、その時の当主、松平清康が暗殺されてから跡を継いだのは

幼い松平広忠であったため、松平家は弱体化し駿河の今川義元の庇護下

事実上の家臣に成り下がり、さらに広忠の長男である竹千代を駿府に

人質として差し出したのである。


 その竹千代も元服して元康と名乗っているが、未だ地元の三河に帰れない

状況であり、しかも父の広忠は祖父の清康と同様、暗殺されており

三河は事実上今川家の代官が治め、松平家は財産を搾り取られているという。


 「松平家も今川家に苦しめられていますからな。」


 「今川家が弱体化すれば虎昌殿の言う通り独立して

今川家に刃向かうでしょうな。」


 「お願いだからわしの勘の話は出さないでくれ。」


 虎昌の赤くなった顔をみて、


 「さすが赤備えの虎昌殿、顔まで赤くなってござる。」


 勘助の言葉に皆、大笑いだった。


 こんな日も良いではないか。


 そう思う晴信であった。

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