第39話 操り人形

 「ほう、遂に景虎が逃げ出したか。」


 晴信は笑いを隠せなかった。


 年が変わり弘治2年(1556年)6月。

越後の長尾景虎が“圧力”に耐え切れずに突然、越後を去った。


 名目は高野山への出家だが、晴信の様々な工作に屈した形である。


 晴信は今年から越後への工作を強化し、越後国内で様々な内紛を

引き起こして見せた。

 さらに晴信は信濃国内でも調略を進めており、長尾方からは

和議を蔑ろにしている、との抗議を受けていたが

晴信の中ではあの戦場から退くまでが和議であり、

その後は何をやってもいいと思っていた。


 こうした圧力戦法は砥石城を落とした時の真田幸隆から教わったものである。


 「御屋形様、工作が見事に上手くいきましたな。」


 真田幸隆がこう言うと、晴信は


 「これからが大事だ。」


 と一層表情を引き締めた。


 晴信の狙いは景虎の出家ではない。

景虎が出家したとなれば必ず止めに入る家臣が現れる。

 だが、その一方で止めに入る気配もない家臣もいるはずである。


 晴信はこの後、そういった長尾家家臣の動きを見定めて

後者の家臣を調略で積極的に狙っていくのである。


 (止めに入らない家臣の中には、景虎をよく思わない者もいるであろう。)


 この晴信の予想はピタリと当たり、目標の長尾家家臣を数人見定めた

勘助と幸隆がその者たちと接触し、見事大熊朝秀という者を

内応させることに成功したのである。


 「そうか、大熊朝秀の調略に成功したか。」


 「はい、御屋形様の戦略通りでござる。」


 さらに報告に来た勘助は


 「会津の蘆名盛氏と手を組んではいかがでしょうか。」


 という提案をしてきた。


 「蘆名盛氏とな・・・。」


 「今、蘆名家と長尾家は対立しておりますゆえ、蘆名家と手を組んで

大熊朝秀を助けてもらいます。」


 「なるほど、それは妙案じゃ。」


 その後、大熊朝秀は蘆名盛氏と越後を挟み撃ちにして戦っていくことになる。


 

 「御屋形様、景虎が越後に帰国したようです。」


 春日源五郎から高坂氏をついで名を改めた高坂昌信が

重臣の一人として報告にやってきた。


 「おお、昌信。そうか、やはり引き留められたか。」


 「御屋形様にはやはり全く及びませぬな。」


 「何がじゃ。」


 「私であれば例え景虎を越後から追い出させても、

どうやって景虎のいない間に越後を攻め取るかを考えてしまいます。」


 「わしは決して焦らないようにしておる。」

「頭のいい昌信だから、経験を積めばおのずとできるようになる。」


 「はは。」


 「だが、景虎を操り人形のように操れたことに自分でも驚いておる。」

 「何事もやってみなければわからぬものじゃ。」


 6月を過ぎて暑さが際立つ古府中。


 「昌信、将棋で一局対戦せぬか。」


 「喜んで。」


 晴信は今日も昌信に打ちのめされて倒れ込むのであった。


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