第36話 意地の対陣

 (景虎め、まだ退かぬか。)


 (晴信め、罠を仕掛けよって。)


 思うことは違えど、両者の意地は互角である。


 時は天文24年(1555年)の初夏。

晴信率いる武田軍と景虎率いる長尾軍が北信濃の犀川を挟んで対峙している。


 だが、戦況としては武田軍の方が有利である。

なぜなら長尾勢は晴信の罠にはまっているからである。


 本戦の前に晴信は善光寺近くの旭山城に鉄砲隊を含む援軍3千を送り込み、

そのうえで旭山城の近くに布陣していた。


 それに対して景虎は、北条高広の調略事件で怒り狂うあまり武田軍の正面に

陣を敷いて晴信に対抗した。


 ただ、この行動に景虎は後悔することになる。


 長尾勢の正面には武田軍がいるわけだが、後方にも旭山城があり

前後から狙われて身動きが取れなくなってしまったのである。


 (しめしめ、見事に乗ってきたな景虎。)


 長い戦をして、尚且つ補給路を叩いての勝利を目指す晴信は

景虎が見事に罠にはまったことに笑みを浮かべた。


 実際に別動隊が長尾勢の補給路を邪魔しに入っているため、

長尾勢は苦しかった。


 (晴信め、全てがうまくいくと思うなよ。)


 景虎は旭山城のすぐそばに葛山城という付城を築くと、

旭山城に猛攻を仕掛けた。


 「この城を落とせば勝利は確実だー!攻め立てろー!!」


 しかし、これに対して城主の栗田鶴寿は援軍の鉄砲隊を使いこなして

長尾勢を撃退してみせた。


 (これが鉄砲の威力か・・・!)


 (景虎も今頃、鉄砲の悪夢を見ていることであろう・・・。)


 結局、旭山城を落とせず損害ばかりが増えた長尾勢だが

攻撃用に築いた葛山城が思わぬ効果をもたらした。

 葛山城のせいで旭山城の城兵も城内にくぎ付けになってしまったのである。


 (うーむ、これでは長尾勢本隊の抑えにならぬ・・・。)


 (さぁ、晴信・・・。決着の時ぞ!!)


 長尾勢が対峙している犀川を渡って武田軍の陣営に攻め込んできた。


 「待て。ここはうまくかわしつつ、弓隊で戦うのだ。」


 晴信の命により、武田軍は戦闘を避けて主に弓矢で長尾勢に損害を与えた。


 (晴信め、決戦を避けるとはそれでも武士か・・・!!)


 景虎はこう思いつつも、長尾勢は晴信に踊らされて疲労がたまり、

川の向こうに引き上げていった。

 

 (いくら龍の動きであろうと、当たらなければ痛くも痒くもないわ。)


 晴信はこう思いつつも長引く対陣に不安があった。

すでに100日ほどになっているが、景虎も退く様子はなく

さらに途中までうまくいっていた補給路の妨害も対策を取られて

今ではできなくなっている。


 「御屋形様、飯富虎昌殿の陣で揉め事が・・・。」


 「またか。」


 次第に陣中で武士同士の揉め事が起こりだした。

晴信も重臣たちにこう命じた。


 「揉め事は小さいうちに収めるように。」


 ただ、中には収めきれずに揉めた末、武田軍から抜け出して

地元に帰ってしまう者まで現れた。


 晴信も軍の規律を広めて抑えようとしたが、限界が近づいていた。


 「何か和議にでも進められるような話はないか・・・。」


 晴信がこう思っていた矢先のことである。


 「兄上。」


 「おお、どうした信繁。」


 武田信繁が本陣にやってくると、


 「和議のきっかけになりうる話がございます。」


 と晴信が一番欲しい情報を持ってきた。


 「さすがわしの弟だ。その情報を待っていた。」


 「長尾景虎と敵対する加賀国(今の石川県南部)の一向一揆ですが、

その勢力を抑えていた越前国(今の福井県)の朝倉宗滴が亡くなったようで

勢力を強めております。」


 農民たちの国として知られる加賀の一向一揆だが、その武力は周りの

諸大名が恐れるほどだ。


 「なるほど。景虎にとって脅威である一向一揆の勢力拡大をネタにして

和議へと向かわせる、なかなか妙案であるな。」


 「いかがいたしましょう、兄上。」


 「ではその話を交渉の場で出したうえで和議の話を進めよ。」

 「この戦はどちらが勝利するなどと言っている場合ではない。」


 「では、そのように・・・。」


 「信繁、少し待て。」


 「はは、何か。」


 「いくら和議とはいえ景虎の怒り次第では応じないやもしれぬ。

だから間に義元殿に入ってもらってはどうか。」


 「なるほど、確かにその方がいいですな。」


 結局、駿河の今川義元に仲立ちをお願いしたうえで、和議の話が進み

約7か月、合計200日にも及ぶ長い対陣は幕を閉じた。


 「しかし、疲れたな信繁。」


 「はい。」


 (今回は和議で終わったが、この対決はまだまだ続く。

いつか決着をつける時が来るであろう。)


 晴信は決意を固めつつ、甲斐へと向かった。

出陣の時はまだ桜の花が残っていたこの道も、

今や赤く色づいているのであった。

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