第30話 又蔵の挑戦

 梅雨の長雨の中、一人越後を目指す男がいた。


 それは又蔵といい、武田家の三ツ者だ。


 これまで多くの三ツ者が越後で命を落とし、諜報戦で負けている

武田家にとって忍びの名手、又蔵が頼みの綱だった。


 その任務は長尾軍が出陣しそうになったらすぐに伝える、

というものだ。


 だが、越後に行って無事に帰ってきた三ツ者は僅かしかおらず、

又蔵は覚悟を決めていた。


 (さぁ、ここから越後だ。)


 国境の道には関所があったが越後は北信濃との交易を続けているため、

商人の姿をしていれば簡単に通れた。


 (そんなに命を落とす所には見えぬ・・・。)


 又蔵はそう思い、一瞬ながら油断をして周囲への警戒を怠ってしまった。

すると、気づいたときには手遅れだった。


 「やい、止まれっ!!お主は何者だ!?」


 あっという間に周囲を長尾の者に囲まれてしまった。


 (そうか、あのゆるい関所は油断させるための罠だったのか・・・!?)


 「ほう、今頃気づいたようだな。だが、もう取り返せないぜ。」


 長尾の者が又蔵を取り押さえようとしたその時、

周囲が真っ白い煙で覆われて


 「又蔵、早うこちらに!」


 との声がして又蔵はその声の方に走った。


 結局、そのまま山林の中に逃れて助かった又蔵だが、

その声の主は見当たらなかった。


 (何か聞き覚えのある声だったな・・・。)


 又蔵が首をかしげていると真下から


 「重いぞ、又蔵!!」


 とさっきの声がした。


 慌てて下を見ると、又蔵の尻の下にその声の主がいた。

どうも慌てたあまりに上に倒れ込んでしまったらしい。


 「じ・・・、甚助・・・!?」


 「ああ、そうだから早くどいてくれ。」


 又蔵がそこからどくと、起き上がったその男は間違いなく

甚助だ。


 甚助と又蔵は旧知の仲で、長らく同じ家で忍びの仕事をしていた。

だが、又蔵が新たな活躍の場を求めて武田家に来てから

離れ離れになっていた。


 「助けてもらってあれだが、甚助もなんでここにいるのだ?」


 「なにせ今は越後の隣国、越中の神保家に仕えているもので。」


 「そうかそうか、甚助も新しい道を・・・。」


 「そうだ。俺も忙しい。そろそろ行くからまたな。」


 「ああ、ありがとな。」


 甚助は山の中に消えていった。


 その後又蔵は長尾の警戒をかいくぐり、長尾家の居城春日山城の近くにまで

やってきた。


 (いまのところ動きはないな・・・。)


 又蔵はいる場所や服装を変えながら生き延びて監視を続け、

夏の終わりに差し掛かろうとした時、長尾軍に動きがあった。


 春日山城内があわただしくなり、戦の準備に入った。


 その後、戦の相手が武田家であるとの情報を入手した又蔵は

帰国作戦を開始した。


 しかし、信越国境は警戒が強まっており名手、又蔵でも困難だった。

そこで又蔵はまず、甚助の隠れ家を突き止めて訪ねた。


 「甚助はおるか。」


 「この声は又蔵!」


 「悪いが頼みがある。」


 「くると思っていました。」


 「え。」


 「信越国境が通れないから神保家の越中から飛騨経由で帰らせてくれ、

そうだろ?」


 「参ったな、・・・その通りだ。頼む!」


 「わかった。俺も長尾が越中に来ないとわかったから帰るところだ。

一緒に帰るぞ。」


 こうして二人は比較的警戒が薄い越中口より越後を出ることにした。


 「これから先には関所があるが、ここは抜け道が沢山ある。とっとと

駆け抜けよう。」


 二人は関所の周りの抜け道を通って越中放生津えっちゅうほうじょうつ(今の富山県射水市)

に達し、そこで甚助と又蔵は別れることになった。


 「ありがとな。助けてもらった二つ分、いつかお返しするからな。」


 「ハハハ、別に返さなくてもいい。」


 又蔵は別れた後、南に下って飛騨に入りそこから上高地を越えて

信濃国松本平の深志城に到達すると、城主の馬場信春から労いの言葉を受けた。


 だが、休んでいる間もなく、すぐに古府中に帰還して躑躅ヶ崎館の

晴信のもとに報告に行った。


 「御屋形様、三ツ者の又蔵が到着しました。」


 「おお!そうか、すぐに通せ。」


 跡部勝資の又蔵到着との報告に続いて又蔵が入ってきた。


 「越後に動きがあったか。」


 「はい、九月までには北信濃に攻め入ってきます!!」


 「兵力はいかほどか。」


 「おおよそ、1万5千かと思われまする!」


 「そうか!それはご苦労であった。この武田の命運も左右しかねない大役、

お見事であった!!」


 「ありがたき幸せにございまする!!!」


 うれしさをかみしめながら、又蔵は退室していった。


 いよいよ始まる大戦。

晴信はこういった家臣たちを大切にしながら、川中島の戦いに

挑んでいくのであった。

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