第25話 砥石城の壁

 天文19年(1550年)のもうすぐ7月という時。

晴信は諏訪の上原城にいた。


 「機は熟した。今より勝弦峠を越えて松本平の林城を攻める!」


 7月、晴信は万を超える軍勢で小笠原長時の居城、林城に攻め入った。

それに呼応して、内応していた小笠原家の家臣たちが一斉に武田軍に加わった。


 「な、なんと・・・、家臣がいないではないか・・・。」


 居城の林城には予定していた3千人を大幅に下回る5百人ほどの

兵士しか集まらなかった。

 さらに武田軍が接近すると逃亡者が増加して、一部の側近しか

残らなかった。


 「ええい、こんなので死にたくはないわ!」


 長時は林城から逃亡し、村上義清のもとに逃げ込んだ。

ここに戦国大名としての小笠原氏は滅亡した。


 「いやー、敵は逃げ散っていきましたな。」


 飯富虎昌が満面の笑みで晴信を祝福した。


 「だが、まだ戦はある。浮かれるべきではない。」


 「と言いますと・・・。」


 「これより、村上の砥石城を攻める!」


 「す、少しお待ちください御屋形様!我々は林城を攻めるとしか

聞いておりません。急に方針転換しても作戦がありませんので

今すぐ攻めるのは・・・。」


 「だが、当の義清は北の高梨政頼と争っていてしばらくは来れないだろう。

いくら堅固な砥石城とはいえ、助けがなければ落とせるであろう。」


 「あろうとか、だろうとか、それは勝てる確証がない証ですぞ!」

 「勝てるよう出陣前から準備を重ねて、それで勝てるのです!!」


 この虎昌の諫言を素直に聞き入れればよかったのだが、

晴信は虎昌に対して切れてしまった。


 「おぬしはそれほど砥石城が落とされるのが嫌なのか!!

さては村上に内通しておるのか!!」


 さすがの虎昌も諦めて陣屋に帰っていった。

そしてこの一部始終をたまたま見てしまった重臣の横田高松は

一人、敗戦を覚悟していた。



 その年の8月、武田軍は林城を落とした勢いのまま砥石城に攻め込んだ。


 砥石城は2年前に敗北した上田原から千曲川を挟んだ北にあり、

村上家の居城、葛尾城と並んで大事な城だ。

 この城が落ちれば葛尾城は丸裸となり戦を優位に進められる。


 「いけー!一気に踏みつぶせ!!」


 晴信の号令のもと、武田軍は力攻めを強行した。


しかし、城の守りは想像以上に堅固で、武田軍は何度も攻め入るが

全て城内に入れぬまま山から追い落とされた。


 (城内に一歩も入れぬとは、どういうことだ・・・。)


 晴信の表情が曇り始めたその時、衝撃の一報が入った。


 「ご注進!!む・・・、村上勢8千が・・・、押し寄せてきます!!」


 「何ぃ!?義清は高梨政頼と戦っていたのでは・・・!!」


 「しかし、高梨勢が村上勢を追う様子は全くありません!!」


 (完全に謀られた・・・!!村上の戦は演技だったのだ・・・!)


 晴信がこう思っていると、飯富虎昌が本陣にやってきた。


 「御屋形様!今すぐに退却の指示を!!もう戦う余力はありませぬぞ!」


 「・・・うむ、わかった。だが殿を務められる者はおるか!?」


 皆が頭を抱えていると、


 「ここにおりまする!!」


 と声を上げる男が現れた。


 ・・・重臣、横田高松である。


 これまで、いくつもの戦を駆け抜けてきた老将、横田高松は

今が死に花を咲かせる時であると考えていた。


 晴信もまた一人、重臣を失いたくはない。

だが、高松の決意を汲んで晴信も決断した。


 「わかった、高松!!頼んだぞ!!」


 「お任せくだされ!!この高松、必ずや晴信様をお守りいたす!!」


 この二人の交わした言葉が、高松との最後の会話となった。


 晴信は高松のその勇気ある決断が生きるように

とにかく生き延びなければならない、そしてまた成長して再起をかけなければ

ならない、という強い思いでなんとか村上勢の追撃を逃げ切って

諏訪の上原城までやってきた。


 そこへ遅れて横田高松の部隊の残党が帰ってきた。


・・・当然、高松の姿はなかった。


 (また上田原と同じ失敗をしてしまった。林城の快勝で完全に

浮かれてしまった・・・!)


 しかも虎昌の諫めも聞かずにまた強行してしまったのだ。


 (こんどこそ、失敗しないためにはどうしたらいい・・・。)


 ここで晴信は気づいた。


 これは虎昌の意見を晴信が突っぱねてしまったのもあって起こった問題。

だから合議制をとって虎昌を含む家臣たちには、家臣だけで議論してもらい

その結果を報告してもらう。そうすればこれは個人の意見ではなく、

家臣団としての意見となり重みが増す。そうなれば簡単に突っぱねることが

できなくなる。これによって家臣たちは晴信に気を遣うことなく議論できるし

即断こそできなくなるが、かなり合理的であると考えた。


 この敗戦で武田家はまた一段と変化するときを迎えていた。

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