第16話 尾張からの書状
天文14年(1545年)も初夏の陽気になりだしたころ、
高遠城攻略を終えた武田軍は再び福与城を包囲していた。
そんな最中のことである。
どこかからか一枚の書状が風に乗ってやってきた。
配下の足軽がそれを見てその内容にさぞかし驚き、
本陣の晴信のもとに持ってきたのだ。
「ふむ、書状は織田信秀の書いたものであろう。」
「織田信秀というと尾張のですか。」
「うむ。なになに・・・。」
「・・・なんと!!武田家の中に今川家とつるんでこの私を殺そうと
している者がいるだと!?」
武田家の重臣一同がざわめいた。
「御屋形様、その家臣とは誰ですか!?」
「・・・勘助と虎昌だ。」
この一言で重臣たちは勘助と虎昌のいる方を振り向いた。
二人は口を真一文字にして開かなかった。
(だが、この内容通りであれば数年前から命を狙っているとなるが
この私が今でも生きているのは不自然であるし、そもそも織田家は
今川家と戦っているからこの武田家と今川家の関係を崩すのが
目的であろう。)
「恐らく織田家の計略の一つであろう・・・、くだらない。」
こういって晴信はこの書状を破り捨てようとしたが、その寸前で
晴信の手が止まった。
(待てよ、虎昌はもともとつられやすい人物だし、勘助に関しては
今川家を出されたと言っているが今でも関係があるやも知れぬ・・・。)
「勘助よ、今は今川家との関係はないのだな。もし嘘をついていたら・・・。」
「申し訳ありませぬ!!この勘助、御屋形様の命を狙っておりました!!」
なんと、勘助が全てを白状したのだ。
すると、書状に同じように名前が載っている虎昌も隠せないと判断し、
「申し訳ありませぬ!!!」
と頭を下げて謝った。
「うぬぬ・・・!勘助と虎昌、この二人を閉じ込めろ!!」
この晴信の命令で罪人となってしまった両者は古府中に移送され
牢屋に閉じ込められたのであった。
その後、福与城を攻め落とし藤沢頼親を討ち取った武田軍は
甲斐国に戻ってきた。
ただ、その帰り道に晴信は悩んでいた。
(このまま二人を処罰すれば今川家と敵対関係になってしまう・・・。)
次第に力をつけてきた武田家ではあるが、今川義元率いる今川家には
敵わなかった。
それに二人とも白状したわけだから、条件付きであっても引き続き登用すれば
その温情を受けて今後、より一層働いてくれるのではないか、
というふうに考え始めていた。
古府中に着いた晴信は勘助と虎昌にこう命じた。
「しっかりと反省したうえで起請文を書けば、しばらく目付を置く
という条件で助命し、再び家臣として働いてもらう。」
結局、両者はそれに納得したうえで起請文を書いて家臣に復帰した。
実は勘助が早期に認めて謝ったのには理由がある。
今川家との関係を重視した結果になると勘助は予想していたのだ。
だから、こうなった上でこれまでの行動を清算して武田家の家臣として
生きていく、こう決心しての行動であった。
尾張の織田信秀の思惑も詰まったあの書状は、
その思惑と共に破かれたのであった。
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