6-4 誰が保証してくれるんですか?

 八瑛ちゃんと泰記が部室を出てから、かれこれ十分は経っている。いや、十五分は経ってるか? ……しまった、正確な時間を確認しておくべきだった。どちらにしても少し遅いような気がする。


 ……もしかして八瑛ちゃん、告白に失敗して、どこかで泣いてるんじゃないのか? 待ってないで探しに行くべきか?


 いや……それとも。

 告白はとっくに成功していて。今ごろ二人仲良く下校デートしてるんじゃ……。


 そう思うと、居ても立っても居られない。

 俺の選択は間違っていたんだろうか。カッコつけて応援に徹したりなんかせず、好きだ、泰記のところになんか行かないでくれ、俺と付き合ってくれって、情けなく泣き縋ったほうがマシだったんじゃないか?


 ――そんな思考を遮るように、控えめなノックが聞こえた。ドクン、と心臓が跳ねる。

 顔をあげると、扉が開いて八瑛ちゃんが入ってきた。


「ただいま帰りました」


 八瑛ちゃんは落ち着いている様子だった。泣き腫らした跡はないが、上機嫌というわけでもない。いたって自然体に見える。


 ……どっちだ?

 成功したのか? 失敗したのか?

 どちらにしても、結果を聞いてからだと決意が鈍ると思った。


「八瑛ちゃんの結果を聞く前に、俺の話を聞いてほしいんだけど、いいかな。すごく大事な話なんだ」

「はい、なんでしょうか?」


 深呼吸。覚悟を決める。


「八瑛ちゃん、好きだ」


 単刀直入に、言った。


「っ……!」


 八瑛ちゃんが息を呑む。


「八瑛ちゃんが泰記に熱い視線を向けるたびに、俺、心の奥底では嫉妬してて……最初は、なんでそんな気持ちになるのかわからなかった。だけどつい最近、八瑛ちゃんのことが好きだからなんだって、ようやく気づいたんだ」


 準備した言葉ではなく、今の俺の素直な想いを口にしていく。


「八瑛ちゃんと一緒にいると、すごく楽しい。楽しいなんて言葉じゃ言い表せないくらい、幸せで満ち足りた気持ちになる。これからも、ずっと一緒にいたい。俺の隣で笑っててほしい。今までよりも、もっと近くで」

「…………」


 八瑛ちゃんは明らかに動揺した様子で、俺を見つめている。

 俺は目を逸らさずに、はっきりと告げた。


「だから、八瑛ちゃん――花森八瑛さん。俺と付き合ってください!」


 頭を下げる。


「…………」


 じっと返事を待つ。


「……………………えっと」


 長い沈黙のあと、八瑛ちゃんははっきりとした声で。



「――ごめんなさい」



 そう、言った。


「……………………」


 ガツン、と頭を殴られたような衝撃。

 目の前が黒く染まっていく。


 …………あぁ、フラれたのか、俺。


「そっか……わかった」


 頭をあげる。

 八瑛ちゃんは気まずそうに視線を逸らしている。


「俺の話は以上。次は八瑛ちゃんの結果を聞いてもいいか?」


 正直言って、まだ頭を切り替えられていない。耳に届く自分の言葉も目に映る景色も、どこかふわふわしていて現実感がない。

 ……現実を受け入れることを、心が拒否している。


 だけど、最後まで貫くって決めたんだ。俺には結末を見届ける義務がある。


「告白、成功した?」


 俺の告白を断ったからと言って、泰記への告白が成功しているとはもちろん限らない。どころか、普通に考えるなら失敗した可能性は高いだろう。

 それでも、せめて八瑛ちゃんだけでも幸せになってほしいと願いながら、俺は訊いた。


「……いえ」

「そっか……」

「いえ、その……告白は、しなかったんです」

「……え?」


 つまり、成功も失敗もしていない? その返答は予想してなかった。


「しなかったって……なんで?」


「できなかった」ではなく「しなかった」ということは、土壇場になってヘタれたというわけでもなさそうだけど……。


 八瑛ちゃんと目が合う。

 どこか悲しげな表情で、八瑛ちゃんは言った。



「実は、泉先輩のことが好きになっちゃったからです……って言ったら、泉先輩は信じてくれますか?」



「……は?」


 その返答は予想外を通り越して、意味不明だった。

 え、だって、


「長谷川先輩に告白しようと口を開いた瞬間、私の中に強い抵抗感が生まれました。頭にはなぜか、泉先輩の顔が浮かびました。長谷川先輩とお付き合いしたら、もう泉先輩と今までの距離感ではいられなくなる。一緒の時間を過ごせなくなる。そう思うとどうしようもなく寂しくて、想像しただけで苦しくて……私はそのとき、告白する直前になってようやく、自分の本当の気持ちに気づくことができたんです」

「っ……! だ、だったら……!」

「だから! そんな私だから……泉先輩の告白は、お断りするしかないんです」

「なにが『だから』なんだ!?」


 意味がわからない!


「まだ迷いがあるってことか?」

「いえ……私は、今の私は、長谷川先輩じゃなくて、泉先輩が好きです」

「だったらなんでっ!」

「……私はっ、信じられないんです! 自分の気持ちが!」


 声を荒らげる八瑛ちゃんは、今にも泣き出しそうに見えた。


「どういうこと?」

「……これが本当に恋なのか、自信がないんです」


 八瑛ちゃんは目を伏せ、八瑛ちゃんらしくない暗い声色のまま言葉を続けた。


「私は……ずっと逃げ続けて生きてきました。肝心なところで、いつもヘタれてしまうんです。だから――今回もまた、ただ逃げてるだけなんじゃないかって考えが拭いきれないんです。長谷川先輩に告白しても成功する可能性は低いから、無理だって悟ったから、傷つく前に諦めて、別の身近な男の人――泉先輩が好きってことにしよう! ……って、無意識にそう判断したんじゃないかって」

「…………」

「だってそう考えると辻褄が合いませんか? 告白する寸前になって本当の気持ちに気づく、なんて……出来すぎてます。私にとって都合がよすぎるんです!」


 ……なるほど。

 八瑛ちゃんの言い分はわかった。


「今回は違うって、誰が保証してくれるんですか? もし本当はそんな理由で泉先輩のことを好きになったんだとしたら、泉先輩に失礼すぎます……。そんなふざけた理由で泉先輩の告白を受け入れたら……私は、私を許せないです」


 だからといって、諦められるわけがない。せっかく両想いになれたのに、なら仕方ないね、なんて簡単に諦められるわけがないんだ。


 なら――俺らしく、キザなくらいカッコつけよう。


「俺が保証する」

「…………え?」

「八瑛ちゃんはちゃんと俺に恋してるって、俺が保証する」


 顔をあげた八瑛ちゃんと目が合う。きょとんとしてて可愛い。


「……なんですか、それ。意味がわからないです……っ」

「これでもまだ納得できないか? それなら、それが恋だって納得できるようになるまで、俺が協力する」

「協力って……」

「今までみたいに」


 俺は言う。

 大好きな女の子に、いつまでも暗い顔をしていてほしくないから。


「――八瑛ちゃんの恋が実るその日まで、俺が全力で支えてやる」

「あ……」


 あの日、リア充にしてほしいと言った八瑛ちゃんに、俺が伝えた言葉。まさかその恋の対象が俺自身になるなんて、あのときは思いもしなかった。


 八瑛ちゃんは考え込むようにしばらく押し黙ったあと、静かな声色で、けれどはっきりと言った。


「……はい、お願いします。私に力を貸してください、先輩」

「ああ、もちろん」


 俺が笑うと、つられるように八瑛ちゃんも微笑んだ。


「でも、あの……具体的にはどうするんですか?」


 どうやって、八瑛ちゃんに恋心を認めさせるか。

 その方法は、もう決まっている。


「こうするんだ」

「え、せんぱ、なにをっ――ンンンンっ!?」


 俺は八瑛ちゃんの両肩を掴むと、顔を近づけ、唇に唇を重ねた。

 今度は事故ではなく、俺の意思で。


「ン、んんっ……! んんんむぅ……ッ」


 ついばむように、唇に吸い付く。それを繰り返す。八瑛ちゃんも拒絶せず、受け入れてくれている。それどころか……。


「――っぷはぁ……!」


 顔を離す。八瑛ちゃんの顔はトマトみたいに真っ赤に染まっていた。


「はぁ、はぁ……キスで相手の気を引こうだなんて、常識的に考えてありえないって言ってたじゃないですかぁ……っ」

「でも、効果覿面てきめんだろ?」

「そ、それはっ……まだわかりませんっ」

「だったら――」

「きゃぁぁぁぁ!! 違いますっ! わからないからもう一回って意味じゃないですからっ!」

「なんだ違うのか」


 てっきりそういう流れかと。


「た、確かにまだ心臓ばくばくいってますけど……これが本当に恋なのかはまだわかりません。いきなりこんなことされて、一時的に興奮状態に陥ってるだけかもしれないですし! ほらあれです、吊り橋効果的な!」


 変なところで強情だなぁ。


「――でもそのわりには、八瑛ちゃんのほうからもちゅーちゅー吸い付いてきてたよな? 好きでもない相手にそんなことするか?」

「なぁっ……!? そ、そういうことは思っても言わないでください……! 先輩はやっぱりデリカシーがないです!」


 依然として真っ赤な顔のまま、八瑛ちゃんは俺を糾弾する。

 あぁもう、本当に可愛いな……。


「とっ、とにかく! この気持ちが嘘偽りのない恋だって確信が持てたら、そのときは……今度は、私から告白させてください。それまで……待っててくれますか?」

「もちろん」

「ありがとうございます……先輩」


 それがいつになるのかはわからないけど。

 絶対に、この可愛い後輩の恋を成就させてみせる――。

 俺はそう、固く心に誓った。

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