6-1 恋愛弱者なんですか?

「ん、もうこんな時間かっ。今日はそろそろ解散か?」

「うん、そうだね」


 交遊部の部室で過ごす、いつもの放課後。

 ギクシャクした空気になるのを覚悟していたが、予想に反して平和そのものだった。


 ただ澄夏は、意識していつも通りでいようとしているようにも見える。さすがにあんなことがあった次の日に、なにもかも元通りというわけにはいかないだろう。


 一方の泰記は、いたって自然体だ。澄夏のことは諦めたのか?


「んじゃ、お先〜。そうだ澄夏、今から一緒にラウンドテンでも行かないか?」

「……んー、遠慮しとく」

「そうか? じゃ、途中まで一緒に帰ろうぜ」

「……うーん」


 澄夏がちらりと俺を見る。

 こっちのことも気がかりだが、泰記を露骨に避けるのも本意ではないのだろう。


「心配しなくても、戸締まりならちゃんとするから気にしなくていいぞ」

「ん……そだね。じゃあ帰ろっか」

「おう!」

「八瑛ちゃんもまた明日ね」

「……あ。はいっ、また……!」


 泰記と澄夏が帰り、部室には俺と八瑛ちゃんの二人だけが残った。

 ……しかしあの感じだと、泰記はやっぱり諦めてなさそうだ。ていうかもう開き直ってるな、あれは。


「……澄夏さん、なんかちょっと元気なかったような……? 私の気のせいでしょうか……?」

「いや、気のせいじゃない」

「泉先輩? なにか知ってるんですか?」


 俺は八瑛ちゃんに向き直り、姿勢を正した。


「八瑛ちゃんに、大事な話があるんだ」

「え、どうしたんですかそんなに改まって……? な、なんでしょうかっ?」

「泰記と澄夏の話だ」

「…………」

「落ち着いて聞いてくれ。……昨日、泰記が澄夏に告白した」

「っ……!」


 八瑛ちゃんが息を呑む。


「誤解のないように言っておくが、澄夏にその気はまったくない。告白もきっぱりと断った。ただ、泰記はまだ諦めてないみたいだけどな……」


 ……ショックは大きいだろうな。

 泰記に好きな人がいて、しかもその相手は澄夏だなんて、想像もしてなかっただろう。


「……やっぱり、そうだったんですね」


 ……え?


「八瑛ちゃん、気づいてたのか?」

「……確証はなかったんですけど、もしかしたら、とは思ってました……」

「そうか……」


 やっぱり泰記のこと、よく見てるんだな。

 ……それとも、俺と澄夏が鈍感すぎたのだろうか。


「でも、信じたくなくて……ずっと気づかないフリをしてました。私、現実逃避は得意なんです」

「八瑛ちゃん……」

「だけど一昨日のデートで、長谷川先輩に相談されたんです。女の子が喜ぶプレゼントとかデートスポットを、参考までに教えてほしい、って……。澄夏さんの名前が出たわけではないですけど……もう、自分を騙すのも限界でした。長谷川先輩は澄夏さんのことが好きなんだ、って……そんな考えが頭から離れなくなって……」


 あの弱々しい笑みは、そういうことだったのか。


「それで――八瑛ちゃんはどうしたい?」

「……え?」


 酷かもしれないが、聞かないわけにはいかない。


「泰記に好きな人がいるとわかって……諦めるのか。それでも諦めないのか」

「…………」

「さっきも言ったように、澄夏のほうにその気はない……どころか、友達だと思っていた相手に告白されて傷ついてるくらいだ。だから、変に気を使ったりする必要はないからな? 八瑛ちゃんがどうしたいのか、考えるのはそれだけでいい」

「…………私、は」


 それきり、八瑛ちゃんは黙りこんだ。

 俺はなにも言わずに、八瑛ちゃんが口を開くのをじっと待ち続けた。


 長い静寂のあと……八瑛ちゃんは俺の目をまっすぐに見つめて、言った。


「長谷川先輩が私を見ていないことなんて、最初からわかってたことです。やることは、これまでと変わりません」

「……そうか」

「それと、今、覚悟を決めました。私――長谷川先輩に告白します」

「……自棄やけになってるんじゃないのか?」

「いいえ。長谷川先輩の気持ちが私に向いていない以上、これ以上先延ばしにしても意味ないです」


 その真剣な眼差しは、まっすぐに前だけを見据えていた。

 なのに……視線の先にいるのは、俺じゃない。


「玉砕覚悟なんかじゃなくて……長谷川先輩とお付き合いするために、告白したいです」

「…………」

「泉先輩。応援してくれますか?」


 うまくいかないでほしい。どこにも行かないでほしい。

 うまくいってほしい。笑顔を見せてほしい。

 相反する想いがごちゃ混ぜになりながら、胸の奥から噴出する。


 成功か。失敗か。いや、それ以前に。

 八瑛ちゃんが泰記に告白する――そのシーンを思い描いただけで、どっと不快感が押し寄せてくる。


 意識を現実に戻しても、心拍数の上昇は止まらない。心臓が張り裂けそうで、押し潰されそうで、もうどうにかなりそうだった。


 想像だけでこんなに苦しいのに、実際に告白して、もしそれが成功したら――。


 嫌だ。

 嫌だ。そんなのは嫌だ。

 …………嫌だ、嫌だ……。

 嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだ――絶対に嫌だ!


 泰記にも、誰にも、八瑛ちゃんを取られたくない!

 ずっと俺のすぐそばで、笑っていてくれなきゃ嫌だ……!

 だって、俺は、八瑛ちゃんのことが――!


「…………」


 ――――ああ。

 なんだ、これがそうなのか。

 暗闇に光が射し込んで、いきなり視界が開けた感覚。

 すとんと腑に落ちる。俺は八瑛ちゃんに恋をしてるんだ。


 一度この気持ちに気づいてしまうと、むしろなぜ今まで気づけなかったのか、不可解にすら思える。

 今なら自信を持って、何度だって言える。

 ――俺は八瑛ちゃんのことが好きだ。


「……先輩?」


 自分の気持ちはハッキリした。あとは俺自身がどうしたいか、だ。

 止めるなら、もう今しかない。樹里も止めたがっていた。


『……八瑛ちゃんに、これ以上傷ついてほしくない』


 ……俺も気持ちは同じだ、樹里。

 だから、俺は覚悟を決めて言った。


「やめたほうがいい」

「……え?」


 やっぱり俺は、八瑛ちゃんの悲しむ顔を見たくない。

 幸せそうに笑う八瑛ちゃんが見たい。

 ――告白が成功して、喜ぶ八瑛ちゃんを見たいんだ。


 そのためには、少しの妥協もせず、全力で――応援に徹しよう。

 カッコつかなくても、最後まで貫こう。そう決めた。


「本当は俺、恋愛強者なんかじゃないんだ」

「……え?」

「誰かと付き合ったことなんてない。恋愛のテクニックなんて知らない。俺より恋愛に詳しいやつなんて、学校の中だけでもいくらでもいる。このまま俺のアドバイスを鵜呑みにしてたら、結ばれるものも結ばれないかもしれない。だから、本気で泰記と結ばれたいと思うなら、これ以上俺を頼るのはやめたほうがいい」


 反応が恐くて、反応する間も与えずに言った。


「……てことは、恋愛弱者なんですか?」

「ああ……今まで騙しててごめん」


 耐えきれず、俺は視線を逸らした。


「見損ないました。先輩の嘘つき」


 ……なんて言われてもおかしくはない。

 身構えていると、八瑛ちゃんの声が耳に届いた。


「なんだ、じゃあ私と同じなんですね!」


 いつも通りの明るさで、あっけらかんと八瑛ちゃんは言った。


「え……軽い。それだけ?」

「え? あっ、もっと驚いたほうがよかったですかっ? すみません、リアクション悪くて……!」

「……」


 俺が気に病まないようにという優しさで、あえて明るく振る舞って……という感じでもなく、本当に、これっぽっちも気にしてなさそうな反応だ。


「許してくれるのか?」

「えぇっ!? そんなっ、許すも許さないもないですよ!」

「いやでも、正しいアドバイスができてた自信なんてないんだよ」

「……えっと」


 俺が本気で気にしていることを察したのか、八瑛ちゃんは真面目な顔つきになって俺を見た。


「確かに最初は、『恋愛経験豊富なリア充の先輩』を頼ろうとしてました。でもそれは、本当に最初だけです。私がこうして泉先輩を頼ってるのは、先輩が恋愛強者だからじゃなくて、先輩が先輩だからですよ? ほかの誰かなんかじゃなくて、私は泉先輩に力になってほしいんです!」

「……八瑛ちゃん……」

「それに、アドバイスだって間違ってません! 長谷川先輩と普通に……とまではいかないかもしれませんが、二人きりでも面と向かってしゃべれるようになりました! 私一人だったら、いまだに声すらかけられてなかったと思います。それどころか、とっくに心が折れてたかもしれません。だから」


 八瑛ちゃんはそこで言葉を区切ると、静かに頭を下げた。


「ありがとうございます。泉先輩のおかげで、ここまでこれました」


 許してくれるどころかお礼まで言われるとは思ってなくて、面食らう。


「だいたい、ぜんぶ私のためじゃないですか。私のためにつきたくもない嘘までついてくれたのに、そんな先輩に感謝こそすれ、責めるだなんてお門違いもいいところですよ」

「うん、そう言ってもらえて安心した」

「じゃあ……告白、応援してくれますか?」

「もちろん」


 迷いはない。俺はしっかりとうなずいた。


「頑張れ! 応援してる!」

「違いますよ」

「え?」

「私、『やることは、これまでと変わりません』って言いましたよ?」

「えっと……それって、つまり?」

「そうです……」


 八瑛ちゃんは大きく息を吸いこんで――そして。


「告白の予行演習に付き合ってくださいぃぃぃ〜〜〜っ!!」

「…………」

「そんな呆れた目で見ないでくださいっ! だってだって告白ですよ、一世一代の大勝負ですよ!? ぶっつけ本番なんて絶対無理なんです〜〜っ!」

「……ははっ」


 やっぱり、八瑛ちゃんは八瑛ちゃんだな。

 そして、そんな彼女のことが――俺は好きだ。

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