5-2 自覚ないのかもしれないけどさ

「……来た」

「いらっしゃいませ〜。二名様ですか?」


 時計の針が三時ちょうどを指し示したタイミングで、八瑛ちゃんと泰記が一緒に入店してきた。

 二人は店員に案内され、俺たちがいるほうへ近づいてくる。


 八瑛ちゃんは泰記の後ろを歩きながら、きょろきょろと周囲に目を向けていた。その視線が、ほんの数秒だけ、俺とかち合った。

 どこか不安げだった八瑛ちゃんの顔が、とたんに綻ぶ。俺は小さくうなずきながら、頑張れ八瑛ちゃん、と心の中でエールを送った。


 二人は俺たちの前を通り過ぎ、入口から少し距離のある席に座った。


「あの人が長谷川先輩……」


 泰記はメニューを指さしながら、店員に注文している様子だった。表情はかろうじてわかるが、声までは聞き取れない。


 店員が立ち去ると、泰記はなにやら八瑛ちゃんに話しかけた。それに対し、八瑛ちゃんが小さく笑みを浮かべる。


「あれ、なに話してるんだろうな」

「…………」


 樹里は真剣な顔で、泰記の一挙一動に注目している。


「パフェ溶けるぞ」

「…………」


 泰記から視線を外さないまま、樹里はパフェを一口すくって口に運んだ。


「泉ちゃんのも溶けちゃうよ」

「溶けねーよ」


 少しして、八瑛ちゃんたちの席に二人分のパフェが運ばれてきた。

 二人はなにやら言葉を交わしながら、パフェを口に運ぶ。

 八瑛ちゃんは緊張しているのか、先日のように満面の笑みで喜びを表現するようなことはなく、小さく笑みを湛えながら静かに食べ進めている。


「うまそうだなぁ、あのパフェ。生クリームがたっぷりで」


 樹里に聞こえるように言ってみる。

 ……わりと本気で羨ましくなってきた。追加で注文しようかな……。


「そんなに食べたいなら、あたしの一口分けてあげよっか?」


 ちらと俺の顔を見て、樹里が言う。


「いいのか?」

「一口だけね。ほら、あ〜ん」

「あ〜ん」


 大きく開けた口に、山盛りの生クリームが載ったスプーンが差しこまれた。

 ……あれ? 普通に咥えられた。てっきり、うっそ〜とか言って引っこめられると思ったのに。


 まぁいいや、ラッキー。

 スプーンが口から離れ、俺は口の中のものを咀嚼した。――ごりりっ。


「…………」


 ごりごり、ごりごり、ごりりりっ。

 口の中いっぱいに広がる、生クリームでコーティングされた大量のコーンフレーク……。


「もう一口いる?」

「いらない……」


 そんなしょうもないやり取りをしながらも、樹里は頻りに泰記へと視線を向けている。

 二人はパフェを口に運びながら、時折なにか話しているようだった。


「あれはパフェの味について話してるんだろうね」

「わかるのか?」

「なんとなく」

「すごいな」


 しばらくしてパフェを食べ終えた二人は、まだ何事か話している。


「あれは?」

「わかるわけないじゃん、超能力者じゃないんだし。……でも、食べ物の話っぽくはないかな。ちょっと真面目な話かも」

「ふーん……」


 それからさらに十分ほど会話を続けたあと、二人は席を立った。

 伝票を手にして会計に向かう泰記の後ろに、八瑛ちゃんが続く。


 俺たちの前を通過する際、八瑛ちゃんはちらりと俺を見て微笑んだ。だがその笑みが、どこか弱々しく感じたのは……俺の気のせいだろうか?


「あたしは反対」


 二人が店を出た直後、樹里は短くそれだけ言った。


「……泰記はいいやつだぞ」

「確かに、悪い人ではなさそうだけど……それだけ。悪い人じゃないってだけ。あの人には、八瑛ちゃんを幸せにできない」


 樹里は言いきった。


「いや……遠目に眺めてただけで、そこまで断言できるか?」


 確かに樹里は、少し会話した程度で俺が非モテだと見抜いた。樹里の観察眼と洞察力は馬鹿にできないが……。


「だってあの人の目、八瑛ちゃんを見てなかった」

「……? そうか? ちゃんと目を合わせて会話してたと思うが」

「そういう意味じゃないよ。もう、泉ちゃんは鈍いんだから」

「じゃあどういう意味だよ」

「つまり、八瑛ちゃんのことを異性として意識してない目だったってこと。少しでも意識してたら、動揺したりとか照れたりとか、多少なりとも顔に表れるはず。でもそれがなかった。はっきり言って、完全に脈なしだと思う」

「……まだ結論を出すのは早いだろ。八瑛ちゃんが告白してからでも――」

「それじゃ遅いの」


 静かな、けれど強い口調で、樹里は俺の言葉を遮った。


「告白されたことで長谷川先輩が意識し始めて、それで二人が付き合うなら、あたしはそれでもいいと思う。でも、そうならなかったら?」

「……」

「……八瑛ちゃんに、これ以上傷ついてほしくない。ようやく傷が治りかけて、立ちあがろうとしてるの」

「……立ちあがって、新しい一歩を踏み出そうとしてるんだろ? だったら止めるんじゃなくて、背中を押してやるべきなんじゃないのか?」

「だからそれは今じゃないって言ってるの。八瑛ちゃんのことをなんとも思ってないような人に、八瑛ちゃんは任せられない」

「…………」


 八瑛ちゃんのことを大切に思っていて、樹里が任せてもいいと思える男、か。

 それが泰記じゃないのなら、いったいどこにそんな男が――


「泉ちゃんは……どうなの?」

「は? なにが?」

「八瑛ちゃんのこと。長谷川先輩みたいに、露骨に脈なしって感じではないでしょ?」

「……えっ?」


 なんだそれ? 脈なしじゃない?

 それってつまり、俺が八瑛ちゃんのこと――



「ていうか、好きでしょ、たぶん。自覚ないのかもしれないけどさ」



 ……好き?

 俺が?

 …………八瑛ちゃんのことを?


「あたしは、泉ちゃんなら認めてあげないこともないけど」

「ま、待て待て……なんでそうなる? 俺は、八瑛ちゃんと泰記のことを応援してるんだぞ?」


 声が、震えた。自分自身が発した言葉に、ひどく違和感を覚える。ばっくんばっくんと、心臓が大きく脈打ち始める。なぜ? 全身から一気に汗が噴き出す。頭の中が白く染まって、思考がうまくまとまらない。


 好き。

 好き、好き、好き――好きってなんだろう?


「そうだ、今度はあたしが泉ちゃんに協力してあげよっか? 八瑛ちゃんと付き合えるように――」

「遠慮しとく」


 それだけ言って、席を立つ。


「俺はもう帰るから」


 なにかから逃げるように、俺は樹里に背を向ける。


「ちょ、ちょっと待って!」

「……まだなんかあるのか?」

「それ! あたしの!」

「は?」


 樹里の視線は俺の手元、会計伝票に向けられていた。


「いいよ、俺が払うから」

「なんで! いいって! 自分で払うつもりだったからあんな意地悪したんだしっ!」

「あんな意地悪って……」


 食べ残しパフェのことか。


「返してよっ!」

「断る」


 いくらカッコ悪い部分を知られてしまった樹里が相手とはいえ、年長者としてさすがにこのくらいはカッコつけたい。


「泉ちゃんのくせに生意気っ! いいから返せぇ〜っ!」

「お子様は黙って大人に奢られてろ」

「三つしか違わないのに子ども扱いしないで!」


 すたすたとレジに向かう俺を、樹里は慌てた様子で追いかけてくる。


 ……やっぱり樹里って、根は真面目なんだよな。

 なんて思いながら、俺は抗議の声を無視して会計を済ませた。

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