5-1 私のそばにいてください、先輩……

『私のそばにいてください、先輩……』


 その日の晩、電話をかけてきた八瑛ちゃんは開口一番にそう言った。


『同席してほしいとまでは言いませんからっ。せめて店内の近くの席で、こっそり見守っていてほしいんです!』


 思いがけず訪れた、泰記との初デートの機会。

 急な話だし、八瑛ちゃんじゃなくても緊張するのはわかるが……


「いや、それはちょっとなぁ。盗み見してるみたいで、こっちも気分悪いって」

『え〜〜っ! だってっ、遠慮せずに頼っていいって言ってくれたじゃないですかぁ。ううっ、あれは嘘だったんですか……?』

「限度があるだろ」

『そんなの聞いてません……うぅ、ぐすっ……』

「嘘泣きしてもだめだ。だいたい二人きりって言ったって、ただファミレスでパフェ食べるだけだろ。しかも現地集合現地解散。デートと呼んでいいのかもかなり微妙だ」

『それでも、二人きりはやっぱり緊張してっ……お、お願いします! 泉先輩が近くにいてくれるんだって思えるだけで、私、勇気を振り絞れる気がするんです!』


 電話越しでも伝わる、切実さのにじんだ声だった。


「…………。はぁ、わかったよ」

『っ……!! ほんとですか! やったぁ!! ありがとうございますっ、先輩!』

「まったく、しょうがないな、八瑛ちゃんは」

『えへへ……』

「ヘタレだなぁ、八瑛ちゃんは」

『ヘタレって言わないでください〜っ! ……事実ですけど』


 ――そんなわけで、翌日。時刻は午後二時五十分。

 三時にゴゴスト前で待ち合わせとのことなので、俺は一足先に入店して待機することにした。

 ちなみに澄夏は本当に家の用事があったらしく、「デートをこっそり覗き見なんてラノベみたいで面白そうなのに!」と本気で悔しがっていた。


「いらっしゃいませ〜。一名様ですか?」

「せんぱ〜い! こっちです〜!」

「え?」


 入口に近いテーブル席から、こちらに向かって手を振る姿が見えた。


「ごゆっくりどうぞ〜」


 店員は軽くお辞儀をしてその場を離れた。

 俺は少々面食らいながらも、声のした席へと近づいていった。


 声の主は、もちろん八瑛ちゃん――ではなく、


「ふふ、八瑛ちゃんだと思った? 残念、妹のほうでした!」


 樹里だった。


「なんで樹里が?」


 樹里は私服姿だった。長袖の白ブラウスに、チェック柄のジャンパースカートを合わせている。

 年齢相応の可愛らしさを残しつつ、同時にどこか大人びた雰囲気も感じさせる。シンプルながらも洗練された印象だった。


「長谷川先輩とやらを、この目で確かめに。八瑛ちゃんからも、絶対邪魔しないなら、あと泉ちゃんに迷惑かけないなら来てもいいよって言われたの。それで、せっかくなら泉ちゃんと相席しようかなって」

「そういうことか……というか、よく俺だってわかったな」


 俺は万が一にも見つからないようにマスクと伊達メガネを装備し、髪型も少し変えている。


「いくら変装しても、非モテオーラがダダ漏れだからバレバレだよ?」

「…………マジで?」

「ぷっ。なんですぐ本気にするかなぁ」

「冗談なのか?」

「さぁ?」

「…………」


 樹里の相手で疲弊して、八瑛ちゃんのデートどころじゃなくなるんじゃないのか、これ……。

 なんてことを考えていると、店員が俺たちの席になにかを運んできた。アイスコーヒーが一つと、例の期間限定パフェが一つ。


 そういえば、樹里の前には飲みかけのドリンクと食べかけのパフェがある。つまりこれは、俺のぶんを樹里が注文しておいてくれたってわけか。


「こちらお下げしてもよろしいでしょうか?」

「あ、残さず食べるので大丈夫です!」

「失礼しました」


 店員が去ると、樹里は俺の前にアイスコーヒーとパフェを差し出した。


「はいこれ、泉ちゃんのぶんね」

「おう、さんきゅ……は?」


 アイスコーヒーのほうはともかく……パフェは今来たものではなく、樹里の食べかけだった。


「これが俺の?」

「そうだよ? 先に泉ちゃんのパフェを注文しておいたんだけど、泉ちゃんがなかなか来ないから、上の部分だけあたしが食べといてあげたの。ほら、アイス乗ってるでしょ? 溶けちゃったらかわいそうだし」

「…………」


 店員に食べ残し認定されたものが、俺のパフェだと言い張る樹里。

 アイスどころかフルーツや生クリームの部分も見当たらず、もうほとんどカサ増しのコーンフレークしか残っていない。


「せっかく頼んだんだから、ちゃんと残さず食べてね? あ、今来たのはあたしのぶんだから。……んん〜っ、おいし〜♪」

「…………」


 なんてやつだ。

 俺は仕方なく、樹里の食べ残しパフェを口に運んだ。

 ぼりぼり、ごりりっ。……味気ない。


「ねぇ」


 グラスにへばりついたありったけの生クリームをスプーンでかき集めていると、樹里が口を開いた。


「なんだよ」


 またからかわれるのかと思い、強めの語気で返事をしながら顔をあげると――樹里は予想外に真剣な顔つきで、まっすぐに俺を見つめていた。


「八瑛ちゃんってね、昔からわりと、恋愛体質な女の子だったの」


 ……どうやら真面目な話らしい。

 俺は黙って、樹里の言葉に耳を傾ける。


「小六のとき、同じクラスの男の子を好きになった八瑛ちゃんは、ラブレターを書いたの。名前は書かずに、放課後に校舎裏に来てください、って。あたしも文面考えるの手伝ったから、よく覚えてる。八瑛ちゃんはその日、クラスで一番乗りに登校して、その男の子の机の中にラブレターを入れたんだって」

「間違えて別のやつの机に入れてたってオチか?」


 嫌な話の展開になりそうで、つい茶々を入れてしまう。


「ううん、本人に届いたよ。けど、想いは届かなかった」

「……」

「ラブレターに気づいたその男の子は、ほかの男子たちと一緒に、内容を読み上げて笑ってたんだ。散々おもちゃにして、最後には『こんなのいらねーよ』って、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てたの」


 当時のことを思い出したのか、樹里は表情に怒気をにじませながら続ける。


「その男の子も、もしかしたら照れ隠しだったのかもしれない。多感な年頃だし。でもそんなこと関係ないよね。目の前でその光景を見てた八瑛ちゃんは、深く傷ついた。当然、校舎裏には行かなかった」

「……ひどいな」


 八瑛ちゃんにそんな過去があったなんて。今の明るい八瑛ちゃんからは想像できない。


「八瑛ちゃん、それからしばらくのあいだ塞ぎこんじゃって……元々ヘタレだったのが、さらにヘタレになった。恋愛にも人付き合いにも、よりいっそう臆病になった。――あれから四年経って、高校生になって、今、ようやく前に進もうとしてるの」

「……」

「あたしは、もう八瑛ちゃんのあんな泣き顔は見たくない。ただそれだけ。次に八瑛ちゃんが恋をしたら、その相手が八瑛ちゃんにふさわしい人間なのか、あたしが見極めるって――あの日から、ずっと決めてたの」


 樹里の口から発せられたとは思えない、あまりにもまっすぐな言葉。

 これが樹里の、心の奥底に秘めていた、混じり気のない本音なのだとわかる。


「……泰記は、大丈夫だ」


 樹里はなにも言わなかった。

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