4-5 いつもありがとにゃ

 四日間にわたって行われた料理教室。


 結局、最大の壁は玉子焼きだった。それ以外の料理は比較的簡単にマスターできたが、玉子焼きの練習は毎日日が沈むまで続き、俺も見ただけで嫌になるほど味見(食事?)し続けた。


 そうして迎えた、金曜日――


 俺は登校してすぐ、八瑛ちゃんに会うため一年の教室前まで赴いた。なんでも、俺に渡したいものがあるんだとか。


「長谷川先輩にお弁当渡しといてください〜っ! 直接渡すなんて無理なんですぅ〜!」

「それ私の真似ですかっ!?」

「似てるだろ?」

「全然似てません! だいたい私、『なんですぅ〜』なんてあざとい喋り方しませんからっ!」


 いや、わりとしてると思うけど……。


「でも、内容は当たってるんじゃないか? 俺に渡したいものって、それくらいしか思いつかないが」

「ふふふ……残念! ハズレです! 私、泉先輩が思ってるほどヘタレじゃないですから! 長谷川先輩に作ってきたお弁当は、なんと……私から直接手渡ししちゃいます!」


 至極普通のことを得意げな顔で言って、八瑛ちゃんはえっへんと胸を張った。

 まぁ昼食は泰記を部室に強制連行してみんなで食べることになってるから、渡すのはそう難しくないだろう。


「それなら、俺に渡したいものって?」

「あ、えっと……これですっ」


 八瑛ちゃんが手提げ袋の中から取り出したのは……


「ん? やっぱり弁当?」

「はい、でもこれは長谷川先輩のじゃなくて……泉先輩のです」

「……俺に?」


 こくりとうなずく八瑛ちゃん。


「いつもお世話になってるので、お礼です。……その、私の下手くそな料理がお礼になるのかわかりませんがっ……というかもう懲り懲りかもしれませんがっ!」


 まさか俺宛てとは。想像もしてなかった。

 しかも昼休みにじゃなくて、わざわざ今……あぁ、そりゃそうか。


 泰記への弁当は泰記への特別な好意をアピールするためなんだから、俺にも渡してたら台無しだよな。

 ならこの弁当は、俺が家から持ってきたってことにしないと。


「いや、うれしいよ。ありがとうな、八瑛ちゃん」

「は、はい……。喜んでもらえてよかったです」


 俺の言葉に、八瑛ちゃんははにかんだように笑った。



 ――そんな一幕を経て、昼休み。


「なぁ、部室で食べるんだよな? それなのに購買に寄らなくていいって、どういうことだ? 俺、なんにも食べ物持ってないぞ!?」

「行けばわかるよ」

「そうそう」

「んん……?」


 俺と澄夏は困惑する泰記を連れて、部室の戸を開けた。

 先に来て着席していた八瑛ちゃんが、泰記の姿を見て姿勢を正す。


「おっ、先に来てたんだな、花森さん」

「あ、あの! 長谷川先輩!」

「ん……?」

「え、えっと……っ」

「なんだなんだ?」


 泰記は八瑛ちゃんの正面に腰を下ろし、その隣に澄夏が座った。

 俺は八瑛ちゃんの隣に腰かけ、二人のやり取りを静かに見守る。


「こ、これ……お、お弁当、作ってきました!」

「おぉ! 自分のぶんは自分で、か。やるなぁ花森さん」

「ち、ちがくて……これ、長谷川先輩のです」

「えぇっ! 俺の!?」

「は、はい……その、いつも購買のパンばっかりだって聞いたので……」

「マジかっ! これはうれしすぎる!」

「そ、そんなにうれしい……ですか?」

「あぁ、もちろん! いやぁ助かるぜ〜、今月ピンチだったんだよな〜。ほんとにありがとなっ、花森さん!」

「ど、どういたしまして……っ」


 いざとなればフォローする気でいたが、どうにか自力で渡せたか。成長したなぁ八瑛ちゃん……。


 だけどこの感じだと、泰記に好意が伝わっているかはかなり怪しいな……。

 まぁ、渡せただけでもひとまずよしとするか。


「うぉぉ! ボリューム満点だなぁっ!」


 弁当箱のフタを開け、歓喜する泰記。弁当は二段になっていて、片方にはごはん、片方にはおかずがパンパンに詰まっている。


「むぐむぐ……んまいっ! 花森さん、料理上手なんだなぁ!」

「いえ、そんな……」


 八瑛ちゃんは喜びよりも安堵の気持ちが強いのか、ほっと胸を撫で下ろしている様子だった。


「むしゃもぐむぐ、特にこの玉子焼きは最高だな〜、むぐもぐもぐ」


 泰記はそんな八瑛ちゃんには目もくれず、一心不乱に食べ続けている。


 ……と、泰記の食いっぷりを眺めていても仕方ない。

 俺は八瑛ちゃんからもらった弁当を机に広げる。泰記のと同じ二段重ねだ。


「……お?」


 フタを開けて、驚いた。

 おかずのほうは泰記のものとほとんど変わらないが、ごはんのほうは泰記のと見比べるまでもなく違いがあった。


 敷き詰められた白米の上に、海苔で絵が描かれている。

 可愛らしい猫だ。そしてその横には、同じく海苔で文字が書かれていた。


  いつも

 ありがとにゃ


「…………」


 俺は何気なく、八瑛ちゃんのほうを見た。

 八瑛ちゃんは照れ笑いを浮かべて、俺を見ていた。


 ……気恥ずかしくなり、俺は弁当に視線を戻した。


「むぐむぐもぐ、これはちゃんとお礼しないとなぁ。花森さん、なにか食べたいものとかある?」

「えっ?」

「そういえば八瑛ちゃん、前にゴゴストのパフェが食べたいって言ってたよな?」

「えっ!」


 気恥ずかしさも手伝って、俺はとっさに口を挟んだ。


「ゴゴストのパフェか。よしっ、じゃあお礼に奢らせてもらうぜ! さっそく明日にでもどうだ?」

「え、えっと……」


 ちらと俺を見る八瑛ちゃんに、俺は力強くうなずいてみせた。関係を進展させる千載一遇のチャンスだ。


 それにゴゴストでパフェならもう予行演習したようなものだし、下手に行ったことのない場所にするよりはハードルも低いだろう。


「は、はいっ……よろしくお願いします……っ」

「おう、任せとけ! 泉と澄夏も来るよな?」

「いや、俺は用事があるからパス」

「私も明日は家の用事があるんだよね。二人で行ってきなよ」

「なんだそうなのか。じゃあ花森さん、俺と二人でもいいか?」

「は、はいっ」

「よし、決まりだ! 実は俺も気になってたんだよな〜、ゴゴストのパフェ。楽しみだ!」


 こうして、想定外の泰記の発案により、八瑛ちゃんと泰記の二人きりのお出かけが急遽決まったのだった。

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