4-2 二人だけの秘密です

「落ちこまなくていい、八瑛ちゃんはよく頑張った」


 歓迎会から帰宅して数時間、夜もだいぶ更けてきた。俺はまた、ベッドの上で八瑛ちゃんと通話していた。


『ぅぅ……先輩にそう言っていただけると救われます……』

「ただ、今回のことでわかったのは――思わせぶりな態度じゃ、やっぱりあいつには伝わらないってことだな。もう少しストレートに、馬鹿にもわかるように好意を示す必要がありそうだ」

『なるほど……長谷川先輩は馬鹿ではないですけど……おっしゃる意味はわかります……』

「なぁ八瑛ちゃん、料理は全然なのか?」


 俺は本題を切り出した。次の作戦はもう決まっている。


『……ええと、恥ずかしながら。……も、もしかして、長谷川先輩が言っていた「好みのタイプ」の話ですか……?』

「察しがいいな。そう、泰記は料理上手な女子が好きだ。だから――」

『むっむむむ無理です無理ですぅっ……! 長谷川先輩に食べさせられるような手料理なんて私、作れる自信ないです! だってだって私、卵も上手に割れないんですよ……!』


 さっそくヘタれる。ここまでは想定内だ。


「大丈夫だ。なにも豪華なディナーを用意しろって言ってるわけじゃない。簡単なお弁当で構わない」

『お弁当、ですか……』

「そうだ。わかるか八瑛ちゃん、大事なのは気持ちだ。多少出来が悪くても、最悪気持ちさえ伝わればいいんだ。それに、すべてのおかずを手作りする必要はない。いくつかは冷凍食品に頼ってもいいだろう」

『冷凍食品! 冷凍食品なら私でも作れそうです!!』


 そりゃそうだ、チンするだけなんだから。


「それに強力な助っ人もいる。澄夏に習おう。実はもう話はつけてある」

『……! 澄夏さんに教えてもらえるなら心強いです……!』

「やれそうか?」

『は、はいっ、頑張ってみます……っ』

「善は急げだ、さっそく明日から始めるぞ」

『はいっ! あ、じゃあ泉先輩には、味見役をお願いしてもいいですかっ?』

「味見か。受けて立とう」

『ありがとうございますっ。……だけど私、料理の経験が本当に調理実習くらいしかなくて。今のうちに謝っておきます。お腹壊したらごめんなさい』


 ……不安すぎる。



     * * *



 そして、翌日の放課後。

 俺、八瑛ちゃん、澄夏の三人は、泰記には内緒で校門前に集合した。


「すみません澄夏さん、私のために部活までお休みにしてもらって……」

「いいのいいの。どうせたいしたことしてないんだし。それに今回の料理教室だって、言ってみれば交遊部の活動の一環みたいなものだしね!」

「便利な部活だな、交遊部」


 たまには部室の外に出て、部員以外とも交遊しよう――そんな澄夏の適当な主張により、交遊部は今週いっぱいは活動休止ということになった。

 泰記は特に不審がる様子もなく、今さっきもクラスの友人たちと呑気に談笑していた。


「さ、泰記が来ないうちに行くか。見つかって詮索されたら面倒だしな」

「はぁ……今から緊張してきました……猫の手……猫の手……」


 本日の目的地は、またもや花森家。平日は八瑛ママが仕事で留守にしているため、自由に台所を使ってもいいとのことだった。

 その前にまずは買い出しが必要とのことで、今から三人で花森家御用達のスーパーに寄っていこうという話になっていた――のだが、


「あ、ちょっと待って、今泰記からLINEが……」


 澄夏がスマホの画面を見て立ち止まる。


「なんだって?」

「……? なんか泰記が、今から話があるって」

「澄夏に?」

「うん……なんだろ? スマホ越しじゃなくて直接話したいみたい」


 なんだ? というか、それならさっき教室を出る前に話せばよかったものを。


「なんかよくわかんないけど……ごめん、どのくらいかかるかわかんないし、二人とも先に行っててもらえる? あ、材料のメモ渡しとくね」


 ――と、そんなわけで。

 俺は八瑛ちゃんと二人でスーパーにやってきた。


「カートいりますか?」

「いや、俺がカゴ持つからいいよ」


 八瑛ちゃんと二人で買い物なんて、なんだか新鮮だ。


「ええと、まずは……」


 八瑛ちゃんは昔ながらの主婦のように、手元の買い物メモに視線を落とす。三人で相談してメニューを決めた後、澄夏が必要な食材をリストアップしてくれたのだ。


「ほうれん草の胡麻和えに使う、ほうれん草!」


 一直線に青果コーナーへと向かっていく八瑛ちゃんの後を追う。


「ほうれん草ありましたっ」


 手に取り、カゴに入れる八瑛ちゃん。


「メモ片手にお買い物……しかも、男の人と二人で……ふふっ、なんだか私たち、新婚夫婦みたいですね?」


 珍しいシチュエーションにテンションがあがっているのか、八瑛ちゃんは俺に微笑みかけてきた。


「なぁ、八瑛ちゃん」

「なんですか?」

「水を差すようで悪いんだが……」

「はい?」

「これ……小松菜じゃないか?」

「え…………」


 八瑛ちゃんは真顔になって、カゴの中に視線を落とす。


「……………………」

「……………………」


 そして……無言でカゴに手をつっこんで小松菜を取り出し、元の場所に戻した。


「じょ、冗談はこのくらいにして、と……」


 つぶやいて、きょろきょろと野菜コーナーを見回す。


「ありましたっ」


 値札に書かれた「ほうれん草」の文字を、睨みつけるようにじっくりと確認する八瑛ちゃん。それからうんうんと一人でうなずき、手に取ってカゴに入れた。今度は間違いなくほうれん草だ。


「ふぅ……先輩がちゃんとツッコんでくれてよかったです。ボケてみた甲斐がありました」

「……八瑛ちゃん」

「はい? どうかしましたか?」


 澄ました顔をしているが、頬は赤かった。


「さすがに無理があるぞ」

「……うぅっ。……だってっ! 見た目が紛らわしすぎるのが悪いんですっ!!」

「まぁ、わからないでもないが……。気を取り直して、次いこう」

「は、はい……。え、えっと次は……サニーレタス。これってどの料理で使うんでしょうか?」

「サニーレタスか。なにかの材料ってよりは、ポテトサラダとかの下に敷いたり、弁当箱の中でおかずが混ざらないように仕切りとして使ったりするんじゃないか?」

「なるほど……! 必需品ですね!」

「今度は大丈夫か?」

「あ、先輩私のこと馬鹿にしてますよね? さすがの私も、レタスとキャベツを間違えるなんてベタな間違いはしませんから! 見ててください!」


 レタスが並ぶ棚を見つけ、駆け寄る八瑛ちゃん。俺も後を追う。

 念には念を入れてということだろう、八瑛ちゃんは値札に書かれた「レタス」の文字を穴が空くほど見つめてから、ひと玉手に取った。とっても丸い。


「はい、レタスです!」


 得意げに胸を張り、レタスをカゴに入れる。


「…………。八瑛ちゃん?」


 確かに、レタスだけど……。


「さっ、次は卵ですね! ……それにしても、サニーってどういう意味なんでしょう? 澄夏さんのことですし、なにかしら意味はあると思うんですが……なるべく日当たりのいい場所に置いてあるレタスがいいよ、ってことなんでしょうか。人工の照明でも大丈夫なんですかね?」


 不思議そうに小首を傾げながら先に進もうとする。

 これは……どうやらボケではなさそうだ。


「八瑛ちゃん、八瑛ちゃん」


 呼び止める。


「……はい?」

「レタスとサニーレタスは別物だ」

「え?」

「これがサニーレタス」


 俺はすぐ近くにあったサニーレタスを手に取った。


「…………」

「…………」

「……………………っ〜〜〜!!」


 八瑛ちゃんの顔が、たちまち真っ赤に染まった。


「ぇ、えっと、えと……っ」

「わかってる、今回は本当にツッコミ待ちだったんだよな?」

「うっ……!」


 フォローのつもりが、追い打ちをかけてしまった。


「すぅ……はぁ……すぅ……」


 八瑛ちゃんは深呼吸すると、


「……わないでください」


 消え入るような声で言った。


「え?」

「このことはだれにもいわないでください、おねがいします」


 真っ赤な顔をして、真剣な眼差しで俺を見つめてくる。


「と、特に長谷川先輩……あと樹里ちゃんにも! 当然、澄夏さんにもです!」

「そんな大げさな」

「聞いてくれないなら、そこの大根で泉先輩の記憶を抹消するしかなくなります!!」

「あ、あぁ、わかった……」


 あまりの必死さに、俺はうなずいた。

 レタスとサニーレタスの区別がつかなかったくらいで、そんなに恥ずかしいんだろうか。

 …………恥ずかしいか。


「まぁでも、知らなかっただけだもんな? サニーレタスの存在すら知らなかったんだから、しょうがないよな」

「うぅぅぅっ……!」


 フォローのつもりが追い打ちになってしまった。


「い、一応言い訳しておきますと、見たことはありますから。食べたこともあります。その野菜の名前がサニーレタスだと知らなかっただけですから!」

「うんうん、それなら仕方ないな」

「……約束してください、誰にも言わないと。このことは私と泉先輩、二人だけの秘密です」


 差し出された小指に、俺も小指を絡めた。


「あぁ――約束だ」


 俺と八瑛ちゃんはスーパーの片隅で、そんな誓いを交わしたのだった。

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