4-3 割れ目のところに指を入れればいいんですよね?

『卵……Lサイズでいいですよね? 普通にこの白いのでいいんですよね? お弁当に使う卵は茶色のMサイズがいいとか、そんな決まりないですよね?』

『ウインナーは……あれ、二袋? これってセットですよね? 空気パンパンですけど大丈夫ですよね!?』

『冷凍食品のお弁当用ハンバーグって、これで合ってますよね!?』


 サニーレタスのトラウマで疑心暗鬼に陥った八瑛ちゃんは、手に取った商品が間違ってないかを逐一俺に確認してきて、とても微笑ましかった。


 そんなこんなで無事買い出しを終えた俺たちは、花森家へと向かう前に、用事を終えて近くまで来ていた澄夏と合流した。


「なぁ、泰記の話って、結局なんだったんだ?」


 ずり落ちてきた買い物袋の持ち手を肩に引っかけ直しながら、俺は訊いた。


「あー……別に隠す気はないって本人が言ってたから、話しちゃうけど……なんかね、行ってみたいお店があるんだって」

「店?」

「うん。最近オープンした、独創的で映えるスイーツが人気のおしゃれなカフェなんだけど、男一人だと入りにくいから、私に付き合ってほしいって」

「ふぅん……」


 ゴミ拾いの次はスイーツ巡りにでも目覚めたのか?

 ……ん? 待てよ!?


「そういうことなら、八瑛ちゃんと行かせたらいいんじゃないか!? 二人の距離を縮めるまたとないチャンスだろ」

「だよね! うん、私もそういうことなら八瑛ちゃん誘ったらって言ったんだけど、なんかどうしても私じゃないとだめらしくて。理由訊いても要領得なくて、なんかよくわかんないんだけどね」

「なんだそりゃ」

「ま、泰記の奢りだって言うから喜んで行くけどね。あそこのサントノーレ、ちょっと気になってたんだよね〜」

「ていうか、話ってそれだけ?」

「うん、それだけ。わざわざ呼び出して、二人きりで話すようなことじゃないと思うんだけどねぇ。泰記ってたまに変な行動するよね」

「そういうとこあるよな」

「ま、そこが面白いところなんだけどね」

「だな」

「…………」


 ……ん?

 そういえばさっきから八瑛ちゃんがおとなしい。ちらりと様子を窺うと、なにやら考え込んでいるみたいだった。


「どうかしたか、八瑛ちゃん?」

「……え? あ、いえ……なんでもないです」


 どことなく、表情が暗いような。今の話に、なにか思うところでもあったのだろうか。

 ……あ。そうか。料理教室が一日潰れるんじゃないかって心配してるのか。


「澄夏、料理教室のスケジュールに変更はないんだよな?」

「あ、それは大丈夫。泰記との約束は日曜日だから。料理教室は予定通り、今日から木曜日までの四日間ね」


 手作りするおかずは四品だから、一日一品ペースで覚える。そして金曜の朝に作った弁当を泰記に渡す……というような計画になっている。


 そんなに短期間で覚えられるのかと八瑛ちゃんは不安がっていたが、四日間の中にはウインナーを焼くだけの日も含まれているので、むしろ余裕のあるスケジュールといえた。


「だってさ八瑛ちゃん。これでひと安心だな」

「え? あ、はい、そうですねっ」


 あれ……そのことじゃなかった?

 八瑛ちゃんはけろっとしていて、もうさっきまでの暗い雰囲気は感じない。


「澄夏さん! 今日からよろしくお願いしますっ!」

「あはは、そんなにかしこまらなくていいよ。遊びだと思って楽しんじゃお?」

「はいっ!」


 ……俺の気のせいだったかな?



     * * *



「……いきます!」


 静かに深呼吸を繰り返してから、八瑛ちゃんは宣言した。その右手に握られているのは……生卵。

 八瑛ちゃんは精神統一するようにまぶたを閉じると、


「やぁッ!」


 気合の入った掛け声とともに、手に持った卵を流し台めがけて振り下ろした。――ぐちゃあ!


「うぅぅぅ〜〜〜! また失敗しましたぁー!」


 悔しそうに言って、八瑛ちゃんはしょんぼりとうなだれた。卵はこれで六つ目だ。


「澄夏さぁん、全然うまくいきません……」

「う〜ん、今度はちょっと力みすぎちゃったね。あと、直前に目を瞑ったのもよくなかったかも」

「うう……。食材もこんなに無駄にして、バチが当たりそうです……」

「あ、そこは安心して? いくら失敗しても、食材は無駄にならないから。そこのスタッフがあとでおいしくいただいてくれるからね」


 むしゃむしゃ……ガリッ。また殻だ。

 俺は中途半端にぐちゃぐちゃになった卵に火を通しただけの、まだ誰も食べたことがない卵料理を世界ではじめて食しながら、悪戦苦闘する八瑛ちゃんを眺めていた。


 お弁当に入れる予定なのは玉子焼きなのだが、最初はもっと簡単なものから作ってみようということで、今は目玉焼きに挑戦している。


 が、それ以前に卵を割るところで躓いてしまっている。

 そしてダイニングテーブルの上には謎玉子料理のおかわりが山積みに……。次はマヨネーズで食べてみるか……。


「やっぱり私、料理に向いてないんでしょうか……」

「そんなことない! みんな最初はこんなもんだよ、うん! ごめんね、むしろ私の教え方が下手なんだと思う。よく考えたら、人に教えるのってはじめてだし……」

「いえ! 澄夏さんの教え方、とっても丁寧で……なによりも、こんなに失敗してるのに、ずっと優しくしてくれて泣きそうです……」

「もう、大げさだなぁ。……あ、そうだ! ねぇ、今度は泉が教えてみてよ。目玉焼き作れるでしょ?」

「むしゃむしゃ……え、俺? いや作れるけど、先生は澄夏だろ?」

「そうだけど、試しに一回やってみてよ。それで私に教え方を教えて? 泉って、けっこう人に物教えるの向いてると思うんだよね」

「そうかぁ? ま、いいけど」


 俺は椅子から立ちあがり、八瑛ちゃんの隣に並んだ。


「よろしくお願いしますっ、泉先生!」

「おう。んじゃまずは、もう一回火をつけて、卵を持って……」

「はいっ」

「それから……いや、口で説明するより、こうしたほうが早いか」


 俺は八瑛ちゃんの背後に回ると、卵を持つ八瑛ちゃんの右手に自分の右手を重ねた。


「え、ぁ……っ」

「ん? どうかしたか?」

「いえっ、なんでもっ」

「で、このくらいの強さで、コンコン、って」

「わぁ……! すごいです! ほどよいヒビが入りましたっ!」

「そうしたら、次は……」


 右手と同じように、左手も重ね合わせる。


「こうやって俺が手を添えてるから、八瑛ちゃんは自分の思うようにやってみてくれ。間違ってたら俺が軌道修正するから」

「は、はい……」

「じゃあ、次はどうすればいいと思う?」

「えっと……割れ目のところに指を入れればいいんですよね?」

「そうだ。一人でできるか?」

「や、やってみます……んっ……!」

「優しくだぞ。奥まで入れすぎると簡単に壊れちゃうからな」

「優しく、優しく……あっ、指先がぬるぬるしてきました……っ」

「よし、頃合いだな。このまま、ゆっくり拡げてみてくれ」

「はいっ……ん、んんん……っ!」


 ――パカッ。

 ジュウゥゥゥゥ……ッ!


 フライパンの上に落とされた卵は、黄身が割れることもなくきれいな形を保っている。


「で、できましたっ! できましたよ泉先輩っ、澄夏さんっ! 泉先輩に手を添えてもらいながらですけど、感覚は掴めた気がします……!」

「その調子だ」

「やったね八瑛ちゃん! ……ただ」

「ん?」


 澄夏がなにやら、ジトッとした目つきで俺を見る。


「泉の教え方、うまいんだけど……ちょっといやらしすぎると思う! どえろ泉だよ……」

「はぁ……?」

「というか、泉だけじゃなくて八瑛ちゃんも……」

「まったく意味がわからないんだが」

「……? いやらし……? あの、澄夏さん、それってどういう意味ですか? 私もわからないです」

「だ、だからぁ……その…………割れ目がどうの、とかっ……」

「割れ目、ですか……? それのどこがいやらしいんですか? すみません、よくわからないので詳しく説明してほしいです」

「え!? ……う、ううん! なんでもないの……変なこと言ってごめんねっ」

「……??」


 理由はわからないが、澄夏は珍しく赤面している。

 澄夏も時々わけのわからないこと言うよなぁ。泰記のことを言えないと思う。

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