3-8 もしかして、キスの予行演習までしちゃうの?

「で、樹里ちゃんなんで来たの」


 追いかけっこも一段落つき、八瑛ちゃんは訊いた。

 だけど樹里が、八瑛ちゃんのことが心配で俺のことを探りに、なんて正直に答えるとは思えない。どう誤魔化す気なんだろう。


「だってあたしの部屋、お客さんがいっぱいで狭いんだもん」


 ……?


「お客さん?」

「じゅ、樹里ちゃんそれはっ」

「ねことかぺんぎんとかしろくまとかとかげとか。先輩が来るからって、ぜんぶあたしに押しつけて――」

「あーあー! あーあーあーあーあー!」

「泉ちゃんも見に来る? 数が多すぎて普通に引くと思うよ」


 ……もしかして、ぬいぐるみのことだろうか。


「ほら、行こ?」


 あまりにも自然に手を掴まれ、思わず立ちあがってしまう俺。

 だがそんな俺を引き止めるように、八瑛ちゃんが反対の手を掴む。


「絶対だめ! ……って、え、あれ? なんで先輩の名前知って……」

「改めて自己紹介したからな」

「そうだったんですか……だ、だとしても樹里ちゃん、年上の人にそんな呼び方失礼でしょ?」

「え〜、でも泉ちゃんが呼んでいいって」

「そうなんですか?」

「まぁ」


 不本意だが。


「すみません……」

「いいって」

「うるさい八瑛ちゃんは放っておいて、行こっか泉ちゃん」

「ちょっと樹里ちゃんっ、先輩は私と遊ぶ……じゃなくてっ、予行演習に付き合ってくれるの!」


 両側からぐいぐいと腕を引っ張られる。


「えー、泉ちゃんもあたしの部屋来たいよね?」

「だめっ、私の〜〜〜っ」


 八瑛ちゃんが渾身の力で俺の腕を引いた、そのとき。


「ま、いいけどね」


 ぱっ、と樹里はいきなり手を離した。


「え……きゃっ!」

「危なっ」


 俺は危うく転倒しかけるが、床を踏みしめどうにか堪える。


 それからとっさに、バランスを崩してよろめく八瑛ちゃんの手を強く引っ張り返した。不安定な体勢のまま寄りかかってきた八瑛ちゃんの腰に腕を回し、抱き留める。


 八瑛ちゃんも俺の肩にしがみついてきて、どうにか事なきを得た。


「す、すみません……! ありがとうございます……」

「泉ちゃんナイスキャッチ〜」


 ……。

 事なきを得たのはいいが。


「っ……!」


 顔をあげた八瑛ちゃんが息を呑む。


 ……近い。


 見開いた目で至近距離から俺を見あげる八瑛ちゃんに、俺は息をするのも忘れ、ただじっと見つめ返すことしかできなかった。


「あれ? もしかして、キスの予行演習までしちゃうの?」

「なっ……」


 樹里の茶々入れに、俺は我に返って八瑛ちゃんの腰から手を離す。


「き、キスって……、……っ!」


 八瑛ちゃんはちらりと一瞬だけ、俺の口元に視線を向け――それから慌てたように、俺から距離を取った。


 ……まさか樹里に続いて、八瑛ちゃんとまでこんなに身体を密着させることになるなんて。今になって心臓がどきどきしてきた。


「そっかそっか。キスするなら、あたしがいたら邪魔だよねぇ? そういうことなら、お二人でごゆっくり〜!」

「そんなわけっ……ちょっと樹里ちゃん〜〜っ!」


 言うだけ言って、樹里は部屋を出ていった。

 二人きりになった室内で……互いに引き寄せられるように、視線が交わった。

 が、すぐに逸らされてしまう。


「ぇ、えっと、先輩、その、キスは……しません、から……やっぱり、ファーストキスって大事ですしっ……!」


 八瑛ちゃんの顔はみるみるうちに真っ赤に染まり、間接キスのときとは比較にならないくらい動揺しているのがわかる。


「いや、わかってるから」

「で、でも先輩、さっき私の唇、見てませんでした……?」

「……え」


 ……樹里が変なこと言うから、無意識に視線が吸い寄せられていたのかもしれない。


「…………気のせいだろ」

「で、ですよね!? 先輩はキスなんて慣れてますもんねっ!? 私の自意識過剰でしたっ、ごめんなさい! うぅぅ、恥ずかしい……っ」

「…………」


 というより、八瑛ちゃんも俺の唇を見てたような……。

 いや、それこそ俺の自意識過剰か……。


「まぁ、それはともかく!」


 むず痒い空気を押し流すように、俺は努めて明るい声で言った。


「歓迎会の予行演習するんだろ? じゃあ、今回もまた俺が泰記を演じるから、八瑛ちゃんは積極的に絡んでくるように!」

「わっ、わかりました……! よろしくお願いします、泉先輩……!」


 そうして俺と八瑛ちゃんは、二人きりの予行演習を開始した。


 しかし、どうにも身が入らない。それはどうやら、八瑛ちゃんも同じみたいだった。

 ギクシャクしているわけではないが、二人して微妙にぎこちないというか。間違いなく先ほどの出来事が尾を引いている。間違いなく樹里のせいだ。


 結局、今回の予行演習は三十分程度でお開きとなった。

 駅まで送るという八瑛ちゃんの申し出を断り、俺はひとり、駅までの道を歩く。


 ――その途中だった。


 ピロリン♪


 とポケットのスマホが鳴った。

 立ち止まって画面を見てみると、LINEが一件。相手は「樹里」と表示されている。

 そこには一文だけ、


『あたし、馴れ馴れしかったですか?』


 ……?

 なんだ?

 次はどんな角度からからかってくるつもりだ? なんて身構えていると、新しいメッセージが届いた。


『正直、めっちゃウザかったですよね?』

『あたしとしては、さっきみたいな感じが楽なんですけど』


 ……?


『あたしって案外、ああやってテンション高めに保ってないと、けっこう人見知りしちゃうタイプだったりして?』

『初対面で年下のくせにナマイキだー、って思ってたらごめんなさい』

『けど、浦芝さんいい人そうだったから大丈夫かなって』


 …………。


 なんだろう。

 最初は性格真逆な姉妹なのかと思ったが、案外、似たもの姉妹なのかもしれない。


『根っこの部分は私と似てるはずなのに、なんでこうも違うんだろ……』


 八瑛ちゃんがそうこぼしていた意味が、今なら少しわかる気がする。


「……なんて返すかな」


 散々からかわれた仕返しに、思いっきり茶化してやるか。

 ――なんて考えが頭をよぎったりもしたけど。


『気にしてないから大丈夫だよ』


 結局、俺は素直にそう返信した。


 すぐに既読がついてから、少しだけ間があって。


『安心しました♡』

『これからもよろしくね、泉ちゃん♡』


「……泉ちゃんって言うな」


 ていうか、これからもって。

 学校も違う部活の後輩の妹なんて、そうそう会う機会はないと思うんだけどなぁ。

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