3-7 ドーテーでもいいよ

 ……なんなんだ、このぐいぐい来る感じ。八瑛ちゃんにも伝授してあげてほしい。


「も〜っ、泉先輩〜! 意地悪しないでくださいよ〜っ! これ以上意地悪されたら、私普通に泣きますよ!」

「んむぐ、んむ、っぷはぁ……! 八瑛ちゃ――」


 俺は樹里の手をなるべく力をこめないように気をつけながら引き剥がすと、扉に向かって声をかけようとした。

 が――その瞬間。


「っ――!?」


 ぎゅうっ、と。

 樹里の腕が俺の背中に回され、きつく抱きしめられる。

 突然の出来事に身体は硬直し、声も出せない。


「このままおとなしくしてて」

「…………」


 身体と身体が密着している。

 女の子の重み、温もり、耳元に感じる熱っぽい吐息……どれも未体験のものだ。


 それに、胸元の感触……。

 特別大きいわけではないが、年齢相応の膨らみがはっきりと感じられる。

 それになんだか、異様に柔らかい。もしかしてこれ……ブラつけてないんじゃ……。


「……っ」


 意識したとたん、心拍数が跳ね上がる。

 うるさいくらいの脈動、なのに思考は鈍く、意識は溶けていく。


 抵抗する気も湧かず、そのままじっとしていると……少しして、遠ざかっていく八瑛ちゃんの足音が聞こえた。

 それでもなお、金縛りに遭ったみたいに俺の身体は動かない。


「ねぇ……こうやって密着してると、心臓がばくばくいってるの、バレバレだよ」

「…………」

「三つも年下の、中学生の女の子相手に、緊張しちゃってるんだ?」


 挑発的な言葉とは裏腹に、抑揚に乏しい、感情を抑えているような声だった。


「しょうがないよね。こんなふうに女の子にハグされたことなんてないもんね」

「そ、そんな、こと……」

「もういっぱいいっぱいじゃん。ほんとに免疫ないんだね」


 ……声のトーンが一段階、低くなるのを感じた。


「笑える。そんなんで八瑛ちゃんの先生気取りなんだ」


 明確に――温度が消える。冷たく突き放すような声色。


 ……なるほど。これが本題か。


「遊び半分で、八瑛ちゃんのことからかってたんだ? 本当は応援なんてしてないのに、弄んで陰で笑ってたんだ?」

「――違う!!」


 反射的に叫ぶと、樹里の身体がびくりと震えた。

 俺も自分で自分の声の大きさに驚いた。


「……それは違う。絶対に違う。そんなふうには思われたくない」

「でも嘘なんでしょ、恋愛強者っていうの。八瑛ちゃんの目は誤魔化せても、あたしは誤魔化されないから」

「…………」


 ……仕方ない。ここまで言われて黙ってるわけにもいかない。


 本当のことを話そう。


「あぁ、そうだよ。確かに俺は、恋愛強者でもリア充でもない。恋愛のレの字も知らない、彼女いない歴=年齢の童貞だ」

「…………」

「偉そうに八瑛ちゃんにアドバイスできるような人間じゃない。そんな資格もない。だけど俺、八瑛ちゃんのことは本気で応援してるんだ。それだけは、嘘じゃない。それだけは――信じてほしい」

「……ふぅん、そう」


 軽蔑、されるだろうか。リア充の仮面をかぶって、八瑛ちゃんのことを騙して。


「本音が聞けてよかった」

「……え?」

「うん、これで泉ちゃんのことはだいたいわかったかな」


 そう言うと、樹里は俺から離れた。長いハグからようやく解放され、俺も上体を起こす。


「資格とか、そういうのは別にどうでもいい。ドーテーでもいいよ。八瑛ちゃんのことを本気で考えてくれてるなら」

「…………」


 ……俺の本心を探るためだけに、ここまで? 身体張りすぎじゃない? というかそもそも、ここまでする必要があったのか疑問だ。


「樹里ってもしかして、シスコン?」

「違うから。キモいこと言わないで。あたしはただ、あのヘタレな八瑛ちゃんが、急に恋愛に一生懸命になってるから心配になっただけ。わけのわからない部活にも入ったっていうし。高校生活が始まって早々、変な先輩に騙されて、傷ついたりしてほしくないの」

「やっぱシスコンじゃん」

「ち・が・う! ていうか、高校生のくせに中二の女子に欲情するロリコンに言われたくない!」

「はぁ? 誰が欲情なんて――」

「ずっと当たってたんだけど」

「…………え?」

「言い逃れ不可能な感触が、ずっと伝わってきてたんですけど?」

「っっ……!!? いっ、いやそのっ……! それはっ……!!」

「……はぁ。いちいち動揺しなくていいから。ねぇ、それより、泉ちゃんにはまだ聞きたいことがあるんだけど」


 ……クールだ。


「……なんだ?」

「八瑛ちゃんの意中の相手の『長谷川先輩』って人は、泉ちゃんから見てどんな人? 信用できる? 泉ちゃんのことを知れば、幼なじみだっていう長谷川先輩の人柄も見えてくると思ったんだけど、やっぱりもっと情報がほしいの」

「なるほど。むしろそっちが本命だったわけか」

「そういうこと。で、どうなの?」

「泰記はいいやつだぞ。ちょっぴり鈍感だったり、おバカな部分もあるが、女の子を悲しませるようなやつじゃない。それは俺が保証する」

「ほんとに?」

「あぁ――たとえば、」


 と、泰記の善人エピソードを話そうとしたとき――

 がっちゃん、かちっ。

 そんな音が扉から聞こえた。鍵を差しこみ、解錠した音だ。


「入りますよ、先輩?」


 八瑛ちゃんの声が聞こえて、自然と扉に目をやろうとして。


 視界の端で、樹里がいきなり仰向けに寝転んだ。……ん?


 扉が開く。


「助けて八瑛ちゃんっ!! この人に無理やり部屋に連れこまれて襲われてるのっ! ほら、その証拠にあんなにっ……!」

「なっ!?」


 樹里は迫真の演技で叫ぶと、正面に座る俺の下半身辺りを指さした。


「ちょ、おい……!」


 洒落にならない嘘をつくな!

 さすがに焦る俺。


「…………」


 八瑛ちゃんは無言でこちらに向かってくる。


「……っ」


 緊張で、ゴクリと喉が鳴った。


「いや、八瑛ちゃん、これはっ」


 八瑛ちゃんは俺のそばで立ち止まると、その場にしゃがみこんだ。

 そして――

 おもむろに、手を伸ばした。


 ……樹里の足の裏へと。


「あはははっ、ちょ、やめっ、くすぐったいってば……!」

「いいから、先輩から離れて」

「っ〜〜〜! わ、わかったわかったぁ〜〜! っ、あははっ! きゃははは!」


 爆笑しながら、這って逃げるように俺と距離を取る樹里。


「先輩ごめんなさい、大丈夫でしたか? 樹里ちゃんに変なことされませんでしたか?」

「いや、大丈夫だが。樹里の言ったことは信じないのか?」

「え? あぁ……一昨日も言いましたけど、いず……浦芝先輩がそんなことするわけないってわかってますし」


 そうだった。八瑛ちゃんは俺を信頼してくれてるんだから、もっと堂々としてればいいんだ。

 それによく考えれば、下半身もとっくに沈静化してるし。慌てるほどのことでもなかったか。


「それに……」


 はぁ、と八瑛ちゃんは溜息をひとつ。


「昔からこうなんです、樹里ちゃんは。すぐ人様にちょっかいかけて。ある意味羨ましいです……根っこの部分は私と似てるはずなのに、なんでこうも違うんだろ……」

「それは八瑛ちゃんがあまりにもヘタレすぎるだけ……ひゃぁ!」


 横槍を入れてきた樹里の足元へ、間髪いれずに手を伸ばす八瑛ちゃん。


「樹里ちゃんっ!」

「きゃー! うそうそ! 冗談! 冗談だってぇ!」


 逃げる樹里を八瑛ちゃんが追いかけ、俺の周りを二人してぐるぐると回り出す。

 仲良いな、この姉妹。

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