3-6 え、逆になにをされると思ったの?
「さっき八瑛ちゃんが言いかけてたよね、泉先輩って。八瑛ちゃん、昨日も泉先輩がどうのってぽろっと口を滑らせてて。誰なの? って訊いてもはぐらかされちゃったんだよね」
一人でぺらぺらとしゃべりながら、樹里ちゃんは俺のもとへ近づいてくる。
「もしかしたら、とは思ってたんだけど……やっぱり、浦芝せんぱいの下の名前だったんですねっ!」
さっき俺を泰記と間違えたのは、八瑛ちゃんのうっかりを誘発するために、わざと……。
いや、そんなことよりも。
あぁ……やっぱり。
「てなわけで! これからはせんぱいのこと、親しみをこめて『泉ちゃん』って呼ばせてもらいますね♪ ふふ、女の子みたいで可愛い♪」
やっぱりこの子、苦手なタイプだ……。俺の勘は正しかった。
「あれ、嫌だった?」
「……別に。好きにすればいい」
拒否したら余計に嬉々として呼んできそうな気がして、渋々了承する。
「やった♪ ありがと、泉ちゃん♪」
「……樹里ちゃん。俺になんか用なのか?」
「樹里」
「あぁ?」
「家族以外からちゃん付けで呼ばれるの好きじゃないから、樹里って呼んで」
「……」
なんなんだよ、まったく……。
「…………じゅ、樹里」
「……」
「こ、これでいいか?」
いくら相手が中学生とはいえ、出会って数分の女の子を名前で呼び捨ては、俺にはほんのちょっぴりハードルが高かった。
樹里ちゃん――もとい樹里は、俺の目の前でしゃがみこむと、じろじろと舐め回すような視線を向けてきた。
「なんだよ……」
「恋愛のエキスパートだって八瑛ちゃんから聞いてたから、どんな人なんだろうって思ってたけど……確かに顔は悪くないんだけど、なんていうか、泉ちゃんって口調はカッコつけてるけど、そこはかとなくモテない男子の雰囲気が出てるんだよね」
「……」
「ぶっちゃけさぁ、女の子に免疫ないよね?」
…………マジ? 見ただけでわかるの?
「そそ、そんなわけあるかっ」
「うわどもった。あやし〜」
「……で、なんか用なのか?」
「ごまかした〜」
「……」
「そういえばさっき、経験人数訊かれてキョドってたよね」
バレてた!
「……うるさいな、用がないなら自分の部屋に戻ったらどうだ?」
「用ならあるよ? 泉ちゃんと、じっくりお話がしてみたかったの」
んふ、と至近距離で俺を見つめ微笑む樹里。
……真意が読めない。それに……悔しいが、可愛いと思ってしまう。さすが八瑛ちゃんの妹だ。
「でも今はあんまり時間ないし、とりあえず先に――スキありっ!」
そう言うと樹里は、いきなり俺の下半身に向かって手を伸ばした。
傷ひとつない華奢な手のひらが、布地越しに太腿の上を這う。
「な、なにをっ!!」
突然のことに驚いてビクンと全身を跳ねさせる俺に、逆に樹里のほうが驚いたように目を見開く。
俺のそんな反応は想定の範囲外だったみたいだ。数瞬、虚を突かれたような顔をしたあと……樹里は、にんまりと笑った。
「え〜? どうしたの? あたしはただ……あったあった、これ。ちょっとスマホを借りようと思っただけだよ?」
樹里は俺のズボンのポケットに手を入れ、スマホを取り出した。
「え……」
「え、逆になにをされると思ったの? ねぇ? ねぇねぇ?」
「い、いや、突然だったから……!」
「恋愛強者がそんな反応するかなぁ? ドーテーみたいな反応だったよ?」
急に下半身を触られたから、てっきり変ないたずらでもされるのかと……う、これは恥ずかしい……。
「はい、あたしのID、友達に追加しといたから」
俺が羞恥心と格闘しているあいだに操作を終えたらしく、ポケットにスマホが返却される。
「これでもう、あたしたち友達だね♪」
……。
「おまえ、ほんとになにが目的なんだ」
「おまえじゃなくて、樹里」
「……樹里」
「あたしの目的はねぇ……こうすること」
樹里は俺の両肩を掴むと、思いっきり体重をかけてきた。
とっさのことに俺は抗えず、仰向けに押し倒される。
ただでさえ近かった顔が、ぐい、とさらに眼前に迫ってきた。
「……からかってるのか?」
そのときだった。
「ごめんなさい先輩、お母さんに捕まっちゃって――あ、あれ? 開かない……」
ノブをひねる音とともに、八瑛ちゃんの声が扉越しに聞こえた。
「せ、先輩っ? なんで鍵閉めてるんですかっ?」
鍵閉めたのかよ。
「八瑛ちゃん、いや、これはっ――むぐぐ」
樹里の手のひらに、口を塞がれる。
「ふふふ」
いたずらっぽい笑みを浮かべながら、樹里は俺の耳元に顔を寄せた。
「せっかくだし、もうちょっとお話しようよ。あたし、泉ちゃんのこともっと知りたいな……?」
唇の感触さえ感じそうな距離での囁きに、背筋がぞくぞくと粟立った。
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