3-4 むしろ奪ってほしいです

 パフェを食べながら話したのは、取り留めのないことばかりだった。

 普段部室で駄弁っているのと変わらない、中身のない会話。だけど――それがただ二人きりになったというだけで、こんなにも新鮮に感じられるとは、思いもしなかった。


 新鮮で、不思議で――ただただ楽しい。そんな時間だった。


 食べ終えたころには、俺も八瑛ちゃんも今度こそ本当にリラックスしていて、すっかり元の調子を取り戻していた。


「はぁ……おいしかったですね……大満足です」

「ただ、カサ増しのコーンフレーク、ちょっと多くないか?」


 それ以外の部分は文句なしだっただけに、ちょっと残念だ。この値段設定ならもう少しどうにかしてほしかった。


「確かに法律スレスレでしたね。でも私的にはコーンフレーク好きなので、全然アリです!」

「アリなのか……」


 そんなグダグダした掛け合いを食べ終わってからも続けていると、ふいに八瑛ちゃんが、真面目な顔をして口を開いた。


「あの、思ったんですけど……」

「ん?」

「私たちって、周りからはどう見えてるんでしょうか?」

「どうって?」

「……恋人同士だと思われてたり、するんでしょうか?」

「……あー」


 確かに、高校生の男女が休日に二人きりでお出かけ。楽しげに談笑してパフェ食べて、おまけに「あーん」までして……


「そう見える、かもな」

「ですよね」

「……やっぱり不本意だよな、俺と恋人同士に思われるのは」

「あ、いえ、それは全然構わないんです。長谷川先輩に見られてるわけじゃないですから。ただ……想像できなくて……」

「……?」

「本当の恋人同士なら、きっと今よりもっと楽しいから、もっと恋人らしく見えると思うんです」


 八瑛ちゃんの言わんとするところが、よくわからない。


「それはそうだろ」

「でも私、今すっごく楽しいんです。こうして泉先輩と一緒にいるだけで、胸のあたりが温かくなって……今以上に楽しい時間というのが、想像できないんです」

「…………」


 恋人、か。

 確かに、言われてみれば……俺も想像できない、かもしれない。

 部活の後輩と一緒にいるだけでこんなに楽しいのに、彼女ができたりしたらどうなっちゃうんだろう?


 とはいえ、立場上ここで八瑛ちゃんに共感するわけにはいかない。

 俺は恋愛強者の仮面をかぶったまま、口を開いた。


「ま、それは友達同士の楽しさだな。恋人同士の楽しさとは全然違う」


 と思う。片方は未経験だが、本心からそう思う。友達と恋人が同じなわけがない。


「そういうものなんでしょうか……」

「俺も八瑛ちゃんと一緒にいてすごく楽しいけど、それは先輩後輩として、友達としての楽しさだからな」


 当然だ。八瑛ちゃんの恋を応援している俺が、まるで恋人同士のような、好きな人と一緒にいるかのような幸せを感じるはずがないのだから。


「……泉先輩がそう言うなら、そうなんですよね。私、ちょっと弱気になっちゃってたみたいです。長谷川先輩とお付き合いできなくても傷つかないように、今より楽しくなるわけがないって思い込もうとしたのかも。私って、そういうとこありますから」

「大丈夫、いつか八瑛ちゃんにもわかるときがきっと来るから」


 ――だけど、なんでだろう。


「そのためにもまずは、今日の予行演習と明日の歓迎会本番を頑張ろうな」

「はいっ! よろしくお願いします、先輩っ!」


 自分の口から出た言葉が、どこか空々しく聞こえたのは。

 なにも間違ったことは言ってないはずなのに。……なんだろう、この感覚。


「それじゃ先輩、行きましょうかっ。えっと、値段は確か……」


 物思いに耽っていると、八瑛ちゃんが伝票を手にして立ちあがった。


「俺が払うよ、貸して」


 俺も席を立ち、伝票を受け取ろうと手を伸ばす。


「先輩、もしかして私のぶんまで払ってくれようとしてます?」

「ああ。年上だしな」

「いえ! ここは私に奢らせてください! いつもお世話になりっぱなしですし、今日だってお休みなのにわざわざ付き合っていただいてるわけですし」

「いや、ここは先輩として俺が」

「いいえ私が!」


 ……まずい。八瑛ちゃんにしてはなかなか押しが強い。

 だが、ここはどうしても奢りたい場面だ。カッコつけの血が騒ぐのを止められない。どうにかして言いくるめなければ……


「というわけで、支払いはお任せくださいっ」

「――待て、八瑛ちゃん」


 レジへ向かおうとする八瑛ちゃんを、俺は静かに呼び止めた。


「待ちませーん!」

「もし泰記とデートで来ても、そうするのか?」

「えっ……?」


 ぴたりと立ち止まる八瑛ちゃん。よし、興味を引くことはできたみたいだ。


「どうなんだ?」

「えっと……長谷川先輩にもお世話になってますし、その可能性は全然あると思いますけど……」

「それはいただけないな。デートが台無しだ」

「えっ!? そうなんですか!?」


「あぁ。この場面、泰記の性格ならまず間違いなく奢ろうとするだろう。そこで今みたいにどっちが払うかでどちらも譲らなかったら、最悪の場合、とても変な空気になってしまうおそれがある」

「た、確かにっ……!」

「デートでは男に気持ちよく奢らせる……それも恋愛の重要なテクニックのひとつなんだ」


 っていうネットの記事を前に読んだ覚えがある。


「な、なるほどです……! さすがは泉先輩っ……!」

「ってわけだから、デートの予行演習として、今日は奢られてみてくれ」

「……うう、で、でも……」


 まだ納得しきれていないのか、葛藤している様子の八瑛ちゃん。

 ……あともうひと押しだ。


「八瑛ちゃん、この壁を越えないと、泰記と付き合うなんて夢のまた夢だぞ。だが逆に言えば、この壁さえ越えれば、ゴールはもうすぐそこ……なのかもしれない」


 大げさに言ってみる。

 八瑛ちゃんの答えは――


「…………わかりました! ごちそうになります!」

「あぁ、それでいい」


 こうして、勝負は俺の勝利で無事に幕を閉じた。はぁ〜、よかった。


 会計を済ませ、店の外に出る。


「本当にありがとうございます、泉先輩」

「いいって、言うほど高くもないし」

「奢ってもらったのもそうなんですけど、それだけじゃなくて、またいろいろ教えてもらいました」

「あー、まぁ確かに」


 今日の待ち合わせからの流れそのものが、意図せずデートの予行演習みたいになってしまった気がする。

 これが八瑛ちゃんの自信に繋がるなら、俺もうれしい。


 ただ……

 泰記との仲が進展するためにはどうすればいいか、俺なりに真摯に向き合っているつもりだけど、本当のリア充の意見ではないから、やはり少々心苦しい気持ちは残る。


「なんだか、デートの予行演習みたいでした」

「俺も同じこと思った」

「……あの、ついでと言ってはなんですけど、もうひとつだけ、予行演習に付き合ってもらってもいいですか……?」

「あぁもちろん」


 なんだろう?

 八瑛ちゃんは上目遣いに俺を見て、躊躇いがちに口を開いた。


「じゃ、じゃあ、その…………手、繋いでください」

「……手?」

「はい……ほら、よく街中で、幸せそうに手を繋いで歩いてるカップルがいるじゃないですか。私もいつかあんなふうに、長谷川先輩と並んで歩くために……練習させてほしいです」


 ……正直、俺にはハードルが高い。

 だけど、せっかく八瑛ちゃんが前向きに頑張ろうとしてるんだ、断るなんてできるはずもない。


「…………」


 俺は鼓動を早める心臓を気にしないようにしながら、黙って手を伸ばし、その小さな手を優しく握った。


「あ……」


 八瑛ちゃんは小さく声を漏らした。

 そのまま数秒、互いに無言の時間が流れて……ふいに八瑛ちゃんが、もぞもぞと手を動かす。


「ちがいます、先輩……こうです」


 俺の指と指のあいだに、八瑛ちゃんの細い指が絡められる。……いわゆる恋人繋ぎだ。


「た、確かに、カップルはこっちだよな?」

「は、はい……」


 また沈黙。けれどけっして、嫌な沈黙ではない。

 繋いだ手から、八瑛ちゃんの温もりが伝わる。まるで心でも通じ合っているかのような……そんな不思議な感覚を覚えた。


「男の人の手は大きいって、よく少女漫画とかで見ますけど……本当なんですね」

「まぁ、八瑛ちゃんよりはな。もしかして、同世代の異性と手を繋ぐのははじめて?」


 さも自分は違うかのような口ぶりで、俺は言う。


「たぶん、幼稚園のお遊戯会以来とかだと思います……うう、自分で言い出しておいてなんですけど、さすがに照れますね、これ……汗かいちゃったらごめんなさい」

「いや、それはいいけど……なんか、泰記に悪いような気もするな。八瑛ちゃんから初々しさを奪ってるみたいで」

「いえ、むしろ奪ってほしいです。長谷川先輩に恥ずかしいところとか、失敗する姿は見せられませんから」


 ……それは逆に言えば、俺には見せてもいいということ。

 いま目の前にいる八瑛ちゃんは、俺だけが独占している。


 ドジをして慌てる姿も、恥ずかしそうな照れ笑いも。

 リラックスした自然な笑顔も、ひたむきで真剣な眼差しも。

 ありのままの表情を、俺にだけ見せてくれるんだ。


 そう思うと、なんだか胸が満たされる。

 今までこんなふうに後輩の女の子から慕われたことなんてないから、変に舞いあがっちゃってるんだろうな。

 うわ、そう思うとちょっとキモいな、俺……。


 なんて自己嫌悪に陥りながらも、俺は八瑛ちゃんと手を繋ぎながら、一度駅前まで戻った。

 道中、何度も通行人とすれ違って、そのたびにわけもなく緊張した。

 駅前を経由して、そのまま徒歩で本来の目的地である花森家へと向かう。


 目的地にたどり着くまで、繋いだ手が離れることはなかった。

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